―第5章 セリサワ―
「おまじない。」
「予言の眼。」
・・・田中は佐鞍を指差してそう言った。もしかして『予言の眼』の力を与えたのだろうかと思ったが、しかし現状なにも感じない。分かる事といえば、いまいる田中とそして先ほど来た樋口少年のいるこの部屋の中に、もうすぐ芹澤一人だけがやってくる事だけである。扉が開き、芹澤が表れた。ジーンズに赤のブラウス。芹澤は佐鞍に寄って肩に手を置いて言った。
「おはよう、トオルくん。」
「おはようございます、芹澤さん。」
「今日は阿奴田さん来るかしら。」
「来ると思いますよ。」
「また怖い事言わないかなあ。」
「今日は落ち着いてるといいですね。」
「いざとなったら、ちゃんと文句言わなくちゃね。」
「そうですねえ。」
「そういえばね、最近発見したことなんだけど。」芹澤は右手を佐鞍に見せた。「服
も変えられるってことは身体の一部も変えられるという事よね。」
そういって芹澤は右手の形をぐにゃぐにゃと変形させたり、巨大化したり縮小したりする。
「トオルくんも出来る?」
「うーん。」
佐鞍トオルは右手を見つめる。右手は木の枝のように細かくなったり、巨大な鉛筆のように一本の鋭い形になったりする。もとの右手の形に戻した時に、芹澤は「すごい、すごーい!」と誉めた。
「何をしている?」
二人の背後から声が聞こえた。阿奴田である。丸眼鏡から冷たい眼差しで二人を見下ろしている。この時、何か阿奴田が変だ、という感触を佐鞍は抱いた。
「あ、いや、その、」佐鞍はわなわな言う。「ちょっと遊んだだけで」
「私に隠れて研究とかいい度胸をしているね。」
阿奴田は佐鞍の胸倉を掴む。
「え、ちょっと。」
阿奴田が佐鞍の目と鼻の先で唸るように呟く。
「この、恩知らずが。誰がお前を育てたと思っている。誰がお前を見つけたと思っている。くだらないフーリッシュどもの社会から真の自由へと救い上げたのは誰だと思っている。お前はそんな私を裏切るのか。え?そんな事ができるのか。お前はそうして力を無駄にし中途半端な人間としてさまようのを俺に見せて悲しませるのが好きなのか。え?そうなんだろう?おい。」
佐鞍は事態が飲み込めず何も言えずにただ息を詰めている。
「お前は裏切り者なのか?何も真髄をしらないヒヨっこが傲慢にも俺を裏切って我が物顔したいというわけか。大した自信だなあ。それでいくらでも弄ぶといい。 恩を忘れて生きるのがそんな気持ちいいというならばな。」
その時芹澤が立ち上がる。「阿奴田さん!いい加減にしてくれますか?」 阿奴田は佐鞍を離し、芹澤を冷たく眺める。
「芹澤くん・・・・・・・なんだね。」
「阿奴田さん、最近変です。私と知り合った頃は、ザ・マンの研究をするぞ、と励んでいたのに、なんだか最近すごく厳しい。」
「厳しい・・・?これは一つの愛だよ。」
「愛?ザ・マンは真の自由に目覚めるためのものだといってたじゃないですか。矛盾してはいませんか?」
「真実に目覚めるためには意識はある程度統一する必要がある。そのためには異端者を許すことができない。最近もいたじゃないか、眞鍋とかいうやつが。」
眞鍋!佐鞍は突然その名前に閃くものを感じた。
「眞鍋?誰ですか、眞鍋って。」
芹澤が言うと阿奴田は答える。
「お前達はすでに運命操作で忘れているだろうが、車椅子でリハビリのためにここに来た老人だ。だが、優秀な佐鞍くんをたぶらかし、反逆思想を植えつけようとした。私はあの老人を運命操作して消し去った。」そして阿奴田は笑い出す。「私は、決し て、悪い奴を、許さないのだ、アーッハッハッハッハ!」
ふと、何かがおかしい、と佐鞍は思った。芹澤は立ち上がって咎める。
「あなたは、なんてことを!したんです!」
「おおう、芹澤くんももしかして僕に歯向かうつもりなのか?」
「いや、そうじゃありませんけど。」
「嘘をつけ!」阿奴田は激しく形相を変えた。
「阿奴田さん!」
「お前も同じなんだろう芹澤!俺を操作して馬鹿にしてるんだろう。」
「何を言ってるんですか!」
「お前も、眞鍋のジジイと同じように、全く消してやる!いたぶりながら消してやる!見てろ佐鞍、反逆者の末路をな!お前もこのようになる!」
部屋の隅が徐々に歪みだしたことに驚いた樋口は慌てて外に出かけた。田中はいつのまにか消えていた。佐鞍はセミナー部屋の中に向かい合って立つ阿奴田と芹澤を見た。芹澤の方が身長高い。その芹澤は右腕に徐々に裂け傷ができるので「クッ・・・」と苦しみだす。阿奴田はやや下を向いて笑みを浮かべながら芹澤を睨み、それは恐ろしく殺意に満ちた形相なので佐鞍は身震いする。芹澤の裂け傷が徐々に広がり佐鞍は助けねばと駆け出そうとするがなぜか身体が動かない。本当に身体が動かない。脳のどこかで『行ってはダメだ』と言われているかのようである。苦しんでいた芹澤は眼を見開いて阿奴田を見た。阿奴田は芹澤を真っ直ぐ見て硬直する。そし て脚を畳んでひざ立ちする。そして手を組んで「芹澤様・・・・」と言いながら涙を流している。佐鞍はわけがわからず呆然とした。
「ああ、芹澤様・・・芹澤様。芹澤様・・・。」
芹澤はカツカツとハイヒールを鳴らして阿奴田の目の前に向かい、血の滴る右手 の平を阿奴田の頭頂部に置いた。そして芹澤は叫んだ。
「皆戻ってきて!危険は去ったよ!」
扉を開いて樋口少年が戻り、いつのまにか田中が佐鞍の隣にいたので「うわっ!」 と叫んでしまった。芹澤はそれを見て微笑み、そして言った。
「皆、現在ザ・マン・プロジェクトには指導者がいない。だから運命操作の訓練 は皆で共同で行わなくちゃいけない。それでなんだけど、」
芹澤は佐鞍の肩をたたいて言った。
「私とこの実力のあるトオルくんとでプロジェクトを組もうと思う。どう思う?」
佐鞍は気が進まない上に混乱した。そもそもなんで指導者がいないのだろうか。 前の指導者って誰だったっけ。芹澤だったっけ?
「阿奴田さんは?」
直後に樋口が言う。佐鞍はハッと思い出した。 阿奴田さん。
「え?」芹澤は言い返す。「阿奴田さんって誰のこと?」
「じゃあ、芹澤さんが消してしまったんですね。」
樋口が悲しそうに言った。
「私が消した、ってどういうこと?」芹澤はふたたび言い返す。「阿奴田さんって誰のことかマジでわかん無いけど、言いがかりはおよしよ。」
「今更僕に運命操作をしようとしても意味ないですよ。僕は『予言の眼』でしっかり貴方を見定めています。うっかり忘れていたのが運の尽きですね。」
芹澤はたじろぎ、佐鞍を向いて言う。
「トオルくん、ちょっと、どうしちゃったのこの子。」
「阿奴田さん・・・。」佐鞍は呟いた。気づいてしまったのである。「もしかして阿奴田さんは初めからここで消えるように仕組まれていたのか。」
「トオルくんまで!」
「ということは・・・芹澤・・・」佐鞍は芹澤を見て言った。「お前が阿奴田を運命操作したのか。」
「・・・・。」
芹澤は黙った。佐鞍は言った。
「思い出してきたぞ。阿奴田さんが『一丸となって活動できるように』とか言って変なレジュメを配る前に、そういえば眞鍋さんが消えていたんだ。レジュメが余っていた。あの直後におかしくなったとしたらタイミングが妙だ・・・。眞鍋さんを消したのももしかしてお前なのか。」
「・・・・。」
「おい。何とか言えよ。」
「・・・・阿奴田さんに失望したんです。」芹澤はボソリと言った。「トオルくんがいつだったかリラックスの音楽を変えた時、阿奴田さんはちっとも気づかなくて苛立ってたの覚えている?あれにも驚いたんだけど、そもそも、それに気づいた私にも驚いたの。」
「どうして気づいたんだ。」
「運命操作はその行使してる力の大きさよりも強い人は、運命操作されている事に気づく事が多いの。だからあなたが行った、阿奴田がちっとも気づかなかった音楽の操作を私がわかったということは、少なくとも私は阿奴田よりも力が上だ、という事実に気づいたの。だから、阿奴田は指導者としてはもうやっていけない事がわかった。」
「え、それで阿奴田を消したのか。」
「話は最後まで聞いて。わたし、テレポーテーショ ンのワークショップ時に確信したんだけど・・」
芹澤はまっすぐ佐鞍を見て言った。
「あなたが、ザ・マン・プロジェクトの指導者として最も相応しい人だと思ってここまでしようと思ったの。」
「え・・・?」
「阿奴田は自分の愚かさを暴かれるのは嫌だから死ぬまで指導者の位置が変わらないと思う。だから死ぬ他なかった。でも死ぬには理由が必要だと思った。そこで阿奴田にとって好ましくない眞鍋をしかたなく消す事にした。阿奴田がそのきっかけで精神がおかしくなって、私を殺す、という事になれば、阿奴田は正しく死ぬ事になったわけ。」芹澤は真っ直ぐ佐鞍を見た。「全てはトオルくん、あなたが立派なリーダーになってくれればいいなと思って、その、あの。」芹澤はなんだか恥ずかしそうにしていたので佐鞍は戸惑ってしまった。 「その・・・強い貴方が見たかったんです。」
芹澤はすっかり顔を赤らめてしまった。佐鞍はますます混乱した。
「強い、僕を・・・?」
「そう、全てはあなたのため。あなたが人類の救済者となるための必要な事。」
「気をつけて!」少年が叫んだ。「運命操作だよ!」
芹澤は眼を見開いて樋口を見る。佐鞍は頭を振って気づきの閃きを得る。これは違う。
「つまり、」
佐鞍は芹澤の言葉を租借しながら言った。 「どっちにしても貴方は僕を自分の為に利用したということには変わら無い。そうはさせない。」
芹澤は眼を見開いた。佐鞍は自分の周りがどんどん渦巻いていくのを感じた。芹澤は佐鞍を真っ直ぐ見ている。その光景がゆっくりと離れていくのを感じ、全身の感覚が無くなっていく事に気づいてまずい、自分、消される、と察知した佐鞍は、ぼやけた像である芹澤を解析する。あ、この解析こそが予言の眼か。見える、見えるぞ。芹澤の目的は一体 なんだ。こいつは何のために動いているんだ。お前の目的を消してやる。佐鞍は芹澤の中に入っていく。
芹澤は驚いて「アッ」と悲鳴を上げる。佐鞍の姿は消えていた。芹澤の精神の深層の深層へと入っていく。美しい理想だった都市世界が一瞬で破れ、 暗い暗い道を入っていく。やがて激しい熱、炎を感じる。その炎はどこから着たのか。どうやらこれは現在には無い炎である。未来。未来からだ。未来からこちらに焼き尽くそうと邪悪な炎を傾けてくる。こいつは、この芹澤は、全ての目的、意思を現実ではなく常に未来にささげている。それはさながら、何らかの野望のために悪魔に魂を売り渡したというべきものか。これは操作できない。この征服するエネルギーは、全てを破壊してしまう。この炎に触れると皆死んでしまう。佐鞍は怯えて芹澤から離れる。
「お前は邪悪だ!」もとの位置に戻った佐鞍は言った。「お前は欲深で嘘つきだ! だから強力なザ・マンを持っているのだ!誰にも明かさない望みがあるんだろう!」
芹澤は目がひっくり返り次第に笑みを浮かべる。
「さあ、言え!何が目的だ!もう騙されないぞ!」
「はへへへへへひふふふふふほほほほほ」
芹澤は笑い出す。佐鞍は驚くと同時に芹澤を中心として自分自身と部屋全体がどんどん小さくなるのを感じた。
「わたし、わたしこそが、女帝になるというのに。」天井に頭をぶつけて芹澤は身を屈めるがその間もどんどん部屋中が小さくなり、やがて立てなくなって膝を地べたに広げるように座る。明かりが覆われ暗い巨体で 見下ろされて佐鞍は腰を抜かしてあとずさりする。「お前が強いのが許せない・・・。」
自分の秘密を見られた怒りで芹澤は笑顔が裂けていた。そして芹澤は佐鞍の脚の長さほどにもある手の平を佐鞍に伸ばし掴もうとし、佐鞍は思わず叫ぶ。
「ああ!」
屋上で佐鞍は激しく転んだ。あれ、掴まれたのではなかったのか。
「田中さんが運んでくれたらしいです。」樋口が言った。田中は空を見つめていた。
「3人同時にテレポーテーションできるのか奴は。」佐鞍は言った。「恐ろしいザ・
マンだな。」
「そうですね。」
「芹澤・・・。」 佐鞍は地面を見つめた。芹澤はザ・マン・プロジェクト自体に反対していたわけではない。だからプロジェクトの反逆者たる眞鍋を殺した。そして阿奴田を利用していたが阿奴田に力が無いと知った途端に阿奴田を操って死に至らしめた。そして佐鞍に接近した。
「ザ・マン・プロジェクトやあなたをダシにして世界の支配者にでもなりたかったんでしょうね。」
樋口がボソリと言った。佐鞍は暫く黙っていた。結局この長い期間、僕は阿奴田や芹澤に利用されてたんだな。佐鞍は口を開く。
「しかし樋口くんの言う通りだったな。ザ・マン・プロジェクトは確かに終わってしまったわ。僕たちではなんか何もなりたたないよなあ。」
「うん。」
「しかしこれからどうしよう。」
「まだ終わっていない。」田中が口を開いたので樋口も佐鞍も驚く。「まだやるべきことを済んでいない。」
「やるべきこと?」
「未来に意思を売り渡し、そしてとうとう統率を失ってしまった人間がいる。」 芹澤の事だな、と佐鞍は思った。 「その人間を全く停止しないと世界は破滅するであろう。」
佐鞍と樋口は思わず息を呑んだ。
「そんな・・・。」
「優しさの強さの無い人間が支配を身につけると全てが道連れになる。」田中は言う。「我々のこの取り組みは早急に無くすべきなのだ。」
「あなたは一体・・・」佐鞍は訊ねた。しかし田中は黙ってしまう。そして屋上には沈黙が訪れる。
しばらく屋上で待っていたが一向に何か動く気配が無い。
「なあ。」
佐鞍が口を開いた。
「このまま屋上で待ってても仕方なくない?」
樋口が言った。
「そうですね。芹澤さんが部屋にいるのかどうかが気がかりですが。」
「うん、それだよな・・・。」セミナーで巨大な芹澤が待ち構えているかもしれない。
その時田中が立ち上がり階段に向かう。
「え、行くのか。」
佐鞍がそう言っても田中は返事をせずそのまま下がっていく。樋口がその後をつ いていき、仕方なく佐鞍も階段に向かう。 しかしそもそも気配が無かった感覚通りに、芹澤の姿は無かった。ザ・マン・プロジェクトの部屋はすっかり荒れていた。観葉植物の木々が倒れ、天井がひび割れていた。
「しっかし巨大化までできるとはな。」
佐鞍はぼんやりとあたりを見回しながら言った。
「いくらなんでも理性を完全に失っているよな。」
「でもあれで巨大化の実現の味をしめただろうし」樋口は言った。「今度はどういう風に来るか分かりませんね。」
「そうだな。」
佐鞍は伸びをした。
「とりあえず、帰ろうか。明日ここにまた集まろう。」
樋口はうなづいた。田中は笑っていた。