閑話そのニ:火星の人の物語
「えっ!? レンちゃんも花翁学園の生徒なの!?」
例の戦いがあった日の夜、レンという新スタッフの加入を祝って、マンション最上部のスタッフルームで歓迎会が催されていた。
「そう。今はちょっと訳あって停学になっているけどな」
驚く葵に、レンは「こいつ、この前から驚いてばかりだな」なんて思いながらコーラを飲みつつ答える。
「あれ? そやったらなんで停学やのに漫画喫茶で寝泊りしてたん?」
「えーと、学校の寮に入ってるんですけど、色々あって居づらくなって……って、どうしてオレが漫喫で寝泊りしてるって知ってるんスか?」
「んー、九尾君から聞いたんや~」
なんでも美織に勝ってほしい九尾が、レンのことを少しでも調べようとしてつきとめたネタらしい。
「怖っ! そいつ、ストーカーじゃねぇか!」
「ちなみにその子も花押学園に通っているんですけど……ところで、あの、ひとつ聞いていいですか?」
「な、なんだよ!?」
横から会話に入ってきた司に、レンがびくっと体を震わせて身構える。
「え? あ、あの、なんで僕、そんなに警戒されているんでしょうか?」
「あ、ああ、悪い。どうもまだ信じられなくて」
レンが疑わしそうにマジマジと司を見つめる。
「あんた、本当にあのオドオドした可愛らしい店員さんなのか?」
「うっ」
見つめられた上に質問も質問なので、司が顔を赤らめて返答に困っていると
「あはは、レンちゃんが信じられないのもしょうがないよねぇ」
奈保が急に後ろから司に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと、なっちゃん先輩!?」
「だって普段はこんな坊主頭だもんー」
抱きしめられてもがく司を解放しつつも、頭をナデナデしながら奈保が笑う。
「でも、ホントにあのつかさちゃんなんですよ、これが」
「俄かには信じられねぇが……ホントにいるんだなぁ、男の娘って」
漫画やラノベの中だけの話だと思ってたと、レンは妙に感心した。
「えっと、その、勘違いしてほしくはないんですけど、別に好きで男の娘をやっているわけじゃないんですよ……」
「あ、そなの?」
「ええ、深い事情があって、実は」
「すとーっぷ!」
司が懸命に弁明しようとするのを、葵が急に割り込んできて止めた。
「司くんの事情はとりあえず置いといて、それよりもレンちゃんに聞きたいことがあるんだけど?」
突然話に割り込んできて弁明の機会を邪魔されては、さすがの司も非難めいた視線を葵に飛ばす。けれど
「レンちゃんさ、さっき色々あって寮に居辛くなったって言ってたけど、それってどういうこと?」
葵の質問に、元はと言えば自分もそれが気になって声をかけたのを思い出して、司も視線を葵からレンへと移した。
「えっと、それなんだけどさ」
「もしかして、空手部の先輩たちを倒しちゃったのって?」
言いづらそうにするレンに、葵がズバリと核心を突いた。
「あ、なんだ、知ってるんじゃねぇか」
だったら別に隠す必要はないかと、レンはまだ事情が掴めてない久乃や奈保に説明をした。大体においては司たちが学校で聞いたのと同じものだったが、ただ決定的に違う点がひとつだけ……。
「でもでも、僕たちが聞いたのは霧島恋って人だったんですけど……」
「ああ、一応霧島が本当の名前なんだけどな。でも、これって本来なら霧島流当主しか名乗っちゃいけないんだよ。今はまだ親父が当主だし、だから普段はオレ、母方の香坂の苗字を使ってるんだ」
「だけど恋って名前はなんなのさ?」
「『こい』じゃねぇよ、これは『れん』って読むの。恋愛のレンだよ。みんな、名前を見て『こい』って呼ぶけど、オレのなり見てから呼べっつーの。オレのどこを見たら『こい』なんて可愛らしい名前が出て来るんだよ?」
レンが「なぁ、あんたたちもそう思うだろ?」と同意を求めてきた。
司や久乃、奈保は苦笑いを浮かべてノーコメント。対して
「確かにねー、レンちゃんに『こい』って名前は似合わねー」
葵だけが腹を抱えて笑い始めた。
「そうはっきり言われるとムカつくぞ、オイ!」
と言いながら葵をヘッドロックにかけて、お団子をぐいぐいと引っ張るレンもまた大笑いしていた。
なんだかとても気が合いそうなふたりのやりとりに、ますますぱらいそが賑やかになりそうだなぁと司はつい頬が緩む。
それは脳裏にかすかに浮かんだ「せっかく店長が学校へ行っている間、キャンペーンを担当してくれそうな人を見つけたと思ったんだけどなぁ」という思いをかき消すのに十分だった。
と、その時だ。
「レン、いいのがあったから、ちょっとこっち来て!」
歓迎会には後で出るからと、仕事が終わるなり自分の部屋に閉じ篭っていた美織が扉から手だけ出してレンを呼んだ。
「は? なんだよ、いいのって?」
「いいから。きたら分かるっつーの!」
説明する気なんて毛頭ない美織の言葉に、しょうがねぇなとレンが席を立ち、美織の部屋へと向かう。
「で、なんだよ?」
「ゲットォォォ!」
美織の歓喜の声と同時に、扉の前に立ったレンがまるで食虫植物に捕捉されるかのごとく部屋に吸い込まれた!
「わ、一体何を?」
「ふふふ。これを着てみなさい」
「は? え、なんだ、これ?」
「わははははははは、言ったでしょ、『着たら分かる』って。さぁ、問答無用~!」
「わー、ちょっと、おい、待て。そこはオイ、ダメ。ダメだって、ああっ!」
「あははははははははははははははははははははははははは」
部屋の中から聞こえてくるレンの慌てた声と、美織のイっちゃってる笑い声。司たちの知る限り、レンは空手部の先輩たちを次々と病院送りにし、円藤すらもあっさりと関節を決めて無力化させたほどの実力の持ち主なんだけど……。
「やっぱりバーサーカーモードの美織ちゃんには勝てへんかったかぁ」
久乃がやれやれと溜息をついた。
「美織ちゃんの前世って絶対エロ親父だと思うな、あたし」
「実は司クンみたいに美織ちゃんも男の子だったりしてー」
葵も奈保も好き勝手なことを言う。おかげで「レンさん、大丈夫かな」と至極まっとうな意見を述べた司が妙に浮いてしまった。
「よーし、着替え完了! ふふふ、私の思った通りね」
「え、いや、ちょっと。これはホント、なんなんだよ?」
「なにってあんたの制服に決まってるじゃない」
「制服? どこの?」
「うちで働く制服よ! ほら、さっさと出る出る!」
美織の部屋の扉が開いた。
と思ったら、ぽーんと蹴り飛ばされるように、レンが飛び出してきた。
どう見てもレンの意志で飛び出してきたわけではない。おそらくは本当に後ろから美織が蹴りを入れたのだろう。実際、レンも部屋に向かって「いきなりドロップキックをかますんじゃねぇ」と叫び、そしてようやく気付いたとばかりに司たちに顔を向ける。
「おおっ!」
「へぇ。いいのをおもちじゃないか、おぜうさん」
「なるほどなぁ。こう来たかー」
次々に声をあげるのは、ぱらいその女性陣。
「おい、あんたら、見るなよ! ってか、司ッ!」
思わず顔を背けた司に、レンが吠える。
「まるで見ちゃいけないものを見たみたいに顔を背けるのはやめてくれぇ。それが一番恥ずかしいィィィ!」
レンが両手で頭をかきむしった。その動きに合わせて、蹴り出された衝撃で乱れた白い布地の合わせ目から、わずかに谷間を露出させた胸が揺れる。
上は「しらぎぬ」と呼ばれる小袖の白衣、下は「緋袴」の名の通り緋色の袴姿。つまりはどこからどう見ても巫女さんだった。
「まぁありあわせのコスプレ衣装だから、ここからさらにぱらいそ仕様に改造していくんだけど、どうよコレ?」
部屋から出てきた美織は満足気にギャラリーたちへと問いかける。
「みんなとダブらへんし、ええ感じやないの」
「あ、あたし、袴にスリット入れたらいいと思いまーす」
「せっかくいいのを持ってるんだから、もっと大胆に胸元を開ける工夫をした方が男たちはグッとくると思うー」
てめぇら他人事だと思ってぇとレンが拳を振るわせる横で、美織が「ふむふむ、なるほどね」とメモを取る。
「オイ、ちょっと待て。まさかこいつらの意見を聞き入れるつもりじゃないだろうな?」
「もちろん参考にするわよ。楽しみにしておいて頂戴」
「ノォォォォォォォ!」
レン、魂の叫びである。
「で、司、あんたはどうなの? なんか意見は?」
「え?」
「え、じゃない。顔を背けないで、ちゃんと見る! これから一緒に働く仲間なんだから!」
美織に怒られて、司は恥ずかしそうにレンを見た。奈保や葵なんかと比べると露出は少ない。けれど巫女装束というのが、なんだか妙に照れくさくて、あまり正視できなかった。
「あの、いいと思います」
「何が?」
「えっと、よく似合ってるかなぁ、と」
「似合ってる!?」
司の言葉にレンが目を見開いて驚いた。見れば顔も真っ赤だ。「かわいい」と言われる時の司もそうだが、レンもこの手の褒め言葉には慣れていないのかもしれない。
「あのねぇ、司、似合っているのは当たり前でしょ。なんせ私の見立てなんだから。それよりももっとこうしてほしいとか要望はないの? 巫女装束なのよ、色々あるでしょ! 例えば緋袴はもともと下着だって説があるから、ぱんつは穿いて欲しくないとか」
「「穿かない!?」」
司とレンがハモった。
「なんとレンちゃんは正真正銘の穿かないキャラだったのか。くぅ、元祖穿いてない(かも?)キャラの私としては複雑だけど、ここは喜んでその座を明け渡すよ」
葵が悔しそうに言いながら、その実、両手で万歳していた。
「さすがにそれは出来ねぇ。それだけは出来ねぇぞ、おい!」
レンもさすがに抗う。
「あら、そう。じゃあこれは却下」
レンの抗議に、珍しく美織が折れた。
「でも、『それだけは』ってことは、それ以外はオッケーってことよね?」
しかし、タダでは降りない。これが美織の豪腕交渉術であった。
「それにしても長身に、黒い長髪で、しかも巫女装束となると、なんかアレを思い出すなぁ」
制服が巫女風メイド服に決まり、レンもしぶしぶ承知する中、久乃が不意にそんなことを言いだした。
「まぁねー。ぶっちゃけ名前も似てるし、そういうところから巫女装束をイメージしたのは否定できないわ」
と言いながら美織はニヤニヤ笑って、ちょっとポーズ取ってみてとレンに注文をつけていたりする。
「ポーズ? ポーズってなんだよ?」
「いいから。私が今からする格好を真似しなさい」
美織が足を交差させ、振り向くポーズを取ってみせた。
「あ、だったらちょっと待って!」
そこへ葵がストップをかけると、自分の部屋へと駆け込んでいった。すぐに戻ってきた葵の手には封筒大の大きさに切り分けた白い画用紙と、黒いマジックペン。
「これにこう書いて~。はい、できあがり。」
画用紙に素早くマジックで星を描くと、その下に『悪霊退散』と書き添えた。
「はい、レンちゃん、これを持ってポーズを取ってみようかー」
何がなんだかよく分かってないレンは、ただ言われた通りにやってみるしかない。
長い足を交差させ、滑らかな曲線を描く腰をひねり、顔のあたりで画用紙を指で挟んで持って振り返った。
「おおっ。想像していた以上に火星の人っぽいわねー」
「火星の人?」
ようやくレンも分かってきたらしい。が、納得はしづらいらしく、「火星の人……火星の人かぁ」と何故か妙に落ち込んだ。
「なによ、火星の人じゃイヤなの?」
「そりゃあまぁ」
「贅沢ねー。私なんかせいぜい月の小さい人しか出来ないのに」
「あ、だったらあたしは水星の人がいい」
「葵の頭では水星の人は無理よ」
「なんだとー、それどういう意味だ?」
「なっちゃん先輩はどうみても金星の人ですよね?」
「あー、それっぽいわね」
「んー、そう? まぁ、美の女神って言われて嬉しいけどねー」
「……いや、ちょっと馬鹿っぽいところが似てるって意味だよね?」
落ち込むレンを放ったらかしにして、この話題で盛り上がってしまった。久乃の「ねぇ、うちは? うちは~?」との問い掛けに「あー、久乃さんは……」と頭を捻り、司の所存については「男だからって司にタキシードの人をやらせるのは、タキシードの人に失礼」と全員一致で決まり「司が誠って名前なら、木星の人がギリ出来たのに」と葵が悔しがり「司、あんた明日から誠って名前にしなさい」と美織が例によって無茶なことを言ってきた。
「おい、なんだかオレ、置いてけぼりなんだが。そろそろこのポーズ、やめていいか?」
盛り上がって五分ぐらい経った頃だろうか。
律儀にまだポーズを取っていたレンが、いつまでこれやればいいんだと訴えてきた。
「あ、ごめん。すっかり忘れてたヨ」
「てか、ずっとポーズ取ってたの? すごいねー、あたしなんか一分も持たないかも」
「こちとら子供の頃から道場で鍛えられているからな。これぐらいたいしたことない」
「そう? だったらもうちょっとそのポーズしておいてくれる」
葵へ自慢げに答えるレンに、そんな意地悪なことを言うのは、もちろん美織だ。
「え? いや、ゴメン。勘弁してくれ」
「ふふふ。冗談よ、ジョーダン。ただ、せっかくだからそのポーズで火星の人の決めセリフを言ってみてよ」
「は? 決めセリフ? そんなのあったっけ?」
「あるでしょ、火星の人っていうか、作品そのもので有名なセリフが」
美織に促されて考えを巡らすレンは、やがて「あーあれかー」と思い出したようだった。
「でも、それってさすがに酷くね?」
「何が酷いってのよ?」
「何がって、そりゃあまぁ人権的に?」
「人権? 変なことを気にするわねー」
美織が「大丈夫」と平らな胸をドンと叩いた。
「私たちなら問題ないわ。むしろお仕置きされたいぐらいだから!」
「は? お仕置き?」
レンの頭に再び疑問符が浮かびあがる。
が、それに気付かず、美織は「じゃあ、頼むわよ」と肩をぽんと叩いて、他のスタッフ同様、レンの正面にスタンバイした。
「よし、じゃあレンちゃん、言ってみよっ!」
葵が合図を送る。
レンはこほんと咳払いをひとつし、顔から表情を無くして言った。
「……じょ、じょうじ?」
「違―う! その火星の人(?)じゃなーい!」
ちなみに寮を飛び出して漫喫で寝泊りしている間にレンが読んだ漫画は、どれも男性向けのバトル漫画だったそうな。
「今はアレだ、横綱に指取りなんてして負けた小汚ぇおっさんが変に活躍している漫画が気になる。なんなんだよ、あの展開は……」
そんなの、こっちこそ聞きたいわっ!




