第四十四話:心を響かせて歌え、愛の歌
最近、ぱらいそが何かおかしい。
ぱらいそが生まれ変わってからほぼ毎日通っているヘビーユーザーの九尾は、その微妙な変化を感じ取っていた。
具体的に言うと、例えば久乃の姿をあまり店頭で見かけなくなった。
体調でも崩して休んでいるのかと思っていたら、大量の買い取りや販売で忙しくなると店頭に出てくる。どうやらカウンター奥の事務室で仕事をしているらしい。
もちろん店舗運営にはお客様に見せる必要のない仕事もあるだろうし、今までだって事務室に引っ込んでいることは少なからずあった。
でも、出勤しているのにほとんど姿を現さないなんてことは、これまでなかった。
加えていざ店頭に出てきても、どこか疲れているような、やつれているような印象を受ける。
店長の美織は基本的に一日中客とゲームをしているし、他のスタッフはみんなアルバイトのぱらいそ、どう見ても実質的な運営は久乃の手腕によるものだ。その久乃が事務室に籠もりきりで、しかも何か大変そうな様子に、九尾はどこか嫌な感じを受けた。
たしかに例のライバル店のアイドルイベントによって、週末はおろか、夏休みだと言うのに平日も最近のぱらいそはどうも客の入りがイマイチに見える。
それでも昔の、だらけたバイトたちがやっていた頃と比べると全然マシなのだが、不安は拭いきれなかった。
そして、やつれたと言うか、元気がないバイトと言えば……。
「ところでつかさちゃん、最近妙に疲れてない?」
カウンター越しに司たちと当たり触りない会話をしていた九尾だったが、やはり気になってここ最近思っていたことを尋ねてみた。
「えーと、そ、そんなことないですよ?」
司は否定するも、夏休みが始まった頃はとても張り切って頑張っていただけに、最近はその時の疲れが一気にきたのか、九尾にはどこか辛そうに見えた。
九尾がぱらいそに通う理由のひとつは、言うまでもなく女装した司、つかさちゃんに会うことにある。だからつかさちゃんが休みの日は、お楽しみが減ってしまって物足りない。でも、無理をして欲しくもなかった。それこそ過労で倒れて長期休養なんてなったら目も当てられない。
「本当に? 無理は」
「そうなんだよ、実はめっちゃ疲れてるんだよぅ」
無理はしないでおくれよと気遣いの言葉をかけようとしたら、横から葵が割り込んできた。
「おう、葵には聞いちゃいねぇよ」
「えぇ~。なんだよぉ、その扱いの違いはー」
「てか、お前はいつもだらぁ~としてるじゃん」
「いつもじゃないって、ちゃんと忙しい時は身体に鞭打って働いてるし」
でも今は忙しくないから~と葵はぐてっとカウンターに上半身を投げ出した。
先日美織から言われた事を忘れたかのようなこの態度、葵はどうもそういう意識に欠けているところがある。
「ったく。で、つかさちゃん、本当は夏バテとかじゃないの?」
葵のだらけた姿に呆れつつも、九尾は心配そうに司の身体を気遣う。
下心あっての言葉ではない。純粋に心配だったのだ。
「ううん、違いますよ?」
「無理しちゃダメだよ。なんだったらオレがバイトを代わってやってもいいから」
「え? でも、ぱらいそは女の子しかバイト出来ないですから……」
「わはは、この九尾、つかさちゃんの為なら女装のひとつやふたつ、どうってことない!」
女装って言葉に司は一瞬ドキっとするが、もちろん、九尾に他意はない。それぐらい貴方のことを気遣っておりますよという紳士な心によるものだった。
「あ、ははは。でも、ホント大丈夫ですから」
お気遣いありがとうございます、と頭を下げる司。
事実、夏バテや体調不良というわけではない。
が、疲れているのは本当だった。
そして意外かもしれないが、葵も正真正銘、疲れていた。
それは全てあの日、美織が言い出した夏イベントの、特訓のせいだった。
★★★
「ライブって……え、なんで?」
美織の突拍子もない宣言にしばし呆気に取られた後、代表するかのように司がみんなの頭の中に浮かんだ当たり前の疑問を口にした。
「はぁ? なにあんた、そんなことも言わなくちゃ分からないの?」
「……えーと」
理不尽な反応にさすがの司も言葉につまる。
今回はさすがに司だけはない。葵たちも、意味が分からなかった。しかし口にするのはなんだか癪に触って無言で成り行きを見守った。
その様子に状況を察した美織は、
「しょうがないわねぇ。いい、私、気付いたのよ。今のぱらいそには大切なものが欠けていたことに」
と言って司たちに背を向けると、店内を見てみなさいとばかりに両手を大きく広げた。
どうやら答えは店内を見回して自分たちで探せ、ということらしい。
(欠けているって……正直、足りないものばっかりだよね?)
(スタッフの人数も今のままじゃ厳しいよな)
(値段の見直しって今のペースでいいんでしょうか? もっとこまめに値段変更したほうがいいような気がしますけど)
(なっちゃんは古くなった什器が気になるなぁ)
(人気ソフトの入荷数も少ないってお客さんから文句言われることもあるんだけど)
(それは実績配分とか色々あるからしょうがないんやぁ。それよりうちは美織ちゃんに常識が欠けているのが一番問題やと思うんやけどなぁ)
(あはは、言えてる~)
「……あんたたち、聞こえてるわよ」
みんなのひそひそ話をジロリと睨み付けて押し黙らせると、美織は大袈裟に溜息をついてみせた。
「まったく、揃いも揃ってみんなダメダメね。しょうがない、だったらこれでどう?」
皆が答えを求める中、しかし美織は無言のままカウンターへと足を運ぶ。ほどなくして店内に有線のJポップが流れ始めた。
なるほど、全然分からん!
「……いや、これでどう? と言われても」
司の言葉に、他のみんなも同じように頭をかしげる。
「マジで!? あんたたち、それでよくゲームショップで働いているわね?」
「うちは美織ちゃんに無理矢理付き合わされとるんやけどなぁ」
「オレも美織に騙まし討ちみたいな方法で雇われたんだけど」
久乃とレンが抗議の声をあげる。
ちなみに葵は素知らぬ顔ですっとぼけて、奈保はただニコニコと笑ってみせている。美織の言葉を真に受けて頭を捻っているのは司だけだ。
「いい? 素晴らしいゲームショップに大切なもの、それは歌よ!」
これはいくら待っても答えなんて出てきそうにないと悟った美織は、仕方ないとばかりに答えを言った。
「歌なら有線でええんとちゃうん?」
「違うの! 私が言っているのは、お店の歌! ぱらいそのテーマソングが必要なのよ!」
「「「「「「はぁ?」」」」」」
一斉に「こいつなに言ってんの?」という反応を見せる司たちをよそに、美織は幾つかの大型量販店や有名ゲームショップの歌を口すさんでみせ
「ホント、今までどうして気が付かなかったんだろ、こんな大切なこと」
と拳を握り締めた。
「……えっと、本当に大切なん、それ?」
「当たり前よ! 久乃、音楽の力の偉大さを知らないの?」
美織によると音楽は世界をひとつにし、宇宙人を改心させ、そしてゲームショップでは客の購買意欲を促進させるのだと言う。
「とある漫画家の先生も『ハ○ーソフ○ップワールドの曲を聴くと何か買わなくちゃって気になる』と言っておられるわ」
ああ、たしかに。
「でも、ライブをするってことは、それをあたしたちが歌うの!? なんで?」
「ふふん、そんなの決まってるじゃない」
不敵な笑みを浮かべる美織。
「あっちがアイドルを担ぎ上げるのなら、こちらは私たちがアイドルになってやるのよ!」
あっちとは言うまでもなく、ライバル店のアイドルのことだ。
そう、つまりはぱらいそテーマソングの必要性を説きながらも、その実は単なるライバル店への敵対心剥き出しの企画であった。
「あー、なるほど、さすがは美織ちゃん。アイドルにはアイドルをって……アホかーっ!」
あまりのことに葵は思わずツッコミボケ。
「アホはあんたよっ!」
美織がさらに葵の頭をぺちんと叩き、さらにツッコミを入れた。
その様子に「ほほう、なかなか」と感心する久乃……関西人の性だろう。
「葵、雇い主をアホ呼ばわりとはいい根性してるじゃない」
「それはこっちのセリフだよ。相手はプロだよ? 敵うわけないじゃん!」
「そんなのやってみなきゃ分からないわよ。昔と違って今や一億総アイドル時代、私たちにも勝機はあるっ!」
「無いよ、無い無い。相手はテレビにも出ている全国区のアイドルだよ? 対して私たちは普通の女の子、どうやって勝つって言うのさ?」
葵の意見はもっともだ。
普通に考えて勝ち目はない。
「分かってないわねぇ、葵」
でも美織の辞書に普通とか、常識とかって言葉はない。異端児の発想はここでもぱらいそに一打大逆転のナイスアイデアを……。
「そこを何とかして勝つのが燃えるんじゃないっ!」
「なんにも考えてないんかいっ!」
今度は葵がツッコミを入れる番だった。
「おいおい、さすがにこれは無茶じゃねーか?」
「そうそう、レンちゃんも言ってやって!」
黙って話を聞いていたレン――と言うより、あまりの馬鹿げた話に半ば放心状態だった――が異を唱えるのを、葵が応援する。
「あら、戦わずして負けを認めるなんて、あんたらしくないわねぇ、レン」
「ぐっ! しかしだな」
「アイドルも格闘家も大切なのはここでしょ?」
美織が自分の薄い胸に親指を突き立てた。
「相手が強ければ強いほど、それを乗り越えようと心が沸き上がる……あんたもそういう人間だと思っていたけど違うの?」
そんな挑発的なことを言われては、レンも黙るしかない。
「でも僕たちがいくら頑張ってもあちらはホンモノのアイドルですよ? 日頃からレッスンとかで凄く努力していると思うんですけど……」
「おっ、待ってました、司クン。君なら美織ちゃんの暴走を――」
「だったら私たちもあちら以上に死に物狂いで練習すればいいだけでしょ。簡単じゃない」
司ごときに美織を止められるはずもなかった。
「と言うか、どうしてそのライブを開くことが僕の弱点克服に繋がるのかもよく分からないんですけど……」
「ふふふ。それはやってみれば分かる、とだけ答えておこうかしら」
「……」
おまけに重要な答えをはぐらかされても、司は追求することも出来ない。
「んー、でも、ぱらいそのテーマソングって、どうするつもりなのかなぁ?」
奈保の素朴な疑問に、葵が「それだ!」とばかりにポンと手を打つ。
「美織ちゃん、幾らかかるかは分からんけど、音楽家の人に依頼するような予算はさすがにないでぇ」
久乃の現実的な指摘に、葵が「そうだ、そうだ、そんな予算があったら私たちの時給をあげろ」とドサクサに紛れた賃上げを要求する。
「任せなさい、久乃。みんなも見てみなさい」
しかし、美織は自信満々にスマホを取り出して操作をすると、画面を見せ付けるように皆のほうに向けた。
さすがは美織、すでにぱらいそのテーマソングを作ってきていたとはっ!?
「……って、なにこれ?」
「はぁ? 歌詞よ、歌詞。決まってるじゃない!」
「これが歌詞かよ! 『毎日ゲーム、天国だ』って、ダメ人間の日記じゃねぇか!?」
「うっさいわねぇ。ゲームショップで流れる曲なのよ? ゲームがいかに素晴らしいかを伝えて洗脳、じゃなかった、遊びたくなるような歌詞を考えたらこうなったのよ」
美織の自信作らしいが、どうにも不評であった。
「……あー、ちょっと質問があるんやけどええかなぁ?」
とそこへ久乃が嫌な予感を隠しもしない表情で美織に疑問を投げかける。
「これ、歌詞だけなん? 曲はあらへんの?」
「うん」
「うん、って……曲がないと音楽じゃないやん?」
「そうね。だから作曲は久乃、あんたに任せる!」
さも当たり前のように命じる美織に、久乃はやっぱりそう来たかとがっかり肩を落す。
「あんなぁ、美織ちゃん、さすがのうちでも作曲なんてやったことないで?」
「でも出来るでしょ? 久乃ってピアノも弾けるじゃない」
「ピアノが弾けるのと作曲出来るのは違うんとちゃうかなぁ」
「そうでもないわよ。とあるアイドルアニメでは、ピアノが得意な高校生の女の子が神曲を量産してたもの」
だから久乃も出来るわよと真顔で言ってのける美織に、久乃はただハァと溜息をつくばかりだった。
「ちょっと、ちょっと、それはアニメの話じゃん。現実的に久乃さんにそんなことが……」
「出来るわよ。だって久乃、なんでもできるから」
さらりと言ってのけた美織の言葉を受けて、みんなの視線が久乃に集まる。
確かにぱらいその経理一切を一手に引き受け、接客もこなし、みんなの料理まで作る。そう言えば美織とレンのゲーム対決の時にはトラックまで運転していた。
そんなマルチな活躍を見せる久乃、しかしさすがに作曲までは……
「しょうがないなぁ、やればええんやろ」
どうやら出来るらしい。
と言うか、久乃は知っているのだ。美織が一度強い意志を持ってやると言い出したら、そう簡単には覆せないことを。
ましてや今回は水着イベントみたいな咄嗟の思いつきではない。おそらくはライバル店がアイドルを担ぎ上げてきた時から、この展開を考えていたのだろう。だから既に歌詞まで作ってきている。
間違いなく、本気だ……。
こうなったら素直に従うしかない。美織との長年の付き合いで培ったカンが、出来る出来ないではなく、必ずやらされるというゴールしかないということを告げていた。
「はい。そういうことで久乃は作曲をするとして、次に奈保、あんたはダンスの振り付けを考えなさい」
「ふえ? なっちゃんがダンスを考えるの?」
「そう。あんた、エアロビクスとかやってるでしょ」
美織の言う通り、奈保はそのプロポーションを保つ為にエアロビクスやら毎朝の軽いランニングなどを欠かさない。
「この中でリズム感が一番あるのはあんたよ。だからダンスはあんたに任せた。それからレン」
美織に名を呼ばれてレンが一瞬びくんと身体を震わせた。
「お、おい、オレは作曲とかダンスとか出来ねぇぞ」
「分かってるわよ。あんたにやってほしいのは、私たちのトレーニング」
美織がみんなを見渡す。
「私たちを鍛えて。なんせ歌いながら踊るんだから、基礎体力をつけないといけないでしょ」
「ああ、それぐらいなら」
構わないとレンが頷く様子に美織は満足して首を縦に振ると、立て続けに自分が衣装を作ること、夜も毎日みんなで仕事が終わってから発声練習とダンスレッスンをすることを勝手に決めていった。
「ああっ! ちょっと、みんな。もう一度よく考えようよぅ? どう考えても無理だって」
唯一葵だけが最後まで抵抗を続けようとする。
美織ほどではないしろ積極的な性格の葵にしては珍しいことだ。
「……葵、あんたらしくないわねぇ。どうしてそこまで反対するのよ?」
だから、そのあまりのしつこさに美織が理由を問いただすと。
「だって」
葵がこれまた珍しく恥ずかしそうにモジモジしながら、消え入るような声で言った。
「あたし、すっごいオンチなんだよ……」




