第四十七話:ゲーム天国
「一体何なんですか、これは……」
黛は車のクラクションを何度も鳴らしながら、忌々しく言葉を吐き出した。
黛はエリアマネージャーだ。近辺の数店舗を担当している。本来ならばひとつの店にかまけることは出来ない。
しかし、常識では対応しきれないぱらいその、これまた非常識な行動を無視することも出来なかった。
もしも。
万が一。
そんなことはまずありえないが。
それでもぱらいそのミニライブとやらにこちらの脅威となるような客数が集まることがあるのならば、確かめなければならない。
その為に今日も円藤の店へと出向き、時間を見計らってぱらいそへと車を走らせたのだが、駅近くにまでやってきて、目の前の光景に唖然とした。
人、人、人……まるでお祭のような賑わいだが、今日、そのような催しがあるとは聞いていない。耳にしているのは……。
クラクションを鳴らして人混みを無理矢理掻き分け、近くのコインパーキングへと車を滑り込ませる。
そして外へ出たその時だった。
「お集まりの皆様、大変お待たせしましたーっ!」
拡声器を通した若い女の子の声が聞こえたかと思うと、
「おおおおおおおおおおおっーーーーーー!」
まるで地鳴りのような歓声が辺り一面から一斉に湧き上がり、黛は自分の不安が的中したことに軽い頭痛を感じた。
「すごい……」
轟く歓声に、司は再び身体が震えそうになった。
美織に喝を入れられて克服したつもりだったものの、いざ観客の前に立つと身体中の毛を逆立てるようにぞわりと緊張感がこみ上げてくる。
観客の視線、声、熱気……それら全てが自分たちに向けられているという重圧。司は出来ることならば今すぐにでも逃げ出したい気持ちに襲われた。
「おー、よくもまぁこんなに集まってくれたわねぇ。おかげでこっちもちょっと焦っちゃったわよ」
しかし、そんな弱気な司とは対照的に、美織はどこまでも強気だ。
ほんの二時間ほど前、続々と集まってくる観客にさすがの美織も動揺していた。焦りもちょっとどころじゃなかったはずだ。しかし今の美織はそれらを微塵とも感じさせないほど堂々と、拡声マイク越しに軽口まで言ってのける。
「ぶっちゃけるとね、さすがの私もこんなに集まるとは思ってなかった。だから、悪いけど今日販売できるCDはそんなに用意してないの」
しかし、さすがにこの発言はやりすぎだった。
八月下旬の暑い日差しの中、集まった彼らが待っていたのはライブではない。
CDだ。
正確に言えば、そのCDに付いてくる、人気同人絵師の描いた小冊子が目当てだ。
それが欲しくて待っていたのに、いきなりこんなことを言われては不満が爆発するのも仕方がない。
先ほどの歓声以上、しかもそれとはまったく正反対な怒声が沸き上がる……。
「あー、はいはい、分かった分かった。ご近所迷惑でしょ、ちょっと静かにしなさいって」
それでも美織は動じないどころか、不敵に笑ってすらみせる。
「十分な数のCDを用意出来なかったのは謝るわ。だから、お詫びにちょっと変更するわよ」
美織が目で合図する。
司たちは頷くと足元に置いておいたダンボールを開いて、中の小冊子を取り出した。
「あんたたちが欲しがってるコレ、CDのおまけじゃなくて、今日集まってくれた全員に無料でプレゼントするわ!」
司たちは小冊子を高く抱え上げると、みんなによく見えるように大きく振ってみせる。
「ううううううおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーっ!」
その日一番とも言える歓声に、美織は「だからご近所迷惑だっつーの」と苦笑いをしてみせた。
急ごしらえとはいえ、小冊子は十分な数を用意したつもりだ。
でも、ひとりで何冊も持っていかれては困るので、ライブ会場である店内に入る際に一人一冊ずつ配ることにした。
ぱらいそは個人経営のゲームショップにしてはかなり大きく、商品を展示する什器を今日は脇に移動させているとは言え、一度のミニライブに入ることが出来る観客はやはり限られている。
そのため本当なら一回限りの予定であったライブを複数回行うことにした。
想像をはるかにこえる人数の集まりにあたふたしたのは否めない。それでもぱらいそは精一杯の対応をやっている。あとはライブを成功させるだけ……の筈だったのだが。
「おい、ちょっと待てよ、お前ら!」
入り口で小冊子を入場者に配っていた九尾が突然声を荒げた。
声を掛けられたのは、九尾よりも年上の二十代前半の男たち。
小冊子を手にして、今まさにぱらいそから出て行こうとしているところだった。
「あ? なに? 何の用?」
「何の用って、お前ら、ライブ見ていかないのかよ!?」
「ライブねぇ」
男の一人が振り返りながら、口元を卑しく歪ませた。
「ライブっつーても、素人なんだろ? 見る価値なんてないんじゃね?」
「それよりも近くの別の店に、アイドルのりさりんが来てるらしいじゃん? だったらそっち観に行くのが賢いでしょ」
「そうそう。そもそもオレたちってこれを手に入れるために来ただけだから。ライブなんてどうでもいいんだよ」
男たちが小冊子を振り、小馬鹿にしたようにくっくっくと嗤う。
「おい、ふざけんな! つかさちゃんたちがこの日の為にどれだけ練習したと思ってるんだ!」
「そんなの知らねぇよ。てか、なんなんだ、この店。お客様をお前呼ばわりとか、ふざけてんの?」
「俺は店員じゃねーよ。ぱらいその為にボランティアでやってるんだ」
「んなの知るか。とりあえずどけよ」
押しのけられそうになるのを、九尾は意地になって堪えた。
「どけ!」
「どかない!」
入り口で繰り広げられる押し問答に、やがて周りの雰囲気も剣呑なものとなってざわめき始める。
「ちょっとー、なにやってんのよ!?」
さすがに事態を重く見たのか、美織がステージの上からマイクで話しかける。
「こらー、九尾、そんなところでゴチャゴチャやってたら、お客様が入ってこれないでしょーが!」
「んなこと言っても、こいつらがライブを見ずに帰ろうとするから……」
「見たくない人に見てもらっても嬉しくないわ。帰りたいって言うなら帰らせなさい!」
「え?」
意外な美織の返答に思わず言葉を失う九尾。
その肩を男たちの一人が力強く押した。
「へっ! ほら見ろ、お店の人もそう言ってんじゃねーか」
先ほどまでと違って踏ん張りが利かずによろける九尾の脇を、男たちが嘲りの感情を顕わにして通り過ぎる。
男たちが意気揚々と外へ出て行くのを、九尾は悔しそうに見つめるしか出来なかった。
「おい、お前らも律儀に見たくもないライブを見なくてもいいんだぜ? なんせお店の人がそう言ってるんだからよ!」
「なっ!?」
それでも退出する男たちが最後に店内に向けて放った言葉には、さすがに頭にきた。
ぎゃはははと笑う男たちの後ろ襟を掴まえて、地面に押し倒してやろうかと右手を伸ばそうになる。
「……んー、見なくてもいいんならオレも」
「貰える物は貰ったしなぁ」
「正直、ライブの方はあんまり……」
しかし、周りの反応が九尾を思い止まらせた。
「え? ちょ、ちょっと……」
「悪いけど、オレたちも出るわ」
戸惑う九尾をよそに、ぞろぞろと数名の客が外へと出て行く。
それが引き金になったかのように、店内全体に動揺が走った。
きょろきょろと周りの反応を見回す者。
ヒソヒソとどうするか話し合う二人組み。
一番前に陣取ることが出来た男も、バツが悪そうにステージ上の司たちから顔を背けながら、いそいそと帰り支度を始める。
「……店長」
その光景に堪らず司は、隣に立つ美織の横顔を伺った。
「……」
一見すると表情はいつもと変わらない。不義理な客たちを呆れたような様子で、冷静に状況を見守っているかのように見えた。
「……あ」
ただ、降ろしたマイクを持つ右手がかすかに震えているのに、司は気付いてしまった。
やはり美織とて悔しいのだ。
自信満々に「見たくない奴は見なくていい」と言い放ったものの、これだけの反応をされるとさすがに後悔もしているのだろう。
自分たちは確かにアイドルじゃない。
ライブにそれほど期待はされていないのも分かっている。
でも、この日の為にみんな一所懸命になって頑張ってきた。
その努力の成果を見ずに全てを否定されたかのような今の光景は、寂しいし、悔しくてたまらない。
かと言って、今さら「見ていけ!」と前言撤回できるほど、美織のプライドは薄っぺらくはないのだ。
だから今はただじっと、余裕を装って見守るしかない。
「美織! いいのかよ、このままじゃみんな帰っちまうぞ!」
「……いいのよ、好きにさせておけば」
「でも、美織ちゃん、あたしたちあんなに頑張ったのに……」
「そんなのお客さんには関係ないでしょ、葵。見たくないものを、私たちの都合で無理矢理見せるわけにはいかないわ」
「なっちゃん、あんまりこういうのは楽しくないかな」
「……」
奈保の呟きに、強気な美織も返答につまる。
「美織ちゃん……」
「……だって、仕方ないじゃない」
慰めるような久乃の呼びかけに、美織らしくない言葉がとうとう零れた。
その瞬間、みんなも美織の気持ちを察したのだろう。
あのワガママやりたい放題な美織が「仕方ない」と我慢をしているんだ。何を言っても、今は美織を苦しめるだけになる。
だから美織と同じく忸怩たる思いで、目の前でひとり、またひとりと立ち去る客の姿を黙って見送ることにした。
だけど。
『ゲームを始めよう~♪』
ざわめく店内に、ソプラノの歌声が突然流れ始めた。
と言ってもライブが始まったわけでもない。事実、演奏は流れていなかった。
つまりはただのアカペラ。
『僕らはいつだって♪』
それでも思わず誰もが動きを止める。
帰ろうかどうか悩んでいた者も。
今まさに店を出て行こうとしていた者も。
悔しさに小冊子を配る手を震わせていた九尾も。
そしてステージ上の美織たちも。
声を出すどころか、息をするのも一瞬忘れて、突然聞こえてきた心地の良い歌声に、その声の持ち主に振り返る。
『共に旅し、時に競って♪』
ライトスポットで眩く照らされた急造のステージ。
そのステージに立ち並ぶ、今日の為に作られた衣装を身に纏ったぱらいそスタッフ。
彼女たちも呆然と注視する中で。
ひとりの女の子が、マイクを胸にぎゅっと握り締め。
目を瞑り、頬を緩ませ、気持ち良さそうに。
歌っていた。
『今日も楽しめる~♪』
司だった。
「……久乃! これ、外へのスピーカーで流せる!?」
「ええっ!? 外のスピーカーって、あの自治体から頼まれたヤツかいなぁ。そりゃあ出来るけど、そやけどそんなことしたら近所迷惑で苦情がくるでぇ?」
「構わないわ。今すぐ流して! 早く!」
美織に急かされて、久乃が慌ててステージからはけていく。
司の独唱は続いていた。
さっきまでは騒がしかった店内に、今や司の歌声だけが鳴り響き、誰もがこの突然の歌姫に釘付けになっていた。
『ゲームを楽しもう~♪』
そしてその歌声は店内だけでなく、屋上に設置されたスピーカーから外にも流れ始める。
ぱらいそのミニライブに集まってきた者たちならばともかく、多くの人は誰しもが一体何事だと驚いたことだろう。
だけど、嫌な気分にはならなかった。
むしろ奇麗なソプラノなのに、どこか力強さも感じる不思議な感覚に、誰もが耳を、心を奪われた。
「これは……」
それは黛とて同じだった。
ぱらいその様子を集団から少し離れたところから観察し、どうやらライブそのものよりも小冊子を目当てに多くの人が集まってきたこと、そしてライブを見ずに帰ろうとする人がかなりの数いて、今回のイベントがぱらいその人気上昇に必ずしも繋がったとは言い難い結果に終わったようだと結論付けようとしていたところだった。
『僕らの天国はここにあるよ~♪』
ひとしきりサビの部分を独唱すると、司はふぅと軽く息を吐き出し、かすかに高揚感で赤味かかった頬を緩ませ、閉じていた瞳を開けた。
その場にいる全ての人の視線を受けて、緊張しないと言えばウソになる。
でも、それ以上に今はずっと心が高まっていて、自然と零れる笑顔で高々と宣言した。
「お待たせしました。ぱらいそミニライブ、もうすぐ開幕です! みなさんどうか楽しんでいってくださいね!」




