第三十四話:余裕ッチ
「うーん、やっぱり新品だけあって、ちょっとスティックが硬い感じがするわね」
運んできた椅子に腰掛け、新品の筐体を前にレバーをがちゃがちゃと動かしていた美織が、そんな感想をこぼす。
「でも、私には関係ないかな。どう、そっちは?」
ひょいと体を傾けると、筐体の向こう側へと声をかけた。
「ああ、オレも大丈夫だ」
レンも筐体から身を乗り出して、ぐっと親指を突き立てた。
「んじゃ、そろそろ」
「やりますか!」
ふたり同時にスタートボタンを押す。
軽快な効果音と共にキャラクター選択画面が映し出された。
レンが選ぶのは、もちろん女性プロレスラー・マリア。対して美織は、
「あ、私、カスタムキャラを使わせてもらうわよ」
筐体に専用のカードを突っ込み、しばしダウンロード待ち。
やがて画面に現れたキャラを見て、レンがニヤリと笑った。
「……へぇ、あんた、どこまでも挑発的だな」
「挑発? そんなんじゃないわよ」
美織も顔を愉悦に歪ませた。
「どちらかと言えば、これは指導。カスタマイズをしないあんたに、このキャラ(マリア)の可能性を教えてあげるわ」
そしてステージでふたりのマリアが対峙する。どちらも見た目には、コスチュームの色が異なることぐらいしか違いはない。
「え?」
だが、レンからは笑みが消え、驚いた声が漏れた。
「えええええええっ!?」
そして筐体を囲む全ての観客から、津波のような驚愕の声が押し寄せる。
「あんた……これ、本気なのか?」
「本気も本気本気。これがマリアの最凶モードよ」
色違いのふたりのマリア。
ただし、美織のマリアの体力ゲージは、わずか一ドット分しかなかった。
「ぱらいその店長、なんて思い切ったカスタマイズをやりやがるんだ。こんなの必殺技をガードしても削られて終わりじゃないかっ」
「いや、さすがにそこはゼロダメージスキル(必殺技を防御しても削られない)を付けてるだろ」
「それにしても弱パンチ一発食らってもアウトだぞ。正気じゃねぇ」
美織の破天荒なカスタマイズに、外野のどよめきは一向に収まらない。
その中で一人、静かに落ち着きを取り戻していく者がいた。
レンだ。
確かにまわりと同様、レンも最初は驚いた。こんな無茶苦茶なカスタマイズ、最初から勝負を投げ出したようなものだ……普通の人間ならば。
でも、今、レンが対峙しているのは普通の人間ではない。歴戦の強者だった。一度は『スト3』で勝ったとはいえ、あれは半ば勝ちを譲ってもらったようなもの。もう一度戦えば、勝てる保障なんてどこにもない相手……そんなヤツが「最凶モード」と称するカスタマイズを施してきたのだ。
(無謀、なんかじゃねぇ!)
レンはゴクリとツバを飲み込んだ。
(ましてや勝負を投げたわけでもない)
いつものように背筋が自然と伸びる。
(こいつ、本気でオレを倒しにきやがった!)
五感が研ぎ澄まされ、まるで自分が一振りの太刀にでもなったかのような感覚に陥る。
この前とは違い、今回は最初から本気モード全開だ。
とは、言っても。
「あら、一撃で倒せる相手なのに、突っ込んでこないとは弱気じゃない」
美織が嘲るように、レンは開始早々から勝負を決めには来なかった。
「挑発に乗るかよ。オレはオレのやり方でやらせてもらうぜ」
レンは開始位置から一歩も動かず、まずは相手がどう出るのかを見る。確かにあの体力ゲージだとラッシュをかけて勝負を一瞬で終わらせたくはなるが、それが敵の思惑なのも分かっていた。ここはじっくりと、相手の戦力を見極める必要がある。
「あらあら、攻撃してこないどころか、閉じ篭るつもり?」
万全を尽くすレンに、美織が軽口を叩く。いや、分かっているからこそ、軽口でレンの心を揺さぶっているのか。
「しょうがないわね。ほらほら、踊ってあげるから出てきなさいよ、天照」
身動きひとつせず、出方を待つレンを大岩戸の神話になぞらえたのか、美織はそんなことを言うとキャラを適当に動かし始めた。
右へ。左へ。ゆっくり。ダッシュ。
パンチ。キック。弱く。強く。
およそ基本的な動作には、特別すごく変わったようなところは見られなかった。
(つまりは体力を削ったポイントを機動力には使っていないわけか……)
レンは無表情に画面を見つめながら、心の中でほっと溜息をついた。
何故ならレンにとってカスタマイズで一番厄介に感じるのが、なにをかくそう機動力だったからだ。
通常より早いスピードで動き回り、本来ならありえない速度のパンチを繰り出されると、カウンターのタイミングも修正しなくてはならない。無論、そのようなカスタマイズを施してくるプレイヤーは多いので、ある程度は即座に対処出来る。が、ここまで極端なカスタマイズをされて、しかもその大半を機動力に振り当てられていたとしたら、さすがのレンも未知の領域だ。対応に手こずることも予想された。
(とりあえず機動力への対応は問題なし。となると、次は……)
レンはするするとキャラを動かした。
「おっ、岩戸が開いたかな」
レンの変化に美織は歓喜しつつも、それでもデモンストレーションをやめようとはしなかった。
基本的な攻撃に加えて、裏拳の必殺技や、投げ技の予備動作なども披露し続ける。それはまるで蟻地獄のようにレンには思えた。自分の巣穴に誘い込み、逃げられない状況でがぶりと齧り付くつもりか。
(でも、そうは問屋が卸さねぇぞっと)
少しずつ近付きながらも、レンは決して警戒を怠らない。
機動力にポイントを振り分けていないとなると、次に考えられるのは攻撃力や技の範囲設定だ。
特に範囲設定は油断ならない。ポイントを大量に消費するので強化する者は少ないものの、思ってもいない距離からの攻撃が当たったり、投げられたりするのは厄介だった。
だからレンも防御と、いつでも投げ抜けが出来るよう準備を整えつつ、近付いていく。
「うーん、引きずり出せたけれど、まだノリが悪いねぇ。だったらほら、大サービスしてあげるわよ」
警戒を強めながら近づいてくるレンを前に、美織がデモンストレーションをやめた。
そして大胆にも美織は無防備に距離を縮めてきた。
一発でも喰らったら敗北という状況にも関わらず、必殺技や強キックといった攻撃の間合いに入ってくる。
「今なら私を倒せるわよ?」
挑発の言葉を投げかけながら、まだ歩みを止めない。
「何をぐずぐずやってるのかしら?」
さらに一歩前へ。中パンチも当たり、女子プロレスラーキャラのマリアなら投げ技すら有効なエリアへ。
「ほらほら、サービス期間ももうすぐ終わっちゃうわよ?」
美織がついに弱パンチすらも当たる距離まで間合いを詰めようとする。
しかし、それでもまだレンは警戒し、動かずにいた。
敵の武器は機動力でもなく、間合いでもなかった。となると、あとは攻撃力ぐらいしか残っていない。例えば弱パンチひとつに凄まじい破壊力が籠められている可能性もある。
(だけど、そんな単純なことをやってくるヤツか……?)
美織とは『スト3』で一度対戦しただけだが、その腕前と人をからかったような性格をレンは理解していた。だから体力がほとんどないカスタマイズをしてきた時は驚いたものの、同時に「この人らしいや」と心の中で笑ったものだ。
その美織と、単純に攻撃力を強化しただけという芸の無さがどうにもしっくりこない。
何か大きな見落としがあるんじゃないかという思いが、レンに攻撃を躊躇わせていた。
「はい。サービス期間終了~」
戸惑うレンの頭上から、突然そんな声が聞こえてきた。
驚いて見上げると、あろうことか対戦台の向こうから美織が身を乗り出して、見下ろしていた。
美織の背は小さい。きっと椅子に乗って、立ち上がっているのだろう。
となると、今、画面でキャラを動かしているのは誰なのか?
驚きつつも、レンはすかさず体をずらして、筐体の向こう側を横から覗き込んだ。
はたしてそこにはレンの想像通り、美織が椅子の上に立っている。だが美織以外の誰かが操作しているという想像は誤っていた。
そこには美織だけがいて、器用にも右足でスティックを操っていたのだ。
もちろん体を支えなくてはならないから、左足は椅子の上にある。つまりそれはどういう事かと言うと……
「ほーら、だからサービス期間って言ったでしょう? 何をされても私は攻撃なんて出来なかったわけだしねー」
右足一本ではせいぜいスティックしか操れない。美織の言う通り、攻撃ボタンにまで手が(正確には足だが)届く状況ではなかったのだ。
「てことで、悪いけど」
呆けて再度見上げていた美織の頭が、ひょいと隠れた。
トスンという何かが落ちる音と、軽い衝動がレンにも伝わってくる。
「この勝負、私の勝ちよ」
瞬間、美織のキャラが鋭いパンチを繰り出してきた。




