第十一話:揺れる感情、負けたくない
「というわけで。申し訳ないけど、あなたは不要なの」
美織が言葉に反して、全く悪びれた様子もなく冷徹に言ってのける。
「だけど、さすがにお爺様との約束までは反故に出来ないわ。だから授業料の援助は継続してあげる」
安心なさいとばかりに、にこやかに話す美織。
「あと住居だけど……別のアパートに部屋を用意したから。分かるでしょ? お爺様が用意した部屋は『ぱらいそ』スタッフ専用だって。辞めてもらうあなたには、あの部屋を使わせるわけにはいかないの」
司に用意された部屋は『ぱらいそ』と同じマンションの最上階だった。そもそもマンション自体がマスターの持つ物件で、ちょっとした工夫が施されている。例えばオーナールームとなっている最上階は『ぱらいそ』関係者の一部の人間にしか立ち入ることが出来ない。
美織の言い分ももっともだった。
「まぁ、でも、考えてもみたらラッキーじゃない。だって、うちで働くのが条件で授業料や家賃を免除されていたんでしょう? そこから労働だけが引かれたんだから、誰がどう見てもお得」
「お得じゃないです!」
それまで黙り込んでいた司が、ついに我慢できなくなって美織の言葉を遮る。
「僕、『ぱらいそ』で働きたいんです! 働かせてください、お願いします!」
溜め込んだものを一気に吐き出すように、司は吼えた。
だから。
「……あ」
自分の寝言で目が覚めてしまった。
見上げるは年期の入った染みが目立つ、見知らぬ天井。
昨日の今日で急遽引越しさせられた部屋にはまともな荷物どころかカーテンすらなく、窓から差し込む繁華街のネオンが部屋を様々な蛍光色に次々と塗り替えていく。
十階建てマンションの最上階から、木造二階建て築三十年以上のおんぼろ和室六畳間への急降下。学生の一人住まいにはむしろこちらの方が相応しいものの、突然降りかかった厳しい境遇もあって、司の目元にじんわりと涙がこみ上げてくる。
どうして。
どうしてこんなことになってしまったんだろう?
頑張って勉強して、難関私立に合格。おかげで念願のバイトも勝ち取った。
ここまでは良かった。
でも、肝心のバイト先の状況は最悪で、それでもマスターのお孫さんが先頭に立って、やり方は無茶苦茶だけどお店を変えようとする姿勢に共感を覚えて頑張ろうと思ったんだけど……。
「なのにクビだなんてあんまりだ」
決壊しそうな両目の防波堤を必死に堪えるも、言葉だけはポツリと零れた。
久乃から勘弁やでと言われ、美織からは改めてクビを申し付けられた。
曰く、メイドゲームショップになるから。
曰く、男性スタッフは必要ないから。
何でも他の先輩バイトたちは例の在庫誤差の件をちらつかせて、全員解雇済だという。
その点において司には非がないから、授業料援助と家賃免除だけは継続してくれるらしい。
ありがたいけど、ありがたくなかった。
司の希望は、本来通り『ぱらいそ』で働きながら学校へ通うこと。
『ぱらいそ』をクビになったからと言って、今さら「じゃあ他のお店を探そう」なんて気にもなれない。
司は見てしまったのだ。
美織が目指す、新しい『ぱらいそ』の姿を。
買取金額倍増というご褒美があるにしても、美織とゲーム対決に興じるお客様や、その観客たちはとても楽しそうだった。
美織と黛のやり取りの中で司は自分のクビを自覚しつつも、これから『ぱらいそ』はどんどん面白くなっていくんだろうなぁとワクワクしたのだ。
出来れば働きたい。ここで。『ぱらいそ』で。
だけど「出来れば」なんて気持ちでは、押しの強い美織に対抗できるはずもないわけで。
あっさりクビを言い渡されたと思うと、矢継ぎ早に学校や家賃のことを説明されてポイ。夢のように司に反論させる隙を、美織は全く見せなかった。
マスターの方からどうにか出来ないかと思って、漫喫で例のネットゲーにアクセスしたものの「うーむ、お店の方はあの子に全部任せておるからのぅ。済まんがワシからは何も出来んのじゃ」の一点張り。
とにかく気持ちを強く持って『ぱらいそ』で働きたいことを伝えるしかなかろう、と言われた。
そんなことを言われても、美織を説得出来る自信なんて全くないよと落ち込んだのだけれど……。
時計を見るとまだ夜の十一時。徹夜明けに解雇のショックも加わって、早々に寝床に着いたものの、ほんの数時間しか寝ていない。だけど夢見の悪さと、考えれば考えるほど諦めきれない『ぱらいそ』への想いに、眠気も、そして弱気な自分もどこかへ吹っ飛んでいった。
「……よし、明日、もう一度お願いしてみよう!」
今度こそはしっかりと自分の想いを伝えよう。
メイドゲームショップだから男の店員が必要ないのは分かる。けど、男手が必要な裏方の力仕事だってきっとあるはずだ。本来のやりたい仕事とは違うけれど構わない。美織が目指すお客様と店員がゲームを通して楽しく触れ合うお店に、少しでも役立てられるのならそれでいい。
となると、問題はいかに気持ちを強く持って、美織に嘆願出来るかなのだが……。
司は明かりをつけると、枕元にあるリュックに手を伸ばした。がさごそと中を漁って取り出したのは、一枚のゲームカートリッジ。今となっては一昔前のタイプのカートリッジを、これまた一昔前の携帯ゲーム機にセットして起動させる。
やがて液晶画面に異世界を感じさせる風景をバックに、一本の剣を構えた少年の姿が映し出された。
こんな時にゲームなんて、と思うかもしれない。
でも、司にとってこのゲームは特別だった。
運命の力でひとり異世界に飛ばされた少年が、元の世界に戻るために様々な冒険を繰り広げる、いわゆるロールプレイングゲーム。最初は泣き虫だったけど、少しずつ強く、大人になっていく主人公に司は自分自身を重ね合わせた。
だから勇気を奮い立たせる時、自然と手がこのゲームに伸びるのだった。
もっともストーリー自体はとっくの昔にクリアして、今はただひたすらレアアイテムを求めて戦い続けるだけなのだけれど……。
「あ、あれ? 見たことがない鎧が出た……」
今夜はなかなか幸先良い出足らしい。アイテム収拾率95パーセント台を誇るにもかかわらず、新たなアイテムを手に入れたようだ。
「でも、なんだこれ?」
ただし期待するようなアイテムではなかったらしい。ゲットした鎧の詳細データを見て、司は頭に疑問符を浮かべる。
レアリティは最高のSランクながら、防御力はほとんど無いに等しく、特別凄い付加価値もない。ただ、ひとつだけ特徴があるとすれば……
「うわっ、くだらないや、コレ」
試着してみて思わず絶句する司。
使っているキャラの外見に大きな変更があったのだ。
それは好きな人は好きかもしれない。が、司の趣味ではなかった。
だから、司はすかさず装備を元に戻し、冒険を再開した。
結局、朝方までプレイして手に入ったアイテムは件の鎧だけだった。