第三十九話:ぱらいそエクストリーム
夏が来た。
ギラッギラの、あっつあつの夏が、ぱらいそにもやって来た。
ごく普通の、潰れかけのゲームショップから、店長である美織のやりたい放題なメイドゲームショップへとリニューアルして、すでに約四ヶ月が経っている。
メイド姿のスタッフたちでお客様を呼び寄せ、買取キャンペーンで利幅の大きい中古商品を集め、さらにはレンとの対戦に使った『ストレングスファイター4』の対戦筐体にも連日大勢のプレイヤーで盛況。
集客、買取、副収入と、ここまでぱらいそ自体はとても順調に再建の道を辿っている……のだが。
「うーん」
カウンターに頬杖をつきながら、葵は難しい顔をしながら店内のある片隅を眺めた。
「こら、仕事中やのに行儀悪いでぇ、葵ちゃん」
葵の頭を久乃がコツンと小突く。
それほど強く叩いたわけではない。
でも、葵はとても恨めしそうな表情で久乃に振り向いた。
「久乃さぁん」
「え、なんや、そんな涙目になるほど」
「あたし、悔しいよぅ~!」
痛かったん? と言葉を続けようとした久乃の胸に、葵が飛び込んでくる。
「いや、え、ちょっ、ちょっと、葵ちゃん」
訳の分からない葵の行動に慌てふためく久乃。「悔しい」とか言って泣きついてきたが、一体何がそんなに悔しいのかまったく見当がつかない。
果たしてどう声をかけていいものやら、と悩んでいると。
「ちーん!」
「こらー、うちの胸で鼻をかむなぁ」
急いで葵の頭を胸元からひっぺり返した。
「あはは、やだなぁ。冗談ですってばー」
「冗談でもやっていい冗談と悪い冗談があるんや」
久乃は両手を固く握り込むと、ぐりぐりと葵の頭を挟み込む。
「ぎゃー、いたい! いたいいたい、ごめんなさい。ホントごめんなさい。勘弁してー」
みっちり三十秒、久乃のおしおきを喰らった葵は今度こそ本当に涙目になった。
「ううっ、酷いめにあった」
「自業自得やん」
頭を抱え込んで床にぐてーと座り込む葵を、久乃は呆れた表情で見下ろす。葵の乱れたチャイナドレス風のスカートの裾から、本来見えてはいけないものがチラチラと見えた。
「で、一体何なん、さっきのは?」
カウンター内なのでお客様に葵の秘密が暴露されることはない。
が、かと言ってこのまま床にしゃがみ込まれるのも仕事中の身としてどうだろうということで、久乃は右手を葵に差し伸べた。
葵がその手を握り、立ち上がるのを機に、久乃はそもそもの発端を尋ねてみる。
「え、さっきのはって?」
「なんや悔しいとか言うてたやん?」
しれっと答える葵に、やってられんわぁと思いながらも、久乃は辛抱強く対応する。
「あ、そうそう。久乃さん、アレ、アレを見てよ!」
すると「おお、そうだ」とばかりに葵はぽんと手を打ったかと思うと、さっきまで見つめていた店内の片隅を指差す。
一昔前の携帯ゲームが並べられている一角に、司と、それを取り囲むお客さんが数名屯っていた。
「ん、つかさちゃんたちがどうかしたん?」
「どうかした、じゃないよっ! 人気者なんだよ、つかさちゃんがっ!」
「そりゃそうやろうなぁ。だってあんなカワイイんやし」
司は今もあれやこれやと嬉しそうに話しかけてくるお客さんに戸惑いながらも、作業を一時中断し、はにかんだ笑顔を振りまいている。ミニスカートの中を警戒してのことだろう、商品を持ったままの右手をさりげなく後ろに回し、お尻をガードする仕草なんかも実に恥らう女の子らしくて、さまになっていた。
「うっ! た、たしかにカワイイのは認めるよ。でもさ、あたしだってこんな格好までしてるのにっ」
葵が腰に手をあてて、スリットが強調されたチャイナドレスもどきの衣装を強調する。
「あたしには誰一人として話しかけてこないのに、どうしてつかさちゃんにはいつもあんなに多くの人が集まって来るんだよーっ」
そしておーいおいと泣き崩れた。
「んー、でも、葵ちゃんだってよくお客さんから話しかけられるやん?」
「それが違うんだよ! あたし、気付いたの。それってあたしをエサにして、実はみんなつかさちゃんとお話をしたいだけなんだよっ」
事実、葵が一緒にカウンターで仕事をしている時は、多くのお客さんがなにかと話しかけてくるものの、こうして司が売り場に出て作業していると、用事のあるお客様以外はほとんどカウンターには近寄ってこなかった(まぁ、それが普通なんだが)。
「えー、いや、別にそんなことは」
あらへんよ? と気遣おうとする久乃に、葵はぶんぶんと頭を振って否定する。
「久乃さん、知ってる? つかさちゃんってお客さんから『今日もカワイイね』とか『つかさちゃんはぱらいその天使だ』とか言われてるんだよ? なのにあたしには『葵ちゃんはいつも無駄に元気だね』なんだよっ!」
無駄にってどういう意味だーっと葵が吠える。
うん、多分そういうところなんだろう。
「ううっ、久乃さん、あたしもみんなからチヤホヤされたい……」
「チヤホヤって……」
零れ出た葵の本音に久乃は苦笑する。
久乃から見て、言うほど葵に人気がないわけではなかった。自分はつかさと話すきっかけにすぎないと主張するが、お客さんに葵を邪険にするような様子は見えない。むしろ葵の反応もまた楽しみにしているように思える。
ただ、お客さんたちも気付いているのだろう。
謙虚な性格のつかさちゃんと違って、葵をチヤホヤしても調子に乗るだけ、だと。
しかし、それはそれで葵の個性であり、司とは違う形でお客様に愛されていると久乃は思う。
むしろ問題なのは……。
久乃はチラリと司に視線を移す。
春先から変わらない、そのはにかんだ表情がどうにも気になった。
「あんたたち、最近ちょっと弛んでるんじゃない!?」
その日の夕食のこと。
葵が食卓に並んだ最後のコロッケに箸を伸ばそうとした時、美織は苦み走った顔で、そう言い放った。
「え、ウソ? 別に大丈夫だと思うんだけどなー」
珍しく奈保が真っ先に反応して、うなだれた……わけではなく、自分の首元から十センチほど下の部分を凝視する。
じー。
見るだけでは判断できないと思ったのか、今度は手で持ち上げてみた。
ぽにょん。
そして結論が出た。
「よかった、なっちゃんは大丈夫です!」
「そういう意味じゃないわよ!」
ぺしっと美織が奈保のおでこにツッコミを入れる。
「それに私が言ってるのは奈保のことじゃない。葵、久乃、あんたたちのことよ!」
「ええっ!? あたし、そんな弛むような立派なモノは」
「持ってないわよね、ええ、知ってる。てか、だからそういう意味じゃなくて、あんたたち、ちょっと仕事に慣れてきたからって、今日のは何? カウンターでふたりしてじゃれてるんじゃないわよ!」
葵のボケを遮って、美織はビシっと箸を件のふたりに向けた。
「美織ちゃん、行儀悪いで」
「久乃、私はあんたにもお説教してるんだけど……」
美織がジロリと久乃を睨む。
が、美織と付き合いの長い久乃は馴れたもので飄々と怒気を受け流した。
「ちっ」と美織が軽く舌打ちする。
「ともかく、フレンドリーな接客がウリとは言え、私達はお客様をおもてなしする立場なわけなのよ」
分の悪い相手とやりあっても埒があかないと思ったのか、葵は久乃を無視して話し始めた。
「だから常にお客様の視線ってのを意識しなくちゃいけない」
「はぁ」
「お客様と楽しそうにダベるんだったらまだいい。でも、店員だけで話に夢中になりすぎるのは、よそから見たら遊んでいるように思われてしまうの」
そんなだらけた店員が働く店って、あんたならどう思う? とばかりに美織がしばし口を閉じる。
店員が無口でつっ立ってるだけの店と比べたら肩苦しくなくていいんじゃないかなと思ったものの、それを口にしたら面倒なことになりそうだったので葵は黙っておいた。
「私はぱらいそを、お客様も、店員も、みんなが楽しいと思ってもらえるお店にしたい。でも、勘違いしないで。私たちの楽しさはお客様とのやり取りの中にある! 私たちだけが楽しいなんてのはダメなの!」
美織にしては珍しく真っ当なことを言っていた。
真っ当すぎて、本来なら「ちょっとふざけただけじゃん」って今日の久乃とのやりとりも、なんだか情けない言い訳のように思えて葵は言い返せない。
だから神妙な面持ちでコクンと頷いた。
「よし。以後気をつけるように。それから司!」
葵の反応に満足すると、美織は続いて葵の隣に座る司に視線を移した。
「あ、はい」
「さっき私が葵に言ったこと、ちゃんと聞いていたわよね?」
司は首を縦に振る。
「アレ、まったく逆のことも大切なのよ。よく考えておきなさい」
「……?」
美織の言いたいことが、司にはよく分からなかった。
一体どういう意味なのか?
司はすぐにでも尋ねるべきだったのかもしれない。
が、美織はあっさりと話題を断ち切ると、箸を握る右手を高々と振り上げて話を締めにかかる。
「おもてなしとは、お客様への気配り」
ぴかんと居間の照明に光り輝く箸の先端。
「おもてなしとは、お客様に楽しんでいただくこと」
その箸が振り下ろされるは、食卓に並ぶ『肉の九尾』特製コロッケ最後のひとつ。
この話が始まる寸前、葵が狙ったブツだ。
「だから私達は常にお客様のことを考え、全力で楽しんでもらう。そしてそれで自分たちも楽しんじゃおうってのが、ぱらいその存在意義!」
かくして見事、美織の箸がコロッケに突き刺さった。
「うわん! それ、あたしが食べようと思ってたのに!」
葵とて一応お説教を受ける身として、伸ばした箸を止めていた。そこを美織にかっさらわれた形だ。
「もぐもぐ、いい、世の中は弱肉強食、もぐもぐ、いくら調子がいいといっても、もぐもぐ、そこに胡坐をかいて怠けていたら、もぐもぐ、大切なものを忘れて痛い目にあうわ、ごっくん」
コロッケを十分に咀嚼して飲み込んだ美織は、しかしてニヤリと笑顔を浮かべた。
「てことで、今一度基本に立ち戻るべく、お客様に喜んでいただく夏イベントを開催するのはどうよ?」
「「「「「夏イベント!?」」」」」
思わぬ提案に、美織を除く五人の声がハモった。
夏イベント。
それは夏と言う戦場を制する為の秘策。
なんせ夏と言えば、学生たちが夏休みに入り、社会人もお盆休みでまとまった休暇が取れるわけで、ゲームショップにとっては年末年始に次ぐ絶好の稼ぎ時である。
夏休みセール、夏休みイベント、などなど。休暇があるという事は、それだけ暇な人が多いという事で、そんな暇人(失礼)たちを引き寄せる為に各店舗はあれやこれやと手を打つのだ。
「……って、夏イベントってもうやってるよねぇ?」
一度は驚いたものの、奈保が「あれ?」とばかりに首を傾げる。
「え? やってないですよ?」
「そうなの? 私、夕方に流れるあの放送がそうだとばかり思ってた」
言っても誰もピンとこないみたいなので、奈保はすーと息を吸い込むと
「『良い子の皆さん、五時です。遊んでいる子は、おうちへ帰りましょう』って、やるでしょ?」
と放送とやらの声真似をしてみせる。
「ああ、それは自治会から頼まれたのよ。なんでも昔から夏はうちがその放送を近辺に流す役割になっているらしくて、マンションの屋上にスピーカーが……って、なんでそれが夏イベントになるのよ、奈保?」
「だって夏しかやらないし……」
だったら夏イベントでしょ? と何もおかしなことはないと言いたげな奈保に、美織はもちろん他のスタッフたちも頭を抱えたい気持ちになった。
一応これでも大学生なんだよな、ホントに……。
「そうじゃなくて、美織はぱらいそとしての夏イベントのことを言ってるんだろ? でも、一体何をやるつもりなんだ?」
レンが奈保を諭しながらも、嫌そうな顔をした。
「そうねぇ、例えば『冷やし店員、始めました』なんてどう?」
奈保の天然ぶりに出鼻を挫かれたものの、本来の流れに戻って美織は自信満々とばかりに夏イベント案を提案する。
見事なまでに意味不明だ。
「……あの、店長、意味が分からないです」
先ほどの反省も踏まえて、司がすかさず問いただした。
「鈍いわねぇ、司。冷やし店員、つまり店員が冷やっこい姿をしているのよ。冷やっこいと言えば水着でしょ! みんな、この夏は水着で仕事をするのよ」
夏限定のスペシャル衣装としてお客様も喜んでくれるし、おまけにエアコンの設定温度も多少押さえられて省エネ&エコでお得! これぞおもてなしの心よねと美織は自信満々だ。
が。
「えー、やだよぅ。それでもクーラーが効いているんだから、お腹冷えちゃうじゃん」
「イヤなのはそこなのかよ、葵!? てか、オレもヤだな。海でもないのに水着姿だなんて恥ずかしくてやってられっか」
当然の如く、反論に遭う。
「ちょ、あんたら何言ってんの! 夏と言えば水着でしょ! 水着回のないラノベは売れないのよっ!」
「美織ちゃんこそ何言うとんの?」
「久乃、あんたまで!」
「てか、美織ちゃん、この案は却下や!」
「なんでよ?」
「あんたらも二十歳を超えたら分かる。人前で肌を出せるのは十代までやってことが、な」
てことで、美織が思いつきで言った夏イベント『ドキッ! 水着だらけのゲームショップ!? ポロリもあるかもよ?』は見事にお蔵入りとなった。
ただし、この企画をいたく気に入った者が約一名、後日自ら作った『冷やしなっちゃん、始めました』の張り紙を店先に出し、ビキニ姿でお出迎えしてぱらいそに来た者をびっくりさせている。
奈保、便利なヤツ……。




