第三十話:セカンドラウンド
香坂 レン。
それが美織を倒した女性の名前だった。
「って、十五歳?」
買取伝票に書き込まれた年齢を見て、葵が突拍子もない声をあげる。
「え? 驚くことか、これ?」
レンが顔を上げた。
「いや、だって……え? マジで?」
葵は慌てて予め出してもらっていた身分証明書も見てみる。確かに生まれた年が自分と同じだった。
「……同じ歳?」
思わずマジマジとレンを見てしまう。
背が高く、スラリとした体つきは、出るところは出て、ひっこむところはひっこむという大人の女性らしいスタイルが既に仕上がっている。顔付きだって高い鼻に、切れ長の眼、化粧はさっと唇に紅を走らせただけなのに、とても大人っぽく仕上がっていた。
対して自分はどうだろう? 人並みに胸は大きくなってきてはいるけれど、くびれ? なにそれおいしいの? と言わんばかりの寸胴な体つきは「こんな体でチャイナ服モドキなんかを着てごめんなさい」と土下座したくなる衝動に襲われてしまう。友達から童顔と言われる顔付きに至っては、もはや切腹したくなった。
「あ、十五歳なら保護者様の売却同意書が必要なのですが、お持ちですか?」
口から魂が抜けたかのように呆ける葵をよそに、司は立派に職務を果たそうとした。
司もレンの年齢には驚いたものの、女の子の格好をしているとはいえ、中身は完全に男の子だ。自分と見比べてショックを受けるなんてことはない。
「ええっ!? そんなのが必要なのか?」
「はい。持ってません?」
「まいったなー」
レンが黒髪を無造作にむしゃむしゃとかきむしった。奇麗な髪なんだからもっと丁寧に扱った方がいいんじゃないかなぁと司なんかは思うが、レン自身はなんとも感じていないらしい。
「では、一度家に戻られて、保護者様に同意書を書いてきてほしいのですが」
司はカウンターに置いてある同意書の束から一枚取り出す。
「いやー、実はちょっと無理なんだよ、それ」
レンは買取伝票の住所欄を軽くとんとんと叩いた。見るとかなり遠い場所の住所が書かれていた。買取金額は従来の五倍、六千円に膨れ上がっていたが、それでも片道料金として足りるかどうか微妙なところだ。
「困ったな。どうしようか」
言いながら、レンが店内を見回す。まるで誰かを探しているかのような仕草だ。もしかしたら成年の知り合いがいるのかもしれない。
基本的に肉親関係にある大人の方が一緒ならば、未成年でも同意書なしで買取が出来る。単なる知り合い程度では、さすがに無理だ。が、今回は事情が事情だけに、ある程度信頼が置けそうな関係者ならば買取を認めてもいいかもしれないと司が考えていると、
「しょうがねぇなぁ。本来の売却人であるオレが出てやろう」
とんでもない人が割り込んできた。
「え、円藤さん!?」
「実を言うと、もともとこのソフトは全部オレんちのものでね。彼女に頼んで、代わりにそちらの大将と対戦してもらったんだわ」
しれっとそんなことを言って、買取伝票にレンが書いたものを全て二重線で消して、代わりに円藤の個人情報を書き込んでいく。
「悪いね、円藤さん。バレちまった」
「いーや、今となっては大したことじゃねーよ。大事なのはあんたがあの店長に勝ったという事実。むしろここでオレたちの関係を明らかにしておくのは、駆け引きとしては悪くねぇ」
円藤が買取伝票に必要事項を全て書き込むと、身分証明書と一緒に司に差し出した。慌てて司は受け取って確認をするものの、先ほどの円藤の言葉が気になって仕方がない。
「はい、確認できました。ありがとうございます。……あ、あの、それでその、駆け引きって一体?」
身分証明書を返して、つい円藤に訊いてしまう。
「そんなの、決まってるでしょ」
意外にも返答は司の背後から返ってきた。
びっくりして振り返ると、そこには両手を胸の前で組んで仁王立ちする美織。
「こいつら、うちの買取倍増キャンペーンを潰すつもりなのよ。私より強いヤツを助っ人にして、いつでもまた負かしてやるぞってね」
口調は不機嫌そのもの。だが、表情は「やれるものならやってみなさいよ」と言わんばかりに挑発的な笑みを浮かべていた。
しかし、敵もさるもの。かくも相手を威圧するオーラを放つ美織を前にして、円藤はまったく怯む様子もなく
「うちで扱っている中古商品は、どのような商材でもお客様から買い取らせていただいた大切な商品なんだけどな」
突然そんなことを、こちらを挑発するようなニヤけ顔で話し始める。
「だから本当なら他店舗に売りに出すのは心が痛むんだけどよぉ、充分な利益が出るとなれば商売上売るしかねぇよなぁ。ああ、持ってきてやるよ」
そして次の円藤の言葉に、司はぞっとした。
「軽く百万円分くらい、な」
買い取りで百万円……一体どれだけの量になるのか想像も出来ない。が、全国に展開する大規模チェーン店の店長を勤める円藤なら、それぐらい集めるのは造作もないだろう。
しかもどれも売れなさそうな、いわゆる不良在庫品ばかりで。
さらにキャンペーンを利用して二倍の値段で買い取る算段で……。
買取倍増キャンペーンは美織が基本的に負けないからこそ成立するものだ。美織より強い人物が、莫大な金額になる買取商品を持ってこられたら……当然継続は難しくなる。
美織が言う通り、円藤はまさにキャンペーンそのものを潰しにかかってきたのだ。
司は青ざめた。
こんな窮地を予想してなかったこともあるが、それ以上に自分の責任も感じていた。
円藤がいつレンと結託したのかは知らない。
もしかしたらネットでレンの実力を知り、刺客として呼び寄せたのかもしれない。
だとしたら司は何も出来ないだろう。
でも、仮に円藤がレンと知り合ったのが昨日の、あのゲーセンだったのなら。
司たちが帰った後にレンへ話しかけ、彼女を雇ったのなら。
司は未然に防ぐことができたかもしれないのだ。
円藤より早くレンに接触し、一緒にぱらいそで働いて欲しいとお願いしていれば、もしかしたら彼女は承諾してくれていたかもしれない。
そうすればこの窮地はありえなかった……。
(ボクが昨日のうちに行動していれば……)
司は後悔した。
あくまで可能性にすぎないことなのに自責の念にかられる。司とはそんな性格だった。
「ふん、あんたのとこのクズい商品なんていらないわ」
そして司とは対照的に、どんな時でも強気なのが美織の性格である。
追い込まれているにも関わらず、不敵に笑った。不遜だった。天上天下唯我独尊私を神と崇めなさいといわんばかりだった。
「あんたはうちにキャンペーンをやめて欲しいんでしょ? だったら賭けるものは商品じゃなくていい」
「へぇ。ってことはなんだい?」
円藤がじろりと睨みつけて来る。
「キャンペーンそのものを賭けてやろうじゃないの。私が負けたら、今後一切このキャンペーンを封印するわ。ただし私が勝ったら、キャンペーンは継続させてもらうわよ」
「……いいだろう。だが、あまりにこちらの条件が良すぎて薄気味悪いぜ?」
「そう? そうでもないわよ」
私は欲しいものは絶対手に入れる主義だから、と美織が怪しげな表情を浮かべて言った。
司には美織の言葉の意味するところが分からなかったものの、円藤は理解したらしい。
「おっけー。てめぇの思う通りになるかどうか、見せてもらおうじゃねぇか」
円藤は嗤った。釣り針のエサに魚が食いついたといわんばかりに。
「決まりね。じゃあ、えっと、レンって言ったっけ? あんた、『スト4』も強いらしいけど、『スト3』とどっちが得意?」
美織が自分の『スト4』の腕前を知っている様子に加えて、次の勝負の鍵を握るであろう質問にレンは少し戸惑った。
レンは腕前を買われて、円藤に雇われた身だ。しかも次の勝負は今回とは比べ物にならないぐらい意味合いが大きいのは、部外者であるレンでも分かった。雇い主のことも考えて、より勝利に近付く方を選ぶのが筋だろう。
「えっと、そうだなぁ。『スト3』もやりこんだけど、今となっては『スト4』の方がやりこんでいるかもな」
一瞬悩んだ末に出した答えは『スト4』だった。
理由は言葉通り、勝つために費やした時間が決め手となったが、実のところを言うと、美織が『スト4』ではどんな戦い方をするのか興味がないわけでもない。
それでも『スト4』なら美織に勝てるという自信も勿論ある。
「キャラクターカスタマイズはしてないって聞いたけど?」
「よく知ってるじゃん。さては昨日、こっちのゲーセンでやってるのを見られてたか。まぁ、でもアレってどうにも面倒でね。それにカスタマイズしなくても勝てるからさ」
「なるほど、ね」
美織が面白そうに頷くのを見て、レンは美織がカスタマイズしたキャラを使ってくるのを確信した。
今日の戦いから予想するに、美織はおそらくカウンターブロック(CB)を組み込んだカスタマイズをしてくるだろう。ただ、『スト3』で猛威を振るったCBは『スト4』ではカスタマイズ能力のひとつになり、必要コストも大きい。コストが大きいということは、その分だけ他の能力が劣るということだ。体力を減らしてくるか、機動力を犠牲にするか、はてまた攻撃力や防御力を削ってしまうか。
何にしろ美織がCBをカスタマイズで組み込んでくるのは、レンにとってはありがたいことだった。
何故ならレンが『スト4』で得意としているのは、最速で入れるとCBが効かないカウンター攻撃だからだ。『スト3』ではCBが有効すぎるのであまり使わなかったが、キャラクターの動きが一新された『スト4』では相手の攻撃を見切ってのカウンターに磨きをかけた。結果、『スト4』ではたとえ隙の少ない弱パンチにもカウンターを決める自信がある。
しかもカウンターが決まれば、相手はよろけて次の一撃にCBが出来ないって変更点もポイントが高かった。故に『スト3』よりも美織に勝てる勝算が高いとレンは睨んだのだ。
「分かったわ。次はうちの買取キャンペーンを賭けて『スト4』で勝負しましょう。ただし、こちらも準備があるので勝負は一週間後。これでいい?」
「準備期間が長すぎじゃねーか。こちらとしてはすぐにでもやりたいんだぜ?」
円藤が抜け目なく注文を出してきた。
「……悪いけどそれぐらいの準備はどうしても必要なのよ」
「なるほど。だったらそれを受け入れる代わり、明日から勝負までの一週間は買取キャンペーンを中止してもらおうじゃねーか」
強気な美織がかすかに引いたのを円藤は決して見逃さなかった。ここぞとばかりに攻勢に出る。
「……仕方ないわね」
結局、美織は円藤の提案を受け入れるしかなかった。




