第五十五話:最高のタイミング
「ほぉ、あんたが私と勝負、ねぇ?」
それはお正月商戦もようやく終わりを迎えようとしている一月七日のことだった。
学生たちはまだ辛うじて冬休みではあるものの、明日から学校が始まるとあって、お客さんの入りはそれほど多くはない。美織もお客と『モンスター×ハンター』(通称『モンハン』)の共闘に興じるも、買取キャンペーンの対戦はここ数日と比べて少なく、ややヒマを持て余しているところだった。
「ええ、そろそろ頃合か、と思いまして」
ジロリと睨みあげてくる美織に臆することなく、黛はいつものようにクールに受け答える。
「……面白いじゃない。で、私とあんたがやるんだから、もちろん普通の勝負ってわけじゃないわよね?」
「そうですね。私が負けたら、貴方の言うことに何でもひとつ従うってのはどうです?」
黛の提案に一瞬呆気に取られた美織だったが、次の瞬間にはニヤリと口元を緩ませた。
「へぇ、結構な自信じゃない。いいわ、受けてあげる。で、もし万が一あんたが勝ったら」
「ああ、そのことですが」
黛がふっと美織から視線を切った。敵意いっぱいに睨まれても動じず、眉ひとつ動かさずに自分の身をベットする人間だ。いまさらプレッシャーに負けたわけじゃあるまいと美織が訝しんでいると……。
「私ではなく、私たちが勝ったら、にしていただけますか?」
黛に促されて、その隣りに裾をぎりぎりまで切り詰めたワンピースにエプロンといういでたちのメイドが立つ。
司、だった。
「つかさ……あんた……」
美織に動揺は、ある。
どうして裏切った、という疑問も当然ある。
だけど勝負は非情だ。こちらのちょっとした動揺が相手を鼓舞し、揺蕩う勝負の手綱を引き込まれるのを美織は知っている。
だから美織は努めて冷静に、そして冷徹に、敵となったかつての仲間を見つめる。
「店長……あの、ボク……」
しかし、司はそうではない。
もちろん覚悟はしていた。
敵である黛と手を組んだ自分に驚き、動揺し、そして怒りに任せて睨まれたり、怒鳴られたりするだろうと思っていた。
それだけにあの感情豊かな美織から、怒鳴られるわけでもなく、睨まれるわけでもなく、ただ無言で冷たい眼差しを向けられるのは想定外であり、故に。
司には分かってしまった。
美織の受けた、ショックの大きさが。
(店長……)
司は何度も心の中で詫びる。
それでも思わず全部口に出しそうになって……。
「……店長、ボクたちと『モンハン』で勝負してください」
ぐっと我慢した。
「そしてボクたちが勝ったら、花翁高校に行ってください。お願いします!」
☆☆☆
時は三週間ほど前に遡る。
「「「「えーーーーー!?」」」」
司のボロアパートが皆の大声で揺れた。
誰も住んでいないはずの隣人から苦情が来たかと思いきや、それがまさかのライバル店のエリアマネージャーを勤める黛で。
しかもその黛がずっと捜し求めていた河野薫だったと言う……。
「って、河野薫って女の人じゃなかったの!?」
「私は女ですが?」
失礼な奴だなとジロリ睨まれ、慌てて司の後ろに隠れる葵。そーとその背中から顔を出して黛を観察し、
「はぁ、凄いなぁ。まるで宝塚みたいだ」
素直に感嘆した。
スラリとした背格好に、短く切り揃えたヘアスタイル、切れ長の眼……かつて美織がインテリヤクザと称した風貌だが、女性だと言われると途端に何かカッコイイものに見えるから不思議なものだ。
しかも化粧をせずにこれだ。化粧をしたら、それこそ本当に宝塚の男役みたいになるんじゃないだろうか。
「苗字が違うのはご結婚されたから?」
「当たり前でしょう。隣りは会社が用意してくれたので忙しい時の寝泊りに使っていますが、家には今年五歳になる子供もいます」
「「「「「うええ?」」」」」
本日三度目の衝撃である。
(一児の母でそのスタイルって……ありえへん)
(妊娠されている姿がちょっと想像できないねぇ)
「……聞こえているのですが、まぁいいでしょう」
ごほんと咳払いをひとつして、ひそひそ話をする連中を牽制した黛は、
「それよりも私を探していたみたいですが……何の用ですか?」
縁なし眼鏡の奥にある切れ長な眼を光らせた。
「あ、それは……」
問いかけに答えようとして、司は状況の拙さにようやく気が付く。
探していた河野薫が見つかったのは喜ばしい。
しかし、それがよりによってライバル店のエリアマネージャーである黛だったのは不運、いや不運どころではない。最悪だ。
まさか敵対関係の人間に助けを求めるわけにもいかない。司だけでなく他のみんなもそのことに気がついて、自然と表情が暗くなった。
「まぁ、事情は隣りで聞こえていました。答えなくてもある程度は察することは出来ます」
だったら訊くなよ、とは誰も思わなかった。
黛はいたって普通で、別に意地悪く司たちを困らせようとしているわけでもなく、ただ事情確認を淡々と行っているだけに過ぎないと感じたからだ。
「申し訳ありませんが、キミたちの要望には応えることはできませんね」
だから冷徹に拒否されても、そりゃそうだと素直に受け止めることが出来た。
「ですが、あの子を学校に行かせる手伝いならば可能です」
「手伝い、ですか?」
意外な申し出だった。
「ええ、あの子が学校に行くのは良いことです」
君たちにも、そして私の店にとってもね、と続けるあたり、黛の人となりが出ている。
「そう言えば、さっき『あの子を学校に行かせるなんて簡単だ』って言ってましたよね?」
「言いました。事実。簡単です」
「どうやって?」
「勝負すればいい」
「勝負?」
「そうです。あの子に何かやらせるのなら、言って聞かせるのは時間の無駄。それよりもあの子のフィールドで戦い、叩きのめして従わせた方が手っ取り早いでしょう」
なるほど。
司たちにも黛の言いたいことが分かった。
「つまりはゲーム対決で進学を賭けて戦え、ってことですか?」
「簡単でしょう?」
言われてみれば、とてもシンプルで、しかしこれしかないという方法だった。
それまで美織になんとか学校へ興味を持たせようとあれこれ策を練ったのが馬鹿らしくなってくる。
「そっかー。その手があったかー。となると、ここはレンちゃんの出番だねっ!」
「おう、任せろ!」
葵の声援を受けて、レンがばしっと自分の腕を叩いた。
一度は美織の作戦にハマって『スト4』で負けたものの、あの時だって普通に戦っていれば勝負は分からなかった。さらにあれから各地から遠征にやってくる猛者たちの相手をして、実力を伸ばしている。
今こそリベンジの時来たれり!
「いや、貴方ではダメです」
だが、黛はあっさりと言い切った。
「なんでだよ!? オレでは美織には勝てないって言うのか!?」
「円藤から話は聞いてます。貴方なら美織に勝つ可能性はあるでしょう。が、残念ながら試合をリアルには出来ない」
「……どういう意味だよ?」
「賭け事はお互いに価値あるモノを差し出してこそ成立するものです。今回、あの子は負けたら学校に行く。では、貴方は負けたらどうします?」
「そ、そりゃあ」
「学校を退学するわけにもいかないでしょう? それともぱらいそを辞めますか? どちらにしろあの子には価値のないものです。つまり貴方には賭けるものがない。それでは試合はリアルにはならない」
「だったら、どうすれば……」
「私ならば試合をリアルに出来ます」
美織が学校に行くとは、つまりその間は例の買取キャンペーンが出来ないと言うこと。黛にとってもうま味のある話で賭ける価値があり、加えて敵対しているだけに負けた時の代償も用意できる立場にある。
しかも黛は昔とは言え、あの美織を負かし続けた敏腕ゲーマーだ。勝つ可能性は十分にある。
「……」
これしかない妙案……と思う反面、司たちは複雑な心境だった。
「あの……ひとつ、いいですか?」
「なんでしょうか?」
「黛さんは相当なゲーマーだって聞いてます。なのにどうして今までぱらいその買取キャンペーンを見過ごしてきたんですか?」
皆が素直に黛の提案を受け入れられない理由は多々ある。
が、今、司が質問した所が最も解せなかった。
なんせ一度は円動がレンを担いでキャンペーンを潰しにかかってきたのだ。そんなことをしなくても黛自身にその力があるのならば、とっくの昔に行動に出ていそうなものである。
「ああ、そのことですか」
もっとも黛は表情ひとつ変えず、冷ややかに答えた。
「単純です。切り札は最高のタイミングで切るのが私の性分なだけですよ」
「最高のタイミング、ですか?」
「ええ、あの子を倒して買取キャンペーンを中止させるのは簡単ですが、それだけではつまらないでしょう?」
「……」
相変わらず黛の真意は測りかねる。
「すみません、ちょっとみんなと相談させてください」
玄関口に黛ひとり残して、司たちは奥の部屋へと移動。
そんな司たちを黛はどこか面白そうな様子で見つめるのだった。
「どうします?」
どうします、と言われても即答出来る状況にあればこうして集まってはいない。
「まず仮に美織ちゃんが学校に行くとして、その間は買取キャンペーンが出来なくなっちゃうけど、それはお店的にどうなんです?」
葵が久乃に尋ねる。
「そうやなぁ。平日の昼間に対戦するのはせいぜい暇な大学生かフリーターが数名ぐらいなもんやから、それほど痛手ってわけやない。一番利用客が多い夕方や週末は美織ちゃんもお店にいるし、キャンペーンは出来るさかいなぁ。そやけど」
「問題は、その状況を敵のボスに作られる、ってことだよな」
久乃の言葉の後をレンが引き継ぐ。
「言ってる事は確かに正しいさ。悔しいが、オレでは美織を勝負の場に引きずり出せない。だけどあいつが美織を負かすのはマズイだろ」
「んー、なんで?」
奈保がうーんと頭を傾けた。
「あの人が店長を倒せるってことは、言ってしまえばその気になればいつだって買取キャンペーンを終了させることが出来るってことだからですよ。今はまだ言葉だけだから本当にそうなのかは分からないけれど、今回その場を用意して、実際に店長が負けてしまったら……」
「そうかぁ、いつあの黛って人がお店に来るかってビクビクしながら働くのは、なっちゃん、イヤだなぁ」
相変わらずマイペースな反応を見せる奈保ではあるが、他の皆はそれぞれ深刻な面持ちで顔を見合わせた。
「でも、だからと言って他に手はないんだよねぇ」
「そうだよな……でも負けたら美織を学校に行かせられず、勝っても今後に不安は残るわけで、うーん、これは……」
やはりどう考えても分が悪い。せっかくだけど断わるべきかと場の流れが傾きかける……。
「なぁ、うちの素直な意見を言ってもええかなぁ?」
そこへ久乃が意を決したように心のうちを話し始めた。
「うちは美織ちゃんにはやっぱり学校に行って欲しいと思うとるんや」
そもそも美織を学校に行かせるのは、両親と仲直りさせるためだ。
が、久乃はそれよりも何よりも、学校に行かせることそのものを当初から目的に感じていた。
「美織ちゃんは『学校で学ぶことなんて何もない』なんて言うとるけど、そんなことはないとうちは思うんよ。ほら、何も勉強だけが学校で身につけることやないやろ?」
あの子の才能は凄いけれど、それゆえに歪なところもあるさかいなぁとの言葉に一同深く頷く。
「その為にはせっかくの買取キャンペーンやけど、終わらせるのも仕方ないとうちは思ったんや。だってお店を盛り上げることならこれからもみんなで考えていけばええ。そやけど美織ちゃんを学校に行かせるタイミングってそうはあらへんやん」
相変わらずトロい関西弁だった。
でも、その言葉はどこか温かで、皆の気持ちに確かな火を灯した。
「そうか……そうですよねっ!」
「確かに買取キャンペーンが出来なくなっても、次のを考えたらいいだけだよな!」
「なっちゃんも美織ちゃんには高校に行ってほしいな!」
「あっ! それによくよく考えたら美織ちゃんが学校に通うことになったら、あたしたちの後輩になるんだよねっ!? これはなんだかとても素敵な予感がするよ!」
葵の言葉に思わず「それだっ!」と即答する司とレン。君たちってヤツは……。
「じゃあ決まりですね」
司の確認に、みんなが大きく頷いた。
黛の提案に色々と戸惑うところはあった。
が、今や迷いはない。答えは完全に出た!
……はずだったのだが。
「何か勘違いをしていませんか?」
頭を深々と下げて打倒美織をお願いする司たちに、しかし黛は思いも寄らぬ反応を返した。
「私は『手伝う』と言ったでしょう。戦うのは貴方たちもです」
それとも私に全てを押し付けて、自分たちは知らん顔をするつもりですか? との問い掛けに、司たちも反論は出来ない。
「なるほど。あんたの言う事ももっともだ。じゃあ、今度こそオレが」
「だから、貴方ではダメだと言ったでしょう」
名乗り出るレンを黛は一蹴する。
「なんでだよ? さっきとは事情が違うじゃねーか」
「そうですね。さきほどはあの子を戦いの場に引きずり出す理由が必要でした。そして今は私が貴方たちを手伝うに値する理由が求められています。ええ、貴方も悪くはない。ですが、私が求めるのは……」
黛の視線がレンを外れ、奈保、久乃、葵と移り、そして……。
「君も一緒に戦うというのであれば、私もお手伝いをしましょう、香住司君。いや……」
黛がかすかに笑うのを皆は見た。
「つかさちゃん、と呼ぶべきでしょうか?」




