第四十話:夏イベントが決まらない
「んじゃ、朝のミーティングを始めるでぇー」
さて、仕事に馴れてだらけてきた状況を改善し、ついでに水着姿でエロいお客を取り込もうという美織の夏イベント案が脆くも崩れ落ちてから数日後、もうすぐ夏休みも始まる七月の中旬の土曜日。
久乃の呼びかけに、店内のあちこちでそれぞれの開店作業をしていたみんながカウンターへと集まってくる。
平日は学校があるから、開店時のスタッフは美織と久乃のふたりだけ。
が、今日は土曜日。学生も期末テストから解放されて大勢お店にやってくるだろう。というわけで本来なら休みの久乃も加わり、スタッフ全員が朝からシフトに入っていた。
しゃきっと背筋を伸ばすレンと、眠そうな様子でぐでーとしている葵。
司が顔を赤らめているのは、隣りで無防備なビキニ姿になってニコニコしている奈保のせいだろう。
約一名やる気を感じられない者がいるものの、ぱらいそスタッフ全員集合を前に美織はこほんとひとつ咳をつくと一気に
「諸君、夏のイベントは好きか!?
私は好きだ!
夏休みで暇をもてあます輩を集めての、普段は出来ない大規模なゲーム大会が好きだ!
在庫を持て余したショップが大幅値引きで売り出すサマーセールが大好きだ!
どうせ当たりなんて入ってないんでしょと思いつつ、もしかしたら本体や最新ソフトが当たるかもしれない福引を、ワクワクしながら開く瞬間などたまら――」
「「「「「うるさい!」」」」」
まくしたてようとして、全員からつっこまれた。
「朝からテンション高すぎだろ!」
「しかもなんか妙に毒入っとるやん」
「ハイハイ! 夏のイベントと言えば、なっちゃんはひと夏のアバンチュールだなと思います!」
「……眠い」
非難轟々である。が、だからと言って、そんなことでたじろぐ美織ではない。
「なによ、あんたたち! 夏よ、夏、テンションあがるでしょ! もともと私は毒吐きキャラでしょ! ゲームショップでアバンチュールは無理があるでしょ! てか、葵、寝るなっ!」
一息で四人全員に反論する。
なお、話が早くも脱線したという自覚は、美織にはない。
「……えっと、つまりやっぱり夏イベントをやりたい、と?」
だから司がすかさず話の流れを戻した。
「そう! 『ドキッ、水着だらけのぱらいそ店員。ぽろりもあるかもよっ!』が挫折した以上、私達は早急に代わりの夏イベントを考えなきゃいけないの!」
何故なら夏だからと美織が熱弁を振るう。理由になってない。
ちなみにお蔵入りになった水着イベントだが、ぽろり担当は言うまでもなく司である。
「懲りないヤツだなぁ。そもそも夏イベントと言っても、この店、毎日がお祭みたいなもんじゃねーか」
レンの言葉に、美織を除くみんながうんうんと頷く。
色とりどりな衣装に身を包んだメイドが店員で。
買取倍増キャンペーンと称するゲーム対決が常に開催されていて。
例の対決動画を見た『スト4』の猛者たちが全国からやってくる。
みんなが何を今さらと思うのも仕方がない。
「何言ってんの。そんなの、当たり前じゃない。だって私の店なのよ、毎日がお祭り騒ぎでなくてどうするの!?」
しかし、美織はしれっと言い放つと、だからこそ夏はさらに盛り上げないとダメなのと意気込んだ。
そんな美織を司たちは「困った人だなぁ」と呆れ顔で見守るしかない。
「あー、そう言えばこの前お客さんに言われたんだけどねー」
と、何かを思いついたように、奈保がぽんと手を叩いた。
「新作ソフトのフライング販売をやってよって言われた。なんかねー、やってるところはやってるらしいよ?」
フライング販売……つまりは発売日前に売り出してしまうこと。
最近のゲームソフトは基本的に木曜日が発売日となっている。
だから木曜日の開店時に販売開始するには、商品は最低でもその前日の水曜日には店舗に届いていなくてはいけない。
それを利用して木曜日を待たずに販売してしまうのは勿論ルール違反……なのだが、昔からフライング販売を敢行するゲームショップは少なからずある。
何故ならそれがお店のウリになるからだ。
値段競争では資本力に勝る大手には敵わない。
利便性ではネット通販に惨敗である。
店舗独自の特典も、個人経営のお店ではなかなか実現出来ない。仮に実現できてもペイ出来る数量を売らなければ、利益を圧迫するだけに終わってしまう。
その点、フライング販売はコスト的にも労力的にもほとんどかからない上に、ルール違反であるから大手が出来ないのも大きい。小さなゲームショップが出来得る数少ない販売戦略、それがフライング販売なのだ。
だから、ぱらいそでも実行すれば武器のひとつになるのは間違いない。
間違いないのだが……。
「あー、それはあかんねんなぁ」
せっかくの奈保の提案であったが、久乃は残念そうに頭を振った。
「……やっぱりメーカーの締め付けとか厳しいからですか?」
実は司もずっと「なんでぱらいそではフライング販売をしないんだろう?」と疑問に思っていた。かつて司が通いつめていたゲームショップでは隠れてやっていたし、なにより美織のえげつない性格を考えたら、フライング販売ぐらいしれっとした顔でやりそうだ。
なのに今までフライング販売をやったことはない。
ネットで見た噂だと、そういうことをやりそうなお店はメーカーの営業がこっそり監視しに来たり、大手のライバル店がメーカーにチクることもあるそうだ。で、フライング販売がバレると、仕入れや販促物の分配にペナルティが与えられるという。
売る物がなければ商売は出来ない、さすがの美織もここは自重してルールを守るという判断を――。
「違うねん。やろうと思えば出来るねん。でもな、美織ちゃんがな、断固として聞かへんねん」
久乃が恨めしそうに美織を睨む。
「フライング販売なんかしたら、私が誰よりも早くゲームが出来ないからダメやって」
「……はい?」
久乃の言葉に、司たちも美織に視線を向ける。
当の美織は白々しく口笛なんかを吹きながら、そっぽを向いていた。
「フライング販売をしたら、新品の売上げが絶対あがるねん。でもな、このワガママ娘がな、『私が働いている間に新作ソフトを、私よりも早くプレイされるなんて耐えられない!』とか言うてな、やらしてくれないんや……」
メーカーが文句言ってきても、美織ちゃんなら詭弁で押し通すくせにと久乃がさめざめと泣くふりをする。
「で、でも、それでも発売日の木曜日だって店長は働いているんだから結局同じなんじゃ……」
「……ううん、この子、水曜日の閉店後にナイショで自分だけ新作ソフトを買うてるんやで」
「なん……だと!?」
みんなの視線が呆れから怒りに変わる。
「信じられねー。自分だけフライング購入してやがったのかよ!?」
「しかもお店の利益よりも、自分の楽しみを優先させるなんて……」
「職権乱用だよっ、美織ちゃん!」
サイテーだサイテーだと連呼するぱらいそスタッフ一同。その反応は正しい。
しかし。
「うるさーい!」
今度は美織が吠えた。
「あんたたち、フライング販売はやっちゃいけないって業界のルールになってるのよ? 私はただそれを守っているのになんで怒られなきゃいけないのよ!?」
「守ってないじゃねーか。てめぇだけ前日購入しやがって」
「うっさいわねぇ。分かったわよ、あんたたちには特別に前日に売ってあげるわよ。それでいいでしょ?」
「いいわけな」
「うん。それでよし!」
反対する司を差し置いて、レンがあっさりと折れた!
「え、ちょっとレンさん!」
「悪ィな、司。オレはぶっちゃけ自分も前日に買えればそれでいいんだ」
「ふふん」
美織が得意気な表情を浮かべると、レンの腰に手をかけて自分の方へと引き寄せる。
「それから奈保、新しい水着が欲しいって言ってなかった? お店で着てくれるのなら、お店のお金で買ってあげるけど?」
「職権乱用、バンザーイ!」
奈保が諸手を上げて美織に抱きついた。
ここにきて完全に形勢逆転した美織は、ジロリと司を睨みつける。
背丈は美織の方が低いのに、それでも司はまるで自分が見下ろされているような錯覚を覚えた。
「で、司。あんたにはよーく考えて欲しいんだけど、もしフライング販売がメーカーにバレたら、私、なんて答えると思う?」
「え? えーと……」
そりゃあなんだかんだで適当に誤魔化すんだろうなぁと司は想像を巡らせる。
例えば一部のメーカーによっては、フライング販売禁止を訴えるファックスを発売日数日前に送ってくるところもある。これを逆手に取れば、その一部メーカー以外には「ファックスが送られて来なかったから」という言い訳も可能だろう。それに「他の店がやり始めてるから、うちもやったのよ。まずはあっちをなんとかしなさいよ」なんてことも美織なら強引に訴えそうだ。
「あんた、私が無茶を押し通すと思ってるでしょ? 甘いわよ、そんなことしなくても『すみません、うちのバイトが勝手にやっちゃったんです。そいつを解雇するので許して』って簡単に済ませることだって出来るのよ?」
「あ……」
「あ……じゃないわよ、ったく。あんた、一度経験済みでしょーに」
美織は呆れつつも、どうだ反論できまいと司に笑いかける。
こうなっては司も首を縦に振るしかなかった。
「水着はアカン。フライング販売は美織ちゃんの個人的な感情でやりとうない。そやかて普通のセールとかは……」
「ダメよ、そんなの。面白くないじゃん」
デスヨネーと一同溜息。
「とにかく、まだ夏休みまでしばらく時間もあることやし、みんなよく考えといてや……って葵ちゃん、聞いとる?」
久乃の呼びかけに、みんなが葵に視線を移す。
このミーティング中、ずっと静かだった葵は……
「立ったまま寝落ちって器用なヤツだな」
完全に眠っていた。
「ハァ。この前に『弛んでる』って喝入れたばかりなのに、なにやってんのよ、この子は」
美織が溜息をつく。
「なんでも漫画の締め切りが近いらしくて、最近ずっと徹夜してるんですよ……」
フォローを入れる司だったが、美織はそんなの知ってるわよといわんばかりに手をひらひらと振った。
葵の趣味、それは漫画を描くこと。
いや、趣味と言うより、葵の場合はもはや生き甲斐だった。
地方からひとり上京してきて花翁学園に通うのも、実家だと思う存分に創作活動が出来ないからだとか。
漫画を描くのに実家だと差し支えがあるとは、よっぽど実家は厳しい家柄なのかもしれない(葵を見ていると、とてもそうは思えないが)。
ま、それはともかく、夏の同人イベントに向けて作業も大詰め……。
ぶっちゃけ完徹三日目である(死ぬぞ)
「まったく誰か計画性ってのをこの子に教えてあげなさいよ」
と言いつつ、美織が葵のチャイナ風メイド服の裾を掴む。その手をちょっと上に動かしただけで、チャイナ服に隠された葵の秘密の布切れが暴露されてしまう緊急事態だ。
が、いつもなら「やらせるもんか!」と反応する葵だが、今日はいまだ夢の世界から帰って来れないらしくて全くの無反応だった。
どうやら本当に寝落ちしているらしい。
「……しょーがない、今日は休ませてあげるか」
さすがにこれでは使い物にならない。諦めるかと美織が判断したその時。
「おーい! 大変だぞ!」
店の外から誰かの声が聞こえてきた。
見てみると、九尾が店の扉をどんどんと叩いてなにやら呼びかけている。
開店前だから扉には鍵を掛けてある。だからこそ扉を叩き、大声で叫んで、中の司たちに何かを訴えているのだろう。
「あれ? もう開店時間過ぎてたっけ?」
「いや、まだ十分前なんだけど……」
もしかして開店時間を過ぎて話し込んじゃったかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。
「それにしてもえらく慌ててるみたいやなぁ」
眠っている葵を除く、ぱらいそスタッフ全員の視線を集める九尾。必死の形相で、両手で扉を叩きながら、両足もじたばたとせわしなく動かしている。
「もう、一体何なのよ、朝っぱらから」
「あ、ボク、ちょっと聞いてきますね」
軽く溜息をつく美織から言われる前に、司が小走りで扉にへばりついている九尾のもとへと駆け寄っていく。
近付いてみて分かったが、九尾は汗だくだった。
息も荒いのか、肩が激しく上下している。
どうやらこの初夏の日差しの中、ぱらいそまで急いで走ってきたらしい。
そこまでして一体何があったんだろう……と扉の鍵を開けた途端、九尾はまだ電源を入れていない自動扉を無理矢理左右に押し開けて強引に中へ入ろうとしてきた。
「あ、いや、ちょっと!」
突然のことに慌てて扉を閉めて抵抗しようとする司。
ぎゅっと顔を挟まれる九尾。
しかし、九尾はめげることなく、後ろ手に尻のポケットから何かを取り出して
「大変なんだ、コレを見てくれ!」
と、顔を挟まれた扉の隙間から、スマホを司に差し出してくる。
「え? えーと?」
変わらず九尾の侵入を阻止しつつ、司はスマホの画面を覗き込んだ。
「……え?」
思わず扉が左右に開くのを防ぐ両手の力が弱まる。
「ぶはぁ!」
故に九尾はついにぱらいそ店内への侵入を果たし、
「あ、うわああぁ!?」
その勢いのまま、あろうことか司を押し倒してきた。
「ちょ、ちょっと、九尾君!」
「ひ、ひでぇよ、つかさちゃん……俺、ぱらいその一大事を知らせる為に頑張って走ってぶはぁ!」
司に抱きつきながら息も絶え絶えに抗議する九尾の横っ面に、レンの躊躇いのない蹴りが炸裂する。
吹き飛ぶ九尾。その手からスマホが離れ、床をくるくると滑って、レンから一足遅く近づいてきた美織の足に当たって止まった。
「……」
何気にスマホを拾い上げた美織の瞳に、画面に映し出された画像が映りこむ。
「……へぇ、面白いじゃない」
その瞳が妖しく輝くのにさほど時間はかからなかった。




