第四十一話:アイドルマスター
「うわぁ……」
目の前に広がる光景は司の想像を遥かに超えていた。
土曜日のお昼三時。
本来なら当然ぱらいそでバイトしている時間帯。
が、九尾によってもたらされた情報と、お店の状況から、司と奈保は美織から別の仕事を承ることになった。
――敵状視察である。
「ひやぁ、すごい人だかり」
「うん。オープン記念の時よりも多い……」
ふたりがやって来たのは、自転車で数分のところにある巨大複合店。かつて司が開店に駆けつけたお客様たちにぱらいそのチラシを配り、そして黛たちに捕まった、あのライバル店だ。
司がここを訪れたのは、例の日以来のこととなる。あの時、店内にいたのはほんのわずかの時間だった。だから店内のレイアウトとかはほとんど覚えていない。覚えているのは、多くの客が列をなして並んでいる光景だけだった。
だが、今、目にしている光景は、開店当時の記憶をはるかに上回っている。
見渡す限り、人、人、人……。まるで通勤ラッシュ時の電車のように、店内をお客が埋め尽くしていた。
「うーん、だけどこんなに人が多いと肝心のものがよく見えないねぇ」
「人混みを掻き分けて前に行きましょうか?」
「そうだ! 何か買えばいいんじゃない? そうすれば自然とレジに行けるし!」
「でも、それだとどれだけ時間がかかるか……」
押し合う人混みの中に、会計をしようと列を作る一団がある。列はつづら折りに何度も蛇行し、遠く向こうに「最後尾」と書かれたプレートが掲げられているのが見えた。今から並んでもかなり待たされそうだ。
「それもそうだねぇ」
美織から何時までに帰って来いという指示は受けてない。
けれどいくら敵状視察と言えど、長くお店を抜けたくはなかった。出来れば早く見るものを見て戻りたい。
と言うか、本来ならこの繁盛ぶりを見るだけでいいんじゃないかと思う。
土曜日のお昼なのに、ぱらいそにお客様はまばらで、こちらにはこんなに集まっている。
それが全てで、理由もすでに分かっている。
対抗策は……思いつかないし、例えこの現象の理由を見たところで閃くとも思えない。
でも、別に焦りはしなかった。
この騒ぎは一過性のもの。しばらく猛威を振るうものの、過ぎ去ってしまえば、いつもの日常が戻ってくると司は思っていた。
「じゃあ仕方ない!」
そんなわけでいまひとつ乗る気になれない司の側で、奈保がぽんと手を打つと
「つかさちゃん、合体しよう!」
突然そんなことを言って、その場にしゃがみこんだ。
「え? あ、あの?」
「あ、合体と言ってもえっちぃことじゃないよ?」
「それは分かってますよっ! って、そうじゃなくて……あの、なっちゃん先輩がしゃがみ込むってことは?」
「うん。なっちゃんがつかさちゃんを肩車してあげよう!」
年上として当然だよーとしゃがみながらニコニコする奈保に、司はそれでもやはり困惑を隠しきれなかった。
確かに奈保はつかさよりも数歳年上だ。けれど、今は女の子の格好をしているとは言え、司は間違いなく男の子。肩車をするのなら、司が奈保を持ち上げるのが道理だろう。
「だ、ダメですよ。なっちゃん先輩こそボクの上に乗ってください」
「うーん? でもなっちゃん、絶対つかさちゃんより重いよ?」
ちょいちょいと奈保が人差し指で手招く。意味を察した司は中腰になりながら、しゃがんだ奈保の耳に自分の体重を囁いた。
よくよく考えたらそんなことをしなくても堂々と打ち明けてもいいようなものだけれど、格好が格好だからだろうか、なんだか人前で話してはいけないような気がしたのだ。
司は気が付いていないが、着実に男の娘化が進んでいるようだった。
「ほら! やっぱりなっちゃんが下だぁ!」
「ウソ!?」
秘密の囁きを聞いて何故か嬉しそうにする奈保を、司は驚きの目で見下ろす。
身長は……たしかに司のほうがやや低い。身体つきは……司は細身だ。
と言っても、なんだかんだで司は男の子。背が小さくて、細身だけど、ちゃんと筋肉はある……つもりだ。筋肉は重い。だから体重では司の方が……。
「なんせなっちゃんにはこれがあるからね!」
奈保がどうだとばかりに胸を張る。
……忘れていた。
「てことで、ほらほら、早く乗りなぁ、おぜうせん」
奈保が自分の肩をぽんぽんと叩く。さらに「それになっちゃんが見るよりも、つかさちゃんが見た方がいいと思うんだ」なんて言われたら、司にはどうしようもなかった。
恐る恐る奈保の肩に跨る。
「ちゃんと頭を持ってバランスを取ってね。じゃあ行くよー」
奈保が勢いよく立ち上がる。
司の目の前の視界が一気にぱあぁと広がり、数メートル離れたレジの様子がよく見えた。
「……凄い」
思わず司の口から感嘆の言葉が零れる。
店内の混雑ぶりとは逆にレジ前は整然としており、落ち着いた雰囲気が漂っていた。
本来、これだけのお客様が列を作ると、お店側としては嬉しい反面、早く捌こうとせっかちになって対応が雑になりやすい。なのに店長の円藤は勿論のこと、他のバイト達も満面の笑顔を振舞いつつ、丁寧な接客をこなしている。
それだけでも十分に凄い。
でも、奈保に肩車してもらった司の目を釘付けにしたのは彼らの姿ではなかった。
今回の視察の標的であり、これほどのお客を集めた原因である一人の女の子……誰よりも忙しいはずなのに、店内でもっとも笑顔を輝かすスタッフに、司は一瞬にして心を奪われた。
小柄な女の子だ。
腰なんかちょっとした拍子に折れそうなぐらい細い。
シュシュでポニーテールに纏められた髪の毛が、お辞儀をする度、軽やかに背で躍動する。
にこやかに微笑む大きな瞳と、可愛らしさをさらに引き立てるえくぼ……このコンビネーションに迎え入れられては、どんなに待たされてもその苦労も一瞬で癒されてしまいそうだ。
「これが、アイドル……」
今朝、九尾が慌て駆けつけて持ってきてくれた情報、それは今をときめくトップアイドルの琴葺理紗がこの夏、ライバル店のイベントで週末限定のアルバイトをするというものだった。
大手とは言え、思い切った戦略である。
それだけぱらいそを意識している、ということだろうか。
なんせぱらいその売りは買取キャンペーンなども大きいが、一番のポイントは「メイドゲームショップ」という点だ。可愛い女の子をバイトに採用して集客する、最初は戸惑う客も多かったものの、明るい笑顔と、親しみを覚えてもらう接客姿勢でリピーターを着実に増やしていた。
が、ライバル店にホンモノのアイドルがいるとなると、話は全く変わってくる。
当然、大勢の客が一目見ようとライバル店に押し寄せるだろう。結果として、ひと夏の間とはいえ、ぱらいその客が奪われてしまうのは必然だ。
確かに驚いた。でも、司は先にも言ったように楽観視していた。
何故ならアイドルを雇うと言っても、所詮はひと夏限りのこと。イベントが終われば、アイドルはお店を去り、状況は夏の前に戻るだけだからだ。
それにぱらいそのスタッフだって決して負けていないと内心では思っていた。
仲間故の贔屓目かもしれないが、たとえルックスでも決して大きく引けを取らないだろう。
スタイルで言えば、レンや奈保に勝てる者はそうそういないはずだ。
おまけに着ている服に至っては、ぱらいそは一人ひとりの魅力を存分に引き出す(と美織が力説する)オーダーメイドのメイド服。アイドルと言えど、仕事中は普通のお店の制服だから、このアドバンテージは大きい。
アイドルと言えど所詮は自分たちと同じ年頃の女の子、それに外見が可愛いだけで、接客に大切なものが欠けていてもおかしくない。
最初こそ珍しさに客を取られるだろうが、案外すぐに挽回できる、はず。
それがこの情報をもたらされた時の、司の素直な感想だった。
だから美織から敵状視察を命じられ「アイドルってのをよーく見てくるように」と言われても「あんまり興味はないんだけどなぁ」と考えていたのだが……。
「アイドルって……凄いんだ……」
奈保に肩車され、数メートル先で懸命に働いている女の子の姿に、司は考えを改めさせられた。
ルックスも、スタイルも、制服も負けてはいないという予想は覆えていない。
「なのに……ボクたちよりずっと……」
笑顔も、接客も、挨拶も。
全て彼女の方が上だった。
この数ヶ月の実務を経て、司とて接客にはそれなりの自信がついてきたところだ。
でも、彼女ほど全力で笑顔を振る舞い、お客様ひとりひとりに心から感謝を伝えられているとは到底思えない。
アイドルなんて、ただ可愛いだけだと思っていた。
が、違った。
可愛い上に、全力で自分の出来ることを精一杯やって相手を魅了する……接客のプロだった。
「おーい、そこの可愛い女の子!」
想像と全然違った衝撃と、自信喪失でぼんやりとしていた司に、その当の本人がにこやかに手を振って呼びかけてくる。
「りさりんを見にきてくれたのは嬉しいけど、肩車は危ないよー?」
目の前のお客様にしっかり対応しながら、周りもよく見えている。
完敗だった。




