第十九話:境界を越えろ
「まだかなぁ、まだかなぁ」
今日の美織は昼頃から落ち着きがなかった。それはこのところ毎日通い詰めてきた司の姿が見えないことへの苛立ちによるものだったが、今はまったく別のことでそわそわしていた。
「美織ちゃん、そんな慌てんでもええやんかぁ。それより買い取りで対決したいってお客様が待ってるんやけどぉ」
「今はダメ。こんな精神状態で対決なんかしたら」
「したら?」
「早く終わらせたくて、本気で戦っちゃうじゃない!」
「勝っちゃうんだ!?」
集中出来ないから負けるかもって答えを予想していた葵は、思わずツッコミを入れていた。
「だーかーらー、かすみーん、早く着替えて出てきてー」
美織が恨めしそうにスタッフルームの扉を睨みつける。
慣れないであろうメイド服への着替えを手伝おうとしたら「は、は、恥ずかしいから出て行ってください~」と、スタッフルームの外へと追い出されたのだ。
「だいたい同じ女の子なんだから恥ずかしがることなんてないのに。ねぇ?」
しつこく出てこい、早く出てこーいと念を送って扉を睨んでいた美織だったが、しばらくすると飽きたらしく、今度は呆れたような口ぶりで葵に同意を求める。
「それをあたしに同意を求める美織ちゃんこそワケワカラナイよっ!」
「なんで?」
「あんたがあたしにしたこと、忘れたのかーっ!」
葵にとって、初めてぱらいその制服に袖を通した時のことは忘れたくても忘れられない過去だった。スリットから丸見えのぱんつに絶望する葵に、美織が紐ぱんを持ってにじり寄る。その後のことを思い出すたびに、葵は恥ずかしさのあまり美織をこの世から消し去りたい気持ちになるのだった。
「女の子同士なんだから気にする事ないのに……」
「じゃあ今度はあたしが同じことを美織ちゃんにしてあげようか?」
葵の提案に、美織はうーんと想像する。そして一言。
「……遠慮しとく」
ほらね、そういうことだよっと葵は意気を強めたその時だった。
「あ、あの……」
ガチャリとスタッフルームの扉が開いて、女の子が顔だけ出して呼びかけてきた。
「おっ、着替え終わったの、かすみん」
「は、はい」
「だったら隠れてないで外に出てきてよー」
もうかすみんたら焦らすのが上手いんだからぁと、美織が近付こうとする。
「あ、美織ちゃん、ストップ!」
「ん? 葵、どしたん?」
「かつて美織ちゃんにむりやり押し出されたあたしとしては、同じ体験を後輩にはさせたくないんだよっ」
思い返すも恥ずかしい想い出パート2が、葵の頭の中に蘇る。
あの時は心の準備が出来ないまま司の前に押し出されて、その視線から感じた思惑についスカートをめくりあげたのだった。
さすがにあれほどの悲劇は繰り返されないだろうけれど、ただでさえ恥しがり屋さんな子だ、美織に引きずり出されるのではなく、しっかり心の準備をしてから自ら制服を着た姿をみんなに公開させてあげたい。
だから葵は美織を留めると、扉の影に隠れる女の子に「いいかな?」と確認を取った。
「……うん」
思ったよりすんなりと女の子の了承を得ることができた。
なら、と葵は足を扉の向こう側へと進める。
女の子が目を瞑り、ううっと呻くのを耳にしながら、葵は制服に着替えたその姿を瞳に捉えた。
「……」
一瞬言葉に詰まった。
「…………」
いや、一瞬どころじゃなかった。
優に五秒は女の子の姿に見とれてしまった。
本当はすぐにでも安心させてあげられるような、優しい言葉をかけてあげるつもりだった。
だけど長い時間を経て、実際出てきた言葉は、
「うはあ」
と、女の子を安心させるどころか、むしろ不安に苛ますような感嘆の声だった。
紺色のワンピースに、レースのひらひらを周囲にあしらった白いエプロンという極めてオーソドックスなスタイルであるが、ワンピの裾もエプロンもかなり切り詰めている。ぶっちゃけ普通にしていても見えちゃうんじゃないかと思える短さだ。
加えてワンピと膝上にレースリボンをあしらったオーバーニーハイストッキングの間から覗くいわゆる絶対領域が、十代らしい元気の良さと未成熟な色気を絶妙に醸し出していて眩しい。
そしてトドメとばかりに、そんな格好をした女の子がプルプル震えているのだ。
改めて葵は、目の前の女の子の凄まじさに驚かされるのだった。
「あ、あの……あのあの」
葵の反応に、プルプルに加えてオロオロし始めて思わずしゃがみこんでしまう女の子。ようやく葵も我に帰った。
「あ、ごめんごめん。すごくかわいいからつい見とれちゃった」
「ううっ」
ウソだとばかりに涙目で女の子が見つめ返してくる。
「いやいや、ホントだって。なんてゆーか、その……ぶっちゃけ、自分に自信がなくなるくらい……」
あははと葵は笑った。笑うしかなかった。
「そ、そんなことないですよっ! ボクなんかより」
自虐的に笑う葵に反論しようと、女の子が勢いよく立ち上がる。
ふわりとスカートがかすかに舞い上がり、そして。
「あー」
葵は見てしまった。
本当ならこれぐらいでは見えることがないはずのソレを。
チラリとだけど。でも、はっきりと。
「……んー、せっかくすごくカワイイのになぁ」
葵は額に手をあてて、うーんと唸る。
「え?」
女の子の方は、しかし、見られたことには気付かなかったらしい。葵の反応の変化した理由が分からず、眉毛を八の字の形にして戸惑いの表情を浮かべた。
だから。
「あのさ……その」
葵はじっと見つめたと思うと、不意に視線を外して顔を赤らめつつ、
「もうここまできちゃったんだから、コレはないと思うよ?」
女の子のスカートをえいとめくりあげた。
「わっ! あわわわわわわわわわわわわっ」
慌てて女の子はスカートを押さえて、再び床にしゃがみ込む。
「な、な、な……一体何を?」
「それはこっちのセリフだよ。まったく往生際が悪いんだから」
いまだ顔を赤らめつつ、葵は涙目でへたりこむ女の子にあわせて、自分も腰を降ろした。
「そりゃね、抵抗があることぐらい、あたしだって分かるよ? あたしだって、キミと同じ立場だったらすっごく悩むと思うもん」
だけどね、そこは越えないときっと全部台無しになっちゃうんだと言葉を繋げながら、葵は女の子の頭を胸に押さえつけた。
「え? あ、あの? あのあのっ!?」
葵の行動に驚いた女の子がじたばたともがく。
「ちょ、そんなに動かないでってば!」
変な気分になっちゃうじゃんと葵は叱り付けて、女の子が落ち着くのを待つと
「ほら、聞こえる? あたしの心臓の音。とてもドキドキ言ってるでしょ?」
諭すように優しく語りかけた。
「まぁ、こんなことをしているからってのもあるんだけど、実は今でもここでのバイトはいつもこんな感じで……やっぱりね、この格好はあたしだって恥ずかしいんだよ?」
「……」
「だからね、キミの気持ちも分かるし、それにここまでやってきただけでも素直にすごいなって思うよ? だって普通は出来ないことだもん」
「……」
「でも、もうちょっとだけ勇気出そ? 大丈夫、あたしはあなたの味方だよっ!」
最後にもう一度ぎゅっと抱きしめると、葵は女の子を解放した。
間近で頬を紅潮させた女の子がじっと見つめてくる。葵は照れながら「そんなキミに私も勇気付けられたから、こんなことをやってみました」と恥ずかしそうに笑った。
「……持ってきてるよね、アレ」
しばし見つめあった後、葵が問いかける。
女の子は躊躇いつつも、コクンと頷いた。
「……じゃあ後は分かるよね? 頑張って最後の一線を飛び越そう! そうすればキミは無敵だよっ!」
葵は立ち上がると、女の子を残してスタッフルームを後にした。
しばらくして。
専用のメイド服に着替えた女の子が、ついに美織たちの前に姿を現す。
「ふおおおおおおおおおおおお!」
美織の興奮した声が店内に響き渡ったのは言うまでもない。




