第二十九話:はじめての敗北!?
「やっぱり人違いみたい」
円藤の存在を気にしつつ、二人の対決をカウンターから身を乗り出して眺めていた司が残念そうに呟く。
対戦ゲームが『スト3』で、おまけにマリアを選んだ時は「おおっ!」と思ったものの、それ以外は昨日ゲーセンで見た達人とまるで違っていた。
「これは期待はずれだったにゃあ」
葵は「ダメだこりゃ」とばかりに、カウンターにぐてーと上体をうつ伏せにする。
もしあの女性が例の達人ならば、美織といい勝負をするはずだ。が、実際は他のお客さん同様、美織に上手く接戦を演出されていた。このままでは三ラウンド目も一見善戦しているように見えながら、美織の掌で踊らされるだけだろう。勝てる見込みはほぼない。
「似てると思ったんだけどねー」
つかさちゃんもそう思うでしょとの言葉に、司は曖昧な表情を浮かべる。
正直なところ、昨日も黒い長髪の後姿しか見ていない。それだけなら確かに似ていた。
でも、色々な意味で戦闘スタイルが違いすぎる。キャラの動きも、それに操作する際の姿勢も。
対戦が始まる前に葵が「雰囲気がこれぐらい違うんだけどねー」と言って、ぴんと背筋を伸ばして正座し湯飲みを両手に持つ女性と、ベンチに胡坐をかいてだらりと腰掛け大笑いしながらハンバーガーに喰らいついている女の人の絵を見せてきたけど、お客様である女性には悪いがまさにそれぐらいのギャップがあった。
「さて、それじゃあ、つかさちゃんの言うライバル店の怖い人でも誘惑してこようかなー」
葵が上体をがばっと起こした。
司が知る限り、円藤がぱらいそにやってきたのはこれが初めてだ(実際はリニューアル前にも来ているのだが)。だから円藤のことを知っているのは司だけであり、葵には先ほどやられたことも含めて軽く説明してみた。すると「ふーん、つかさちゃんに発情しちゃったのかな? よーし、だったらあたしもチラリと太腿でも見せて対抗してみよう」と怖いもの知らずなことを言う。冗談だと思ったが、どうやら本気だったらしい。
「やめておいた方がいいよ、葵さん」
「なんでー? もしその人が発情して襲い掛かってきたら、ライバル店の信頼を挫くチャンスじゃん!」
「それはないですよ」
いくら円藤が女性にだらしない性格でも、仮にも全国展開している大型複合店の店長である。いくらなんでも葵の挑発に我を忘れるなんて考えられなかった。だからすぐに「それはない」なんて言葉が零れたのだけれど
「なんだとー? つかさちゃん、自分がカワイイからって調子に乗ってるよね?」
葵がつっかかってきた。
「よし、決めた。あたしの健康美で、その人を欲情させてやろうじゃないのさ。穿いてないモドキ、舐めんな!」
……どうやら「それはない」の部分を「葵には絶対無理」と勘違いしたらしい。
いやいやそうじゃなくて、てか葵さん、いくらぱんつが見えない構造になっているからと言って腰のスリットを持ち上げるのやめてくださいよと司が赤面して視線を逸らしつつ、お願いしようとした時のことだった。
あははははははは。
突然、店内に笑い声が響き渡った。
驚いて笑い声の方に視線を向けると、壇上で美織が相手の女性の肩を両手で掴みながら、爆笑していた。
「なにがあったんでしょう?」
「さぁ?」
ワライタケでも食べさせられたんじゃないと葵が無茶苦茶なことを言う。そもそもワライタケと言っても文字通り必ず笑いだすわけでもない上に、すぐに中毒症状が出るわけでもない。
「ちょっとー、葵―!」
笑っていた美織がカウンターに振り返る。
「げっ!」
葵がすかさず司の後ろに隠れて「あたしにも食べさせるつもりだ。お願い、つかさちゃん、あたしは急病で早退したって答えて」とか言ってくる。
「葵、あんた、この人の買取査定やってるでしょー? いくらになったか教えてー」
意外にも美織の要求がまともだったからか、葵はぽかんとしつつも、先ほどの女性が持って来た商品の上に乗せてあった買取伝票を手に取る。
三本で千二百円。どれも古くてあまり人気の無いタイトルだったから妥当な金額だった。
本来ならお客様の買取金額なんて大声で言っていいようなことではない。が、ぱらいそでは美織が法律。葵は言われたまま、金額を大声で言い返した。
「ふーん、三本で千二百円かー。正直、それぐらいのタイトルなら別に欲しくもないんだけど」
美織がリサイクルショップにはあるまじき発言をする。どんなものでもお売りいただけるのをありがたいと思え。
「まぁ、でも、くれると言うのならありがたく貰っておくわ」
美織がありがたいという感謝の気持ちが欠片も見られないぐらい、強欲な笑みを浮かべた。
「いいわ。その勝負、受けてやろうじゃないの。私が勝ったら、持ち込んできたタイトルはタダでいただく」
「けど、オレが勝ったら約束通り五倍の金額で買い取ってもらうぜ?」
美織の返答を受けて対戦者の女性が、椅子に深々と腰掛けた。
ぴんと伸びた背がとても凛々しかった。
買取金額五倍か、あるいはゼロか。
もはや買取キャンペーンでもなんでもないギャンブルが始まった。
運命の第三ラウンド。
ファイトの声が轟くと同時に、画面にも異変が起きていた。
「……やっぱり、あんた、実力を隠してたわね?」
「そっちこそ、まだ全然本気出してないだろ?」
すっと女性の目が細まる。
「こっちは本気のあんたを倒さないといけない事情があってね。悪いけど真剣勝負、受けてもらうぜ」
それまでのファイトスタイルとは異なり、まるでプレイヤーとリンクするかのように女子プロレスラーがスタート位置から微動だにせず静かに構えていた。まるで目の前でチョコチョコと動き回るアホ毛JK格闘家を、どうやって料理してやろうかと見定めしているかのようだ。
(やっぱりこいつが葵たちの言ってた子みたいね)
聞いていた容姿と使用キャラから、美織はなんとなくそんな気がしていた。ましてや挑戦者からすればリスクがまるでないキャンペーンなのに、自ら「勝てば五倍で。負ければタダで買取していい」なんてギャンブルまで持ちかけてきた。よほど実力に自信がなければ出来ない賭けだ。
(で、司の話だと見切りがスゴイんだったっけ?)
試しに相手にぎりぎり届かない距離から弱パンチを放ってみる。
相手はピクリとも動かなかった。
(ふーん。誘いにも乗ってこないか)
こちらの弱パンチでは相手には届かない。が、相手の中キックならば、こちらには届くはずだ。パンチの出終わりに中キックを出してきたら、すかさず返し技を喰らわせようと思っていたのだけれど、そうはいかないらしい。
(んじゃ、これは?)
美織は自キャラを一歩後退させ、すかさずコマンドを入力する。かすかに引いた拳から光のエフェクトが零れ出す。烈気弾という名の、放出系コマンド技の予備動作だ。
(ふむ。当然、こいつへの対応もばっちり、と)
相手のキャラ・マリアが体を回転させて裏拳を出してくる。マリアの裏拳は技の出がかりに一瞬の無敵状態が存在するのだ。相手の放出系攻撃で無駄なダメージを受けないために、放出技を持たないマリア使いならば絶対身につけなければならないスキルだった。
(でも、これはどうよ?)
マリアの裏拳は体を一回転させて二歩ほどキャラクターが前進する性質を持つ。つまり今回の場合だと烈気弾をかわしつつ、裏拳を美織のJK格闘家・サナカにぎりぎり当てることができるのだ。しかし、それは美織も計算済み。だからこその、一歩だけの後退である。
(よし、ここだ!)
美織が迫り来る裏拳に対し、絶妙なタイミングでコマンドを入力した。
画面に稲妻のようなエフェクトが走る。
相手の攻撃が当たる瞬間にコマンドを入力することで成立するカウンターブロック(CB)だ。その名の通りブロックしつつ、相手にカウンター攻撃を繰り出すことができる。
(いただき!)
すかさず美織は弱パンチを放つ。これは楔。コンボ技の始まりでもあり、相手の絶対的な自信を打ち崩す第一歩である……はずだった。
「なっ!?」
思わず美織は声をあげていた。
美織だけでない。
成り行きを見守っていた観衆たちからも驚いた声が零れ落ちた。
美織の弱パンチに、再び稲妻エフェクトが画面をフラッシュさせたのだ。
(あのタイミングでの弱パンチをCB? こいつ、やるじゃない!)
攻守逆転で今度はマリアの弱パンチが、美織のサナカを襲う。
ヒット!
重量キャラの攻撃に一歩後退し、ぐらついたサナカにマリアがコンボを狙ってくる。
(二度もやらせるかっ!)
最初の弱パンチには反応が間に合わなかった。だから狙っていたのはコンボに来る二度目の攻撃。ここでCBを決めて状況をひっくり返してやる。
三度走る稲妻。今度は先ほどよりももっと早く弱パンチを入力する。
ヒット!
軽量キャラゆえに相手を後ずさりさせることはないが、のけぞらせることは出来た。
(よし、じゃあとことん付き合ってもらうわよ!)
美織がチロリと舌を出して、上唇を舐めた。
長い戦いだった。
幾度となくフラッシュする画面。めまぐるしく交代する攻守。お互いに小さな攻撃は当てられるものの、勝敗を決めるような大技は許すことなく、勝敗は最後まで揺蕩っていて、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
しかし、戦っている二人にはすでに戦いの行く末が見えていた。
「たいしたもんね。これほどの腕前の人間がこの町にいるとは思ってもいなかったわ」
「……」
「最初のCBには驚かされたしね」
「……」
「そしてCB対決に持っていきながら、その実はキャラの対格差を生かして相手をステージの端へ追い込む戦略も見事だわ」
「……」
「……なによ、人がせっかく褒めてやってるんだからちっとは喜びなさいよ?」
「……くそったれ」
美織の横で、女性が忌々しく言葉を吐き出した。
「あんこそ何様のつもりだよ? このオレをこんなコケにしてくれるヤツなんて初めてみたぜ」
「あら?」
意外とばかりに美織は一瞬呆けた顔をするも、すぐにクスっと笑い出した。
「分かるんだ?」
「分からないはずがないだろ? だってあんたさっきから」
「おっと、そろそろ終わるわよ。最後ぐらい派手にやってあげなさい」
美織が画面を一切見ることなく、女性の言葉を遮った。
そう、美織は先ほどから画面なんて見ていなかった。ずっと隣に座る女性を観察していた。なのに画面上ではそれまでと変わらない激戦を繰り広げているのだ。女性が侮辱されたと憤るのも納得である。
「本当のところはどうであれ、あんたが私を打ち負かせた第一号になるんだから」
美織の言葉に刺激されたのかどうかは誰にも分からない。
ただ、ステージの端に追い詰めた女性の操るマリアは、体力が残りわずかな美織のサナカに対して超必殺技を発動させた。密着し、逃げ場のない状況での、しかもCBからの投げ技である。美織にはどうしようもない。
画面に映し出される『2 PLAYER WIN』の表示に、店内が歓声ともどよめきともつかない騒ぎに包まれたのは数秒後のことだった。




