第四十八話:アイドルはやめられない!
一時はどうなることかと心配したミニライブだったが、無事大成功に終わった。
しかし、司の歌声を外のスピーカーで流したのは、やはりやりすぎだったのだろう。
その対応にぱらいそは一日中追われることになった。
と言っても、苦情ではない。
逆だ。
司の歌声を聞き、それまでぱらいそのミニライブを知らなかった人、或いは知っていても興味を示さなかった街の人たちまでもが次から次へと押し寄せ、小冊子がなくなってもミニライブを求めて来店するお客さんが絶えなかった。
おかげで本来なら一回だけのライブのはずが、結局一日中やる羽目に……。
さすがに途中何度も休憩を挟んだとはいえ、なんとか無事やり終えた後は誰もが皆くたくたで、閉店と同時にみんなステージの上に大の字になって寝転がった。
葵なんてうつ伏せに倒れたまま一ミリとて動かない。
「返事がない。どうやらただの屍のようね」
「……だ、誰が屍、だ……」
それでもツッコミキャラとしての矜持はなんとか保っているようだ。
「それにしてもマジでキツかったな」
みんなの中では断トツに体力があるレンすらも、そんな感想を零す。
「なっちゃん、もう動けないよー」
バンザイをした格好で寝転ぶ奈保の胸が呼吸に合わせて緩やかに上下する。
「美織ちゃん、頼むから今度からはもうちょっと考えて行動してやぁ」
久乃の言葉に、みんなも横になりながら大きく頷いた。
「なによ、私はいつだってちゃんと考えて行動してるって」
……。
美織の反論に誰も答えないが、みんな心の中で「ウソだ」と思っているのは明白だった。
「っていうか、そもそもあんなに人が集まるなんて予想出来ないでしょー。そう、今回のは全部、葵が悪い」
「……無茶言うなー。あたしはただ漫画を描いただけなのにー」
死にかけながらも、責任転嫁されてはたまらないと葵が抗議する。
「うっ……じゃ、じゃあ、レン。あんたがもっと私たちを鍛えておけば」
「眠いからって朝練を何度もサボろうとしたヤツがいう言葉じゃないぞ、それ」
「なっ……だ、だったら奈保の考えたダンスがハードすぎたんじゃ」
「えー、みんな『楽しい』って言ってくれてたのに、今さらそれはないよー」
「ぐっ……ならば久乃」
「美織ちゃん、それ以上言ったら、今度から美織ちゃんだけ夕食のおかずを一品減らすでぇ」
「それはあんまりじゃない!?」
美織ががばっと上半身を起こして、久乃を恨めしそうに睨む。
が、すぐにまたどたっと寝転ぶと、
「はいはい、分かりました、分かりましたよ。今回は私の考えが色々と甘かったのは認めるわよ」
珍しく白旗を振った。
「店頭で告知しただけなのに、まさか葵の漫画目当てであんなに人が集まるとは思ってなかったし、ライブもあんなにやるのは想定外だった。そもそも向こうがアイドルを担ぎ上げてきたから思いついたイベントだったし、練習期間が短すぎたとも思う」
美織のひとり反省会が始まる。
「それに『帰りたいなら帰れ』も我ながらマズかったわ。ついカッとなって言っちゃったけど、さすがにあんな反応を見せられたら私も後悔したもん」
美織の反省を、みんなは黙って聞いていた。
「そしてトドメは司のアカペラを街頭放送したこと。アレがなければ、もしかしたら最初に集まった人たちの分のライブだけで済んだかもしれない」
でも、と美織は横に寝転ぶ司に視線を移して、言葉を綴る。
「だけどアレは仕方ないじゃない? だって、私たちの歌を聞かずに帰った連中を呼び戻したかったんだもん」
美織が一度はライブを見ずに帰ったはずの客が戻ってくる様子を思い出して、ふっと微笑んだ。
「だから司、あんたには感謝してる。あんたがいてくれてホントによかった」
それは心からの言葉だった。
「……店長」
「ん、なに?」
「あの……ボク、楽しかったです」
さりげなく、それでいて嬉しさをかみ締めるような司の呟きに、美織も破顔する。
「私も! 私もすっごく楽しかった!」
今は立ち上がるのすら億劫なほど疲れているけれど、先ほどから身体を支配するのはそれだけではない。
やり遂げたという充実感。
みんなに楽しんでもらえたという幸福感。
そしてなにより自分たちも楽しかったという満足感が身体を満たしていて、今はただその余韻に浸りたかった。
それは司や美織だけじゃない。
「まぁ、こういうのもたまにはいいよな」
微笑みながら天井を見上げるレンも。
「今年の夏のいい想い出になるよー」
気持ち良さそうに身体を横たえる奈保も。
「終わり良ければ全て良しってヤツやなぁ」
美織たちを温かい眼差しで見守る久乃も。
「……大変だったけど、やった甲斐はあったかな」
気力・体力ともに限界まで使い果たした葵だって。
みんな、同じ気持ちだった。
「また、やりましょうね、ライブ」
「「「「「もうこりごりです!」」」」」
まあ、司だけはライブの楽しさに味を占めすぎた感があるのだけれども。
「それにしても上手くいったなぁ」
数十分後。
ステージには美織と久乃だけの姿があった。
ほんの少し前、レンが「さて、風呂にでも入るか」と立ち上がり、奈保が「今日はみんなで一緒に入ろうよ!」と提案し、「……うう、あたしも連れてってください、お願いします」と懇願する葵にレンと司が肩を貸して、最上階のスタッフ居住区へと上がっていった(なお、司はみんながお風呂に入っている間、空いている客室に軟禁される模様)。
そんなみんなに美織は「すぐに私も行くから」と言いつつ、久乃と一緒にステージの端に腰掛けて足をぶらぶらさせている。
「そうね。まぁ、色々とあったけど」
美織が感慨深げに呟く。
今回は美織には珍しく、脇の甘いことが多かった。
それだけになんとか無事に終えられ、ホッとしているのだろう。
「でも、アレはわざとやろ?」
しかし、久乃はいたずらっ子の企みを見透かすように、口元をニッとあげる。
「あら、分かっちゃった?」
「そら分かるわぁ。だって『帰りたいヤツは帰れ』って言っておきながら、なんのフォローもしないのは美織ちゃんらしくないやんかぁ」
普段なら「でも、見なかったら後で絶対後悔するわよ」とか言って煽るくせにと続ける久乃に、美織は苦笑せざるをえない。
「下手したらそれまでの苦労が全部パァやったのに、ようやるなぁ」
「なに言ってんの」
その時のことを思い出したのだろう。苦笑いから、満足げな微笑へと表情を変化させて、美織はその意図を吐露する。
「そもそも今回のライブは司を覚醒させる為にやったんじゃない」
美織から見て、司は接客の才能があった。
それだけに女装がバレるのを恐れるあまり、お客と必要以上に距離を置いてしまっているのが勿体無く思えて仕方なかった。
もちろん、そのどこかオドオドとした姿勢は、司の魅力でもある。
だけど、司には勘違いして欲しくないのだ。
司に群るお客のみんなは、決して秘密を脅かす敵ではない、と。
そして司には知っておいてほしいのだ。
彼らは司が女の子として振る舞う以上、絶対的な味方なんだ、と。
「前から思ってたの。あいつに『あんたのやってることは、こんなにも人に喜ばれているんだ』と教えてやりたいって」
そうすれば、司はもうひとつ上のレベルへと達することが出来るかもしれない。
正体がバレる恐怖に加えて、他人を騙すという罪悪感……それらを克服する手段に成り得るかもしれない。
「でも、その方法がなかなか見つからなかった。いくら人気になろうとも、あいつ、男だもんね。むしろ騙している罪悪感が強くなる一方だったんじゃないかしら」
「だから、ライブだったんやなぁ」
「そう。ただカワイイだけじゃない。一所懸命歌って、踊る。その姿にお客様は熱狂し、応援してくれる。ライブって自分の頑張りが他人に喜んでもらえているって、すごくダイレクトに伝わってくるじゃない? これしかないって思ったわ」
ホント、あちらさんには感謝しないとねと美織は口元を吊り上げた。
ライバル店がアイドルを担ぎ上げてきたおかげで、思いついた策だった。
「そやけどこの夏の売上げはむこうに完敗やで?」
「そんなのいーのよ。私たちはただ儲ける為にお店をやってるわけじゃない。一番大切なのは、みんなが楽しめること。誰もが楽しめて、ちゃんとお店を続けていけるだけの利益さえ出れば、別にむこうに勝とうが負けようがどうでもいいのよ」
それは美織の、偽りのない本音だった。
最初こそああいう形でむこうを挑発することをしたが、それは生まれ変わったぱらいそを多くのお客様に知ってもらう為の手段でしかない。美織にはもとからライバル店なんか眼中にはなかった。
美織はただひたすら、ぱらいそと、そこで働く仲間と、集まってきてくれる人たちのことだけを考えて行動しているのだ。
もっとも負けるのは悔しいから、最終的には向こうをぶっ潰すつもりではいるけれども。
「にしても、ふふっ、まさか司があそこで歌いだすとは思ってもいなかった」
言いながら、美織はとてもおかしそうに屈託のない笑顔を浮かべた。
そもそもあのシーン、葵の小冊子を受け取ったお客がライブを見ずに帰るという事態は想定外だった。思わず「こいつらー」と怒りがこみあげてきたが、すぐにこれはチャンスだと閃くあたりが美織の非凡なところだろう。
「あそこで私が事態を収拾させるのは簡単だし、いつものこと。だけど、これを別の誰かが収束させることが出来たら、それってそいつの成長に繋がるって思ったんだけど、まさか司があんな手に出るとはね」
「んー、まぁ結果オーライやけど、それにしてもやっぱり危険な賭けやったんとちゃうん?」
司が思い切った行動に出て、しかも上手くいったからよかったものの、下手したら集まってくれた多くのお客さんが帰ってしまったかもしれないからだ。
「ぶっちゃけるとね、私、別にあそこでほとんどのお客さんたちが帰ってもいいと思ってたの。だってあいつら、葵の漫画を目当てに集まっただけでしょ? そんな奴らがどこへ行こうが、普段から来てくれているお客さんさえ残ってくれて、頑張る私たちを応援してくれたら、それだけで良かったの」
もちろん悔しさは残るだろう。
それでもその場に残ってくれたお客さんたちと楽しい時間を共有できる自信が美織にはあった。
「もっとも司のアレは効果がありすぎて、結果としては酷いめにあったけどね」
「と言いつつ、笑ってるやん」
「まぁね」
だって、と美織の呟きが昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったぱらいその店内に染み込んで行く。
「あいつ、楽しかったって言ってくれたし」
それは美織にとって、この夏で一番嬉しいことだった。




