第二十五話:コロッケでGO!
「おーい、みんな席につけー」
しばらくすると担任であろう若い男の先生がやってきた。
同じ中学の知り合い同士で集まっていた連中が、皆そそくさと自分たちの席へと着いていく。
その中でひとつだけ、いつまで経っても埋まらない席があった。
「せんせー」
葵がすかさず挙手する。
「あたしの後ろの人がいないんですけどー」
そう、葵の後ろの席だけがぽつーんと空いていた。
「ああ、その席……いや、霧島はちょっと事情があって五月からの登校となるんだ」
たいしたことじゃないとばかりに先生は説明するも、その素っ気無さが却って「この話題には触れるな」と言っているようだった。家庭の事情とかそういうのかもしれない。だったら確かにこれ以上詮索しない方が……。
「せんせーい、恋ちゃんは何も悪いことしてないと思いまーす!」
と、不意に司の後ろの席から声があがった。
「俺が聞いた話では、恋ちゃんをいびろうとした先輩たちが逆にぶちのめされただけでしょう? なのに恋ちゃんが停学ってのはおかしくありませんかー?」
九尾の言及にクラスが大きくざわついた。
「事情って停学?」
「学校も始まってないのに停学って……ここ、進学校だよね?」
「でも、あいつの話が本当なら、悪いのはむしろ先輩の方じゃね」
まるで波紋のようにざわめきはクラス中に広がっていく。
「み、みんな、ちょっと静かに」
思わぬ展開に、先生がかわいそうなぐらい狼狽して声を張り上げた。
「実は担任の僕もこのことは今朝になって知らされたんだ。なんせ昨日起きたばかりだし、正直に言うと事件そのものもまだ詳しくは知らない。でも、霧島も今回のことは深く反省し、処分を素直に受け入れたと聞いた」
知らなかった、~と聞いた、では、あまりに担任として無責任すぎやしないか。
そう思った生徒たちが、矢継ぎ早に先生に事情の詳しい説明を求める。
でも、実際に先生は詳細を知らされていないみたいで、代わりに九尾が知る限りの情報をみんなに話し始める。
どうやら霧島恋という女生徒は、空手部の特待生らしい。
なんでも歴史のある道場の一人娘ではあるものの、表立った大会には出たことがない。そんな彼女の実力を見ようとした先輩たちが勝手に試合を組み、結果、ボロボロにされてしまったのだそうだ。
「しかもよ、『我が霧島格闘術は実戦を想定したものです。下手したら死にますが、覚悟はございますか?』って冷静に言い放ったらしいぜ」
おおおおっ。
「それでも最初は先輩たちも『大した余裕だな』って笑っていたそうだ。が、ひとり、またひとりとやられていくにつれて、先に余裕を無くしたのは先輩たちの方だった。そしてついにみんなで一斉に恋ちゃんへ襲い掛かったんだ」
お?
「ところが流石は霧島最強流。むしろ一対多こそ望むところとばかりに、恋ちゃんのギアが上がった。結果、ボロ雑巾に変わり果てた先輩たちの山が出来上がるのに一分とかからなかったそうだ」
おおおおおおおおっ!
九尾の話にクラスがおおいに沸いた。
葵も「スゴイ、すごーい!」と大はしゃぎだが、司はどうにも話が盛られすぎているような気がしてならない。語尾のほとんどが「らしい」とか「だそうだ」と伝聞系だし、なにより今朝知り合ったばかりとはいえ、九尾の性格はなんとなく理解できた。おまけに『霧島格闘術』だの『霧島最強流』だの、用語の揺らぎも激しい。
「も、もちろん、喧嘩両成敗ってことで、勝手なことをした先輩たちも停学の処分が下されている」
九尾の話が終わるのを受けて、先生が付け加えた。
「こんなことを言っては拙いんだけど、僕も霧島の停学はどうかと思う。だけどさっきも言ったように、彼女自身も罪を認めているんだ。それに……実は霧島のヤツ、今朝から姿を消したらしい」
クラスがまたどよめく。
「姿を消したってどういう意味ですかー?」
クラスを代表するかのように九尾が声を張り上げた。
「寮の部屋に置手紙があったらしい」
「置手紙?」
「ああ。『修行に行ってきます。停学明けには戻ります』と一言だけ書いてあったそうだ。だから正直なところ、こちらとしてもどうしようも出来ないんだよ」
おおおおおおおおおおおっっっっ!!
クラスがこの日一番の盛り上がりをみせた。
かくして霧島恋という女生徒はまだ姿を見せぬうちから『無敗を誇る伝説の格闘術の伝承者』だの『私より強いヤツに会いに行く』だの『敗北を知りたい』だのと噂されるのだった。
いきなり格闘家少女の伝説が生まれてしまったとは言え、それ以降は何ら普通の高校生活一日目だった。
体育館に移動して入学式。クラスに戻って自己紹介。明日からの予定通達。そして解散。クラスの親睦を深める為にカラオケにでも行こうぜーって話も上がったものの、だったら霧島さんの停学が空けてからのほうが良くねってことで今日はそのままお開きとなった。
「んー、司クンも今日はお休み貰ってたよね?」
「そうですね。高校の入学式って大切な日なんだから今日はいい、って」
「じゃあさ、一緒に買い物に行かない?」
葵はにんまりと笑うと、誰にも聞かれないよう司の耳元に囁きかける。
「そろそろ上の方も欲しいなぁって思う頃かなって思うんだけど、どう?」
司は一瞬何のことか分からなかった。上の方? Tシャツか何かだろうか? と思いを巡らせて、ふと気付く。葵がニマニマとイヤらしい笑いをずっと浮かべているのを。こんな表情の時は決まって何か悪い企みを……あっ!
「いらないいらない、ブラジあわわわ」
思わず大声でブラジャーと言いそうになってしまい、司は慌てて口を噤んだ。
なんとか緊急回避が間に合ったらしく、突然の大声にクラスメイトの何人かは司に振り返ったものの、すぐに興味をなくしたように視線を元に戻した。
「いきなり何を言うんですかっ! いらないですよ、そんなのっ」
「あはは、冗談だよ、ジョーダン。でも、一緒にお休みなんて早々ないだろうし、せっかくだからどこかにご飯でも食べにいこ? それから男の子ひとりでは入りにくいお店にも行きたいんじゃない?」
「うっ、そ、それは……」
司は言葉に詰まった。
確かにその手のお店に用事があったのも事実だった。美織から、みんなで外に食事に行く時に着る普段着(もちろん女性モノ)をいくつか用意しておけと言われていたのだ。
また別の日に女装してひとり出かけることも可能だけど、ぱらいその中ならばともかく、外を出歩くのはまだ勇気がいる。出来れば葵と一緒に行ってもらえたらありがたい。
返答に汲々とする司を、葵は無邪気に笑った。からかわれているんだと思う。でも、司は怒るに怒れなかった。でも、例の女装を続ける限り、ずっと葵にはこんな調子でからかわれてしまうのだろうかと思うと溜息のひとつでもつきたくなる。
「ちょっと待ちな、おふたりさん。誰かひとり、大切な人を忘れちゃいないか?」
と、そこへ後ろから声をかけられた。
「大切な人って誰のことさ、クラスメイトA君?」
「クラスメイトAじゃねーよ! 九尾健太だよ! 勝手にオレをモブキャラに降格させるんじゃねーよ!」
相変わらずうるさい九尾である。
「てか、なになに、飯食いに行くの? 俺も行きたい!」
「なんであんたと?」
「冷たいなぁ。同じクラスの仲間じゃねーか。それにお前、俺のことをよく知らんだろ?」
「ぱらいその常連で、美織ちゃんに連戦連敗。情報通でおしゃべり。これだけ知れば充分じゃん」
「くっくっく、やはりな、お前は俺の裏の顔を知らないらしい」
「……裏の顔?」
「そうだ!」
怪訝そうな表情の葵に、九尾は拳を握り締めて高々と頭上へと突き上げる。
「俺様は何を隠そう『あなたの街のお肉屋さん・肉の九尾』の一人息子なのだ!」
……だからどうした、だった。
葵はますます眉をへの字に変えた。
「いいか、よく考えてみろ。今から一緒に飯を食いに行く。この辺りで飯を食おうと思ったら、当然駅前まで出なくちゃいけない。どこかで飯を食ったら、ついでに何か遊んでいこうと思うのが人情。ショッピングやらカラオケやらゲーセンやら楽しんでいると、あら不思議、昼飯で膨れたはずのお腹がまたぐーぐー鳴り出すじゃないか。するとそこへ偶然前を通りかかった『肉の九尾』から、うちのかあちゃんが『あら健太。早速友達が出来たのかい。よし、お近づきの印だ、これを持っていきな!』と揚げたてほやほやのコロッケを差し出してきて……って、ちょっとそこのふたり、俺を置いて帰るなよっ!」
いつの間にやら司たちは九尾を放っておいて、教室から出ようとしていた。
急いで九尾も鞄を手にして追いかける。
「ご、ごめんね。だって九尾君、話が長いから」
どうして付いて来るかなーって顔の葵に代わって、司がごめんごめんと謝りながら代弁した。
「だからって黙って帰るなよ、お前ら。俺、泣くぞ。それから香住、俺のことは健太って呼んでくれていいぞ。なんせ俺たち、友達だからな!」
「え? あ、えーと、じゃあ健太って呼ぶよ。だったら僕のことも司って」
「それはダメだ。お前のことを司と呼ぶのは、マイ・エンジェル・つかさちゃんへの冒涜に他ならない」
だから俺はお前のことを香住と呼ぶと、九尾は決して譲らない。司としては、だったらその『マイ・エンジェル』ってのもやめてくれないかなと言いたいところだけど、正体を隠している以上ぐっと我慢した。
「てか、なに、お前ら付き合ってんの? だったら俺も空気を読んで無茶は言わないけど」
「えっと、別に付き合っているわけじゃあ……」
九尾の質問に司は語尾を濁ませて、葵のほうをちらりと見た。
葵はなんだか不機嫌そうだ。
自分と付き合っていると誤解を受けて怒っているのかもしれない、と考える司は実にラノベな主人公っぽい性格と言えるだろう。
「だったら俺も一緒に飯を食って、ちょっと遊ぶぐらいいいじゃねーかよぅ」
確かにそれぐらいだったらいい。でも、九尾も一緒に来たら、例のその手のお店には行けなくなってしまうのだ。かと言って、それを正直に言うわけにもいかない。司は困ってしまった。
すると意外なところから助けが入った。
「あ、肉屋の健太君じゃない」
見れば背の高い女の人が「来たれ! バスケット部!」と書かれたプラカードを片手に声をかけてきた。
「あ、どもチース!」
九尾が頭を下げる。
「あんたの頭でもここに入れたんだ? 大丈夫かな、うちの学校」
「先輩、俺のこと、ナメちゃダメですぜ?」
お互いに拳を軽くぶつけ合う。相当に仲がいいらしい。これだけ仲がいいのなら、部活に勧誘して連れて行ってくれないかなと司は願った。
「俺、こう見えて昔から一発勝負には強いんスよ」
「ぶっはっは。あんたが一発勝負に強い? 中学時代、あれだけフリースローを外しまくったあんたが?」
こりゃあ傑作だわと女の先輩は笑った。
「あんたはバスケなんかせず、お店でコロッケを作ってた方がいいわ。バスケのセンスはからきしだけど、そっちは大したもんなんだからさ」
途端に先輩の顔がふにゃんと柔らかくなる。
「ああ、思い出すだけでもたまらない。あの絶妙な揚げ具合、噛むと染み出す肉汁のジューシーさ、ほくほくとしたジャガイモの触感もたまらなく、たかが普通のコロッケなのに、あんたの店のはなんかが違うのよねぇ」
「まぁ、そこは企業秘密っすよ」
「それにキャベツの千切りが付いてくるのも心憎いわ」
「ふふん、キャベツはどうしたなどとは言わせませんよ?」
先輩の喉からごくんと音がした。
「今日も帰りに寄っちゃおうかな。じゃあね、健太くん」
「うい、毎度。先輩も頑張ってくださいな」
立ち去っていく女の先輩の背を、司は恨めしそうに見つめる。
九尾を勧誘してくれると思ったんだけど見当違いもいいところだった。
「さぁ、一緒に飯でも食いに行こうぜ」
おまけに九尾はもう付いていくのが決定事項とばかりに開き直る。
ああ、もう一体どうすれば……。
「うん、行こう!」
葵がいきなり元気よく宣言した。
司は驚いて振り返る。
葵だってさっきまでは九尾が一緒するのを反対していたのに、一体どういう心変わりなんだろう?
「よし、その絶品コロッケを堪能するぞー!」
見ると葵の口元から涎が垂れ落ちそうになっていた。




