―第6章 タナカ―
芹澤は間違いなくまた現れる、佐鞍はそんな気がした。思い返せば、なぜか最近色々と気づいてしまう。少し自分自身の力にゾッとしたのだが、やはり田中のあの「おまじない」 のおかげだろうか。予言の目。多分、芹澤の嘘を見破れたのはあれのおかげで、自分を失わずにしっかり先を見ていたからであろう。もしもこれがなかったら自分は芹澤の傀儡になっていたのだろ うか、と思うと少し佐鞍は身震いする。
家を出ながら、これから芹澤と戦わなくてはならないのだろう、と佐鞍は確信していた。途中、瑠田ルリに会った。何気なく「よぉう!」と声をかけたが、瑠田は佐鞍を見るなり眼を見開いて背を向けて逃げ出してしまった。あれ、何でだろう。今日の瑠田は自分が嫌いみたいだ。少し悲しいけれど、いやしかし、誰かにかまっている場合ではないのは事実だ。とりあえず、ザ・マン・プロジェクトのビルにいかねば。
セミナー部屋内では田中と樋口がいた。もう自分含めて3人しかいないのか、と佐鞍は思った。
「『予言の眼』が正常に機能しているな。」田中が言った。「邪悪なものと戦うには不可欠だ。」
「田中さん、昨日の事覚えているんですか・・・?」佐鞍は気になって訊ねた。
「昨日の事?」田中は言った。「私は全く覚えていない。」
あんな恐ろしい事を覚えていないのかよ、と佐鞍は驚愕した。
「ただ、今の空気が、邪悪な存在がまもなくここにやってくるのを感じる。」田中は言った。「そのために我々は戦わねばならない。」
佐鞍は暫く考え込んで言った。
「芹澤がどんな手段でくるのか分からないんだけど、僕たちで武器を作った方が んじゃないかなあ。」
「問題ない。」田中は答える。「お前は強いザ・マンと自らを守る『予言の眼』、少 年にはザ・マンは弱いがそれを打ち砕く強烈な『予言の眼』を持つ。各々協力すれ ば適切な戦術を自ら見出すであろう。」
樋口も佐鞍も息を呑んだ。
「そしてあなたは何をするのですか。」
佐鞍は訊ねた。
「私には私のするべき事をするんだよ。」
田中は答えた。 空気が張り詰める。
「なんだか嫌な空気ですね。」樋口は言う。
「来るね。」田中も言う。
「なんだあの音は。」佐鞍が言った。
ずぉん・・・・・ずぉん・・・・・。地響きが周期的に聴こえ、ザ・マン・プロ ジェクトの35階の部屋がぐらぐらと揺れる。樋口が身を縮める。嫌な予感がして 佐鞍は外を見ようとゆっくりと大きな窓に近寄る。
窓から巨大な綺麗な目がこちらを覗いてきた。
「うわあああ!」 佐鞍は腰を抜かして床に尻をぶつける。 「せ・・・・・芹澤!?」
「きゃははは。」
ビルの35階ほどある背丈の巨大な芹澤がザ・マン・プロジェクトの窓から見つめながら雅な笑いをする。
「大きくなるのがこんなに楽しいなんて。」芹澤は非常によく響く声で言った。「アタシ背高いの誇りだったの!あなたたちもこの楽しさを知るべきよ、ほら!」
佐鞍はビルと自分達が芹澤を中心として小さくなってくるのを感じた。それと同時に窓に映る芹澤の喜悦の顔から艶やかな真紅のドレス姿が下からせり上がってき た。
「きゃははははは!きゃははははは!きゃはははは!」
芹澤の身体がセミナーの大窓を押し付けて割れる。破片が佐鞍に迫るが一片も佐鞍に衝突しなかった。誰かが佐鞍の肩を触れるのを感じた。田中だった。屋上で田中は微笑んだ。一瞬気づかなかったがテレポーテーションしたのだな、と佐鞍は理解した。遠くのビルの屋上だ。ザ・マン・プロジェクトのビルは芹澤に押し付けられて半壊していた。その近くの美しい冠とドレスを着た芹澤は今やビルと比較して おおよそ160mほどの身長で恍惚とした表情で上を見ていた。
その時花と蜜のような甘い香りがたちこめる。
「なんでしょう、この香り。」樋口が言った。
「だめだ!」田中が珍しく叫んだ。佐鞍も察知した。(彼らから香りを遮断しなければ!)これは王者の香り。これをあまりに吸ってしまうと頭が心地よくなり、香りの根源を求めるうちにそれが好きになってしまう。
「芹澤様。芹澤様ァー!」「芹澤陛下―!」「芹澤様!」「芹澤様!」
案の定、その香りを吸った老若男女の怒号がビルの下から響く。佐鞍がビルの下を眺めると道路に人が密集 して、芹澤に向かって手を伸ばして絶叫していた。
「さあ私の愛しのアリンコちゃん!」声を上げている芹澤は瞳の焦点が定まって いなかった。「芹澤ショウコ女帝の誕生を祝い、太陽、月、地球、魂を私に捧げる事 を誓いましょう。」
「誓いまーす!」「芹澤様―!誓いますから御手を触れてください!」「誓いま す!」
「きゃはははははは!」
「何てことだ・・・・」佐鞍は唖然とした。
「立ち向かうのです。」
田中が言ったので佐鞍は「ええ!?」と思わず叫んだ。
「こんなデカいのにどうやって立ち向かうのですか!」
「彼女のザ・マンは現実化された虚像です!」田中が言う。「それを突きつけるには『予言の眼』が必要です!」
「予言の眼?」
芹澤が右手を天に仰々しく上げると人々もそれに倣って右手を天に上げる。
「そうです。」田中は言う。「予言の眼で『見つめる』のです。」
「そのためには・・・」と佐鞍が言った時、樋口が口を開く。
「佐鞍さん、田中さん。」
「なんだい。」
「僕がやります。」
右手を上げながら芹澤は更に世界を小さくしていった。
「何をだ?」佐鞍が訊いた。
「できるかどうかわかりませんが、」樋口は言う。「僕があの人の全てを真っ直ぐ見て、それを提示すればいいのでしょう?」
「真っ向勝負したら消されるぞ。」
「いや消えてもいいんだと思います。僕はヒトじゃなくて予言の眼そのものになればいい。」
「え・・・?」
「佐鞍さん。僕を飛べるようにしてください。そして僕に手助けしてください。」
「どうすればいいんだ。」
「具体的な事は僕の微弱なザマンでそちらに伝わると思います。速くしないと、皆が芹澤に引き込まれてしまう、ああ僕には分かるんだ。」樋口はいつもの棒読み口調ではなく極めて真剣な言葉遣いで言っていた。「彼女は自己統率ができなくなって人間らしさすらうしなって恐怖を感じるに違いない。そうなると、その寂しさを埋めようとして次々と信者達を取り込むんだ。そうなったら多くの死者が出る。」
「わかった!ならばそう願おう。」佐鞍は言った。「樋口君、もう飛べるよ。」
樋口はこくりとうなづいた。「では、行ってきます。」
樋口はそのまま跳び上がり空に向かって飛んでいくのを佐鞍と田中は見守った。200m大の芹澤が巨大なドレスをはためかせながら佐鞍から見て右の方に向かっている。
“芹澤さん!やめるんだ!”
樋口から佐鞍へ、そして佐鞍から芹澤へその念話は伝わった。芹澤は首をゆっくりと左右に振って「誰?」と言う。
“樋口サネヒコです。”
そして芹澤にとってはゴマつぶのような大きさの樋口を確認する。
「・・・あなた生きてたのね。」
“正気に返ってください。”
「正気?」
“あなたはとても危険な状態にあります。早くそのザ・マンを停止させないと、あなたばかりかあなたに集う人々まで犠牲が出ます。”
「私にやめさせろと?」そう大声を上げながら右足をドンと打ちつける。ぐらぐらと街が揺れて佐鞍はよろめいた。芹澤が呟く。「わたしから、これを取ったら何が 残るというの・・・。」
「欲望の示す未来に魂を売り渡したから」田中はボソリと言った。「もうその為に しか生きられない。」
“ならば僕が強制的に止めるまで。”
樋口は言った。
「はは、どうやって止めるのかしら。消えてもらうわ。」
だがしかし直後に芹澤は真顔になり、徐々に顔が青ざめていった。
「な、なにこれ・・・怖い、怖い怖い!」
“予言の眼でみたものを貴方に注ぎ込んでいる。”
芹澤は顔を抑える。「いやだ!熱い!燃える!燃えちゃう!」
佐鞍は樋口から通じた光景を芹澤に全て流しながらもそのおぞましさに汗をかいていた。あれは芹澤の中に入って解析しようとしたときに見出した、未来からの、 炎のような熱さ。佐鞍はあくまで導線役だったのでそれを直接感じる事はなかった。しかしあの解析が、邪悪な炎を見出した解析が「予言の眼」によるものだったら樋口も同じようにあの強烈な熱気にあてられているはずだ。すると樋口は自分が死ぬ覚悟で・・・
「トオルくん!いるんでしょ!助けて、助けてよ!」
巨大な身体のあちこちから煙のように身体の形が溶けるのを指で押さえながら芹澤は叫ぶ。佐鞍はドキリとするが、田中がこちらを決然とした眼差しで見るのでやめることはできなかった。
「熱い熱い熱い!」 そのうち光景が途絶えたので、樋口少年はついに耐え切れず消滅してしまったのだな、と佐鞍は気づいた。一方芹澤もあちらこちらで自分が破れ始めて押さえる指 が溶けて空気中に漂っていくのを見て「ぎゃあ!」と悲鳴を上げる。その光景を見て佐鞍はただただ呆然とするしかなかった。「トオルくん・・・助けて・・・トオル くん・・・」と言うがもう佐鞍にはどうすることもできない。芹澤は自動的に消滅している。「何にも屈したくなか っただけなの・・・」芹澤はほぼ白い霞のような姿で微かに叫ぶ。「私の存在・・・」
芹澤が完全に消えてしまったのを見て佐鞍は呆然とその霞を眺めていた。明確に死の瞬間を見たのは芹澤が始めてである。芹澤は欲望ゆえに死んだが、その欲望ゆえに生への執着が恐ろしくあったのだろう。だからあっさりと消えてしまった眞鍋や阿奴田よりも生々しく佐鞍に迫って感じられたのである。
「これで、あと一人だな。」うしろから聴こえたので振り向くと田中が佐鞍を見つめていた。
「た・・・田中さん?」
「私の名前は田中じゃない。セミナーによって狂わされた人々を浄化するために、お前らの言う運命操作、とやらで侵入した。」
「私を、殺すのですか?」
「さあねえ。」
「・・・あなたは誰なんですか。」
佐鞍がそう訊くと田中は眼を剥いて答える。 「パンフレットみたか?著者であるグレン・アンダーソンがある男を『ザ・マン』と呼んだ。私がその男だ。」
「ザ・マン・・・。」
「本来運命操作を極めたならば、過去も未来も必要ない。しかし、今この話の為に封印していた記憶を再び召還しよう。」ザ・マンは答える。「私は生まれつき何かを操作する超能力があったらしい。おそらくそのメカニズムはパンフレットでアンダーソンが言う通りのものであろう。わたしはグレン・アンダーソンに、私の力でその力を目覚めさせた。しかしそれが誤りだったのだ。
「アンダーソンは早速それで金儲けをしようとセミナーを始めたのだ。『私はザ・マンを見た。誰の心にもザ・マンは存在する。』とな。そしてアンダーソン自身が周りを目覚めさせてしまった。持つに相応しい知性と品性の無い者が力を無理やり手にしたらどういう危険があるのか、能力のある私が、品性の無いアンダーソンを見て最も感じたことだ。だから私は早急にとめなければと思い、各地を回って潜入し、『予言の眼』 と私が呼んだ能力を持っている人を次々と覚醒させ、セミナーを壊すことにした。
「だがこの『予言の眼』とやらもな、本来運命操作と一緒になって始めてごく普通の正常な人間となる。噛み砕いて言えば、『予言の眼』とは先を見据える客観的な眼差し、運命操作は自分の意志を突き通す主観的な想い、のようなものだ。つまりザ・マンである私は主観で強引に押し通せるほど異常でエネルギッシュな人間だったというだけさ。
「ここでは残念な事に殺人が3度行われた。樋口の父親、眞鍋、阿奴田。 この中には極めて強力な『予言の眼』を秘めた者もいた。どいつの死も極めて邪悪な嘘つきの仕業だ・・・・さて、運命操作の本質は何だと思う?」
唐突にザ・マンに訊ねられても佐鞍は首を傾げて思いつきの答えをする事しかできなかった。
「願望・・・・?」
「まあまあ近いが私にとっては運命操作とよばれたものは『祈り』だ。」ザ・ マンは言った。「実現可能かどうかが問題ではなく真に願望を現実に向かって通す真摯な祈りだ。しかし嘘つきには永遠に理解できない概念でもあろう。なぜならば嘘つきは未来の願望を叶えるために、今すぐにそれを叶えようと嘘をついて嘘を信じる。それは神に捧げるような祈りではなく、代わりに自分の祈りを自分で取り成す意味で、神にでもなったかのような傲慢さを抱いている。彼らがそういった傲慢な自分を肯定するために、『ザ・マン・プロジェクト』とかいういまいましいセミナーができたようなものだ。『予言の眼』というのも私にとっては皮肉で、愚かな嘘つきどもには決して見えない未来、遠かれ近かれ素直に感じて分かる世界の流れを、予言と呼んでいただけだ。」
話し終えたのかザ・マンは一度その澄んだ瞳で空を見上げた。そして微笑んだ後、佐鞍を見た。
「お前は殺さない事にした。ただ、正常にもどってもらう。そのためには、お前にとっては、こんなことなんてなかったと、初めからしておく必要がある。眼を閉じろ。」
ザ・マンは眼を閉じた。佐鞍もそれに続いて眼を閉じた。
がたんごとん、がたんごとん。電車が揺れる音がする。