第二話:この証拠品が被疑者の無罪を証明している
「悪は滅びよ!」
晴笠美織は勝鬨をあげ、心の中でガッツポーズを決めた。
閉店時間をとうに過ぎたお店に戻ってみたら、シャッターは降りておらず、店内に明かりが灯っている。
バイトたちはまともに閉店作業も出来ないのかと憤慨しつつ、中を覗いたら人影らしきものが見えた。
まさか泥棒?
こんな時に! とさらに苛立ちを感じつつも、さらに様子を伺ったら、人影の正体が見覚えのある男の子だと分かった。
お店のバイトの子だ。先ほどの視察の時に見た、その丸坊主頭のことはよく覚えている。
何故ならちらっと胸のネームプレートを見たら『香住司』とあったからだ。ああ、この子が……と思いつつ、他のバイトたちとは違って真面目に働いている様子にちょっと感心した。
が、それだけに深夜の店内に一人残って、商品を物色している姿はますます美織を怒らせた。
「ふざけんじゃないわよ」
気がつけば鞄から護身用のスタンガンを取り出すとダッフルコートのポケットにしまい、同行者が何か言っているのも無視して開錠。
かくして問答無用で坊主頭のバイト・香住司を一撃のもとに失神させた、のだが……。
「あ、いや、ちょっと……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
勝鬨をあげた次の瞬間には、逆に叫び声を上げていた。
気を失った司が美織にむかって、前のめりに倒れこんできたからだ。
気は人一倍強いが、体は同年代の子よりひと回り以上小さい美織。司も同じ歳の男の子と比べたらかなり小柄で華奢、下手すれば女の子と間違われそうな体つきながらも、それでも美織よりは背丈も体重もある。そんな司に、しかも失神して全体重を預けられては、小さな美織が支えられるわけもなかった。
「きゃあああああああ!」
文字通り司に押し倒される形で、美織は床に尻餅をつく。
「いたたたた。もうなんなのよ一体。倒れるなら人に迷惑にならないよう倒れなさいってーの。……って、ちょっと、久乃! 見ていないで助けなさいよ!」
司に悪態をつきつつ上体を起こした美織は、しかし、途端に顔を真っ赤にして、その矛先を変えた。
向けられたのは、入り口で苦笑している女性だ。美織は「久乃」と呼び捨てにしたが、年齢は明らかに美織や司よりもずっと上。夜分遅くでも決して崩れない化粧を施し、腰まである見事な黒髪をスーツの背で遊ばせる大人の女性だった。
「うーん、助けろって言うけど、どっちを助けたらええのん?」
その大人な女性である久乃が妙にトロい関西弁で、美織にしてみればトンチンカンな返答をする。
「何言ってるのよ! 私を助けるに決まってるでしょ!」
「えー、なんでぇ?」
「なんでぇって見れば分かるじゃない! 私が被害者でしょう!?」
「そかなぁ? うちにはむしろ美織ちゃんが加害者に見えるんやけどなぁ」
どうにも埒の明かない会話に両手を振り回して抗議する美織の側へ、久乃はすすーと近付きながら問う。
「大体なんで美織ちゃんはその子に怒ったん?」
「久乃ぉ、もういい加減に」
「美織ちゃん、あかんでぇ。会話はキャッチボールや。今はこっちが質問してるんやから、ちゃんと答えてもらわなハンシンさんに怒られるでぇ」
ハンシンさんは怖いでぇ、必殺ロッコーオロシはありとあらゆるもんを全て摩り下ろしてしまうんやとは久乃の弁。何か色々と間違っているような気がする。
が、ここで下手に反抗してもつまらない。それよりも早く、美織はこの重い肉塊から助け出して欲しかった。
「なんで怒ったって、そりゃあこいつがお店のものを盗もうとしてたから……」
「ほんまに?」
「本当よ! だって、久乃だって見たでしょ? こいつが真夜中のお店に一人残って、商品の棚を漁っていたところを!」
「うん、見たなぁ。そやけど、だからって泥棒って決め付けんのはどうやろか?」
久乃は美織を見捨ててカウンターへと足を進めた。
ああっ! と、美織の救いを求める右手が空しく宙を彷徨う。
もっとも久乃はカウンターにお目当てのものを見つけると、片手に持ってすぐ戻ってきた。
「美織ちゃん、これ、なんやと思う?」
そして手にしたモノを美織に渡す。
渡して欲しいのは、この状況から助け出してくれる手そのものなんだけどと思いつつ、美織はしぶしぶと受け取った。
軽く目を通して一言。
「……なにこれ? こいつの欲しいものリスト?」
「なんでやのん!?」
ぽこりと力の抜けた久乃のツッコミが、美織の脳天に振り下ろされる。
「これはこのお店の在庫リストやん。よく見てみ、タイトルの横に在庫数がプリントされとるやん?」
「あ、本当……」
改めてよく見ると、久乃の言う通りだった。
数字の横に○印がついているのは、在庫通りってことなんだろうか。でも、それだと……
「ちょっと、ってことは何? この在庫数の横にマイナスが付いているのって……」
「……まぁ、それがこのお店の現状ってことやろうなぁ」
慌ててリストを何枚もめくり、美織は言葉を失った。
一ページに記されているタイトルはおよそ五十。しかし、どのページにも確実にひとつ、中には三タイトルにマイナスが表記されているページすらある。
店長不在で色々といい加減になっているだろうなとは予想はしていた。けれど、まさかここまでとは。
「どう思う、これ?」
「そやなぁ、美織ちゃんの想像と同じ、かなぁ」
久乃の答えを受けて、やっぱりと美織は頷く。
ぱっと見でもマイナス在庫がニ、三十は下らない。とても普通に営業していて起きる誤差とは思えなかった。
「他人の店で好き勝手にやってくれちゃって……ふん、でも、いいわ、そっちがそうくるなら、こっちだって容赦なくやれるってもんよ」
「……まぁ、そういう考え方もあるなぁ。でも、その子は他の輩とは違うようやで?」
久乃の言葉に、美織はいまだ自分の胸の中で失神している司を見下ろす。
視察していた時から感じていたが、改めて近くで見てもそのあどけない顔付きからは人の良さが伝わってくる。坊主頭なのもおそらくは運動部員とかではなくて、単純に校則で「望ましい」とされているからに違いない。
今回の件だって営業時間に在庫チェックをしたら、ネコババしているであろう他のバイト達に疎まれるから仕方なくこんな夜遅くにやっていたのだろう。
そう想像すると思わず
「真面目かっ!」
美織は目の前で気絶している坊主頭にチョップをかましていた。
「なんで、そこでツッコミが入るん~!?」
「いや、だってこいつ真面目すぎるし」
「真面目でええやないの……って言うか、これで美織ちゃんも分かったやろ? この子、泥棒とちゃうって」
「う……それはまぁ」
ばつが悪そうにそっぽを向きつつも、美織は自分の勘違いを認める。
「その子が気がついたらちゃんと謝るんやで?」
「で、でも、だったらちゃんと言ってくれれば、私だってあんな」
「言う前にスタンガンかましたのは美織ちゃんやろ。悪いことをしたんや、ちゃんとけじめはつけんと、な?」
美織の言葉を途中で遮って、久乃がのんびりとした中にも決して引かない意志の強さを感じる口調で美織に言い聞かせる。
「……分か」
さすがの美織も承諾せざるを得ない、まさにその瞬間だった。
不意に意識が戻った司が、がばぁと頭をあげたのだ。
コクンと頷こうとした美織の小さな顎。
対して勢いよく持ち上げた司の坊主頭。
どちらが強いかは言うまでもなく――
「ぐはぁ!」
顎をカウンターのタイミングでカチあげられ、両手を上げて上半身を後ろに倒れ込む美織。
「ぐへ!」
そして後頭部を強かに床で打ち。
「きゅう」
床にゆるふわロングの髪の毛をぱあぁと広げ、変な声をあげて気を失ったのだった。