7 校外学習当日午後
「はい」
「おう、ありがと」
鈴丘がよそってくれたカレーをもらい、俺は河原に移動する。
ちょうどいい岩を見つけたのでそこに座ると、カレーを一口食べた。
うむ。美味い。
姉さんが作ったものより味は劣るが十分美味しいものだろう。まあそれは大自然に囲まれながら食べているから、ということもあるのかもしれない。
青々と茂る木々。澄んだ空気。川のせせらぎ。時々聞こえてくる鳥のさえずり。
ここまで豊かな自然に触れる機会がほとんどないためだろうか。心が洗われるような感覚があった。
ザザァッ……チュンチュン
あ、今鳥が鳴いた。ははは。
ふう……。
よし決めた。俺、将来は田舎に住む。
俺の将来設計が決まった瞬間だった。
カサカサ……カサカサ
あ、今ムカデみたいなのが岩の隙間を動いた。ははは。
ふう……。
よし決めた。俺、将来は都会に住む。
俺の将来設計が変わった瞬間だった。
「武藤君、隣いい?」
俺が移り行く未来に戦慄していると、後ろから声をかけられた。鈴丘だ。
目だけでなんでと問うと、鈴丘は俺の隣に腰を下ろした。え? なんで?
「功刀さんと甲斐君、どんな感じだろうね」
「さあ、あいつらの会話なんてあいつらしか分からんし。そもそも会話してるのか怪しいよな」
「あー……。で、でも功刀さん一生懸命だし……」
鈴丘はこう言うが本当のところはどうなんだろうか。会話してても功刀がどもりまくって大変なことになってそうな気がする。
いやでも最近は割と普通に話せてたっけかな。じゃあ安心か。鈴丘の言うとおり功刀は一生懸命だし。
「つーか功刀は服褒めてもらえたのかね」
「さ、さあ。そこは分からないけど」
「まあわざわざ俺らのいる前で褒めたりはしないか」
「そうかもね」
服の一件は迷宮入りした。後で功刀に聞いてみるか。
「あ、ほら。甲斐君と功刀さん。あそこで二人でカレー食べてるよ」
「ん?」
鈴丘が指差す方向を見ると確かに甲斐と功刀がいた。
二人はちゃんと会話をしているようで、ときおり笑いもあった。思っていた以上にうまくいっているようだ。
「もう一押し、かな?」
「だな。いや俺はよく分からんが」
「分からないんだ……」
俺の情報源がアニメ漫画ラノベというエンタメである以上、確信的なことは言えないし分からない。
それにエンタメ的視点だけで言っても分からないのだ。好意を寄せていなくても、女子と仲良く話す男子なんてのはたくさん出てくる。
「逆にお前はどうなの? もう一押しって言い切れるのか?」
「言い切れないけど……でも最初よりは全然いいし、もしかしたらってこともあるでしょ?」
「まあそうだな。……とりあえずもう一つ何かしてみるか」
言うと鈴丘は不思議そうな顔をする。
「もうあとは自由時間だけだけど、何か考えがあるの?」
「あることはある。いやこれまで通り自然に二人きりにするだけなんだが。あいつらを自由時間、ずっと一緒にいさせよう」
まあうまくいくかは分からないし、うまくいっても不自然になると思うが。
やらないよりはマシだろう。
*功刀愛華視点*
まったく、大変なことになったわね……。
私は頭上に迫ってきた木の枝を避けながら思う。
幸いまだ日は出ている。だが、どっちがどっちの方向かは分からない。
つい数十分前までは心休まった鳥のさえずりや木々が揺れる音も、シチュエーションが変われば途端に不安を煽る音となる。
これはそう、遭難と言うのだろう。
ニュースで何度も見たことがある。山の中で死体が見つかったとか、何日もさまよったとか。本当に怖いものだ。
だが、今の私の隣には甲斐君がいる。だからパニックにはならずに済んでいた。
「功刀さん、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫よ」
甲斐君は私を振り返ってそう問う。
少し顔が赤くなってしまった、と思う。
こんな状況でも私を気遣ってくれる甲斐君、優しいなぁ……。
「とりあえず、一度通った道は分かるように目印つけておこうか」
「そうね。木の棒でも地面に突き刺しておく?」
「そうだね。それでいいか」
そう言うと甲斐君は近くにあった木の枝を折ると地面に突き刺した。
力強いなぁ……。
携帯電話で思わず隠し撮りしてしまいそうだった。
その携帯電話で誰かに連絡すればいいと思ったけれど、予想通りというかなんというか圏外だった。
だからこうしてさまよい歩くしかないのだ。
こんなことになったのも全部武藤のせいだ。あいつがいなくならなければ。
いや、武藤の意図はなんとなく分かっている。鈴丘さんが妙な理屈を持ち出して私と甲斐君を二人きりにするようにしたのだから。つまりはそういうことでしょう。本当は武藤はいなくなってすらいなかったのかもしれない。
遭難してしまったこと自体は私と甲斐君の責任だ。
枝を避けながら前へ進む。
「ったく……武藤の野郎……」
一瞬、空耳かと思った。
だって甲斐君の声がいつもと違って……いえ、こんな状況だもの。甲斐君だってイライラはするわよね。
「そうね、戻ったら武藤を一緒に怒こりましょ」
「ん? ああそうだね。あの野郎ぶっこ……いや、なんでもない」
甲斐君は何かを言いかけてやめた。
なんでもないと言われると余計気になる。
けれど次の瞬間には気にしていられなくなった。
ガクンと体が傾いたかと思うと、ズザザという音がする。
少し遅れてから自分が転んだんだと気がついた。どうやら木の根っこに足を引っ掛けてしまったらしい。前しか見てなくて気がつかなかった。
「功刀さん、大丈夫?」
言いながら甲斐君が手を差し伸べてくれる。
このアングルから見る甲斐君もかっこいい。写真にほしい。
私は差し伸べてくれた手を取りながそんなことを思った。
甲斐君の手は硬くてゴツゴツしていて、男の子の手という感じだった。かっこいい。
「っつう……」
けれど私の思考は突然きた痛みで停止した。
左の足首だ。転んだときに捻ってしまったらしい。
「どうしたの?」
「えと、ちょっと捻っちゃったみたい……」
「歩けそう?」
「どうだろ……」
少し動かすと内側から鈍い痛みがある。
動かさなければなんてことはないが、体重をかけることは厳しそうだ。
「ちょっと、ダメだと思う……」
「そうか……」
甲斐君が困ったような顔になった。
こんな状態でも少し見とれてしまった私は完全に毒されてる。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
このままじゃ甲斐君に迷惑をかけちゃう。どうしよう。どうしよう。
焦っていると甲斐君が私に背を向けてしゃがんだ。
「仕方ないから、おぶって行くよ」
「え?」
「ほら早く。時間が惜しいから」
「で、でも体力を消費するのもまずいんじゃ……」
「俺、サッカーで鍛えてるから大丈夫だよ」
「じ、じゃあお言葉に甘えて……」
言って甲斐君におぶさる。
甲斐君の背中は大きくてしっかりしていだ。
けれど、すぐそんなことを考えてはいられなくなった。
私、重くないわよね……?
一度気になり始めると気になってしょうがなかった。おぶってもらっている間、ずっとそればかり考えていた。
*武藤飛雄馬視点*
「甲斐と功刀がいなくなった?」
「そうなの、武藤君……。どうしよう、迷ってるのかも……」
鈴丘はそう言って泣きそうな顔になった。
ちょっと待って。泣かないで。落ち着いて。困るから。
「本当にいないのか? 甲斐くらいスペックなら迷ったりしないと思うんだが……」
「だって、二時半にここ集合ねって言った場所にいないんだもん。もう三時なんだよ?」
確かに、三十分も来ないのであれば迷ったと考えた方がいいかもしれない。
ただまあ、そこまで焦ることはない。
「落ち着け鈴丘。ここの森、そんなに広くないから」
ついさっき、俺はここのキャンプ場の地図を確認した。
その地図によると、二人が入った森はそこまで広くない。そこそこ歩けばちゃんと道路に出る。大規模な捜索隊とかはいらない。探すなら俺らだけで十分だ。
しかし探すとは、自分の作戦が原因とはいえ面倒だ。
そう、これは一応俺が考えた作戦だ。作戦と言えるほどの代物ではないが。
まず、俺が急にいなくなってしまったということにする。それを鈴丘が功刀と甲斐に伝え、色々と理由をつけて森の方を探してもらうことにする。
森を選んだ理由はいくつかある。
木城高校の生徒が入り込まないため、完全に二人きりになることができる。
なるべく長く二人きりでいられるように、俺の捜索時間を伸ばすこと。
あとは、落ち葉に隠れた根っこで功刀が転んでうまい具合に足を捻れば、甲斐におんぶさせることも可能だと考えた。背中に胸を押し付ければ甲斐もその感触にぐらっときてそのままゴールインかもしれない。
そう考えた上でベストチョイスだと思ったのだ。迷うとは思ってなかったが。そこは完全に計算外だ。
「だ、大丈夫なの? 功刀さんと甲斐君」
「ああ、大丈夫だ。それこそほっといてもな」
「なら良かったけど、一応探してみようよ」
「ん? 面倒臭いんだが」
「でも武藤君の作戦が原因でしょ。それにいくら大丈夫って言ったって、集合時間に遅れられたら困るんだから」
うんまあ一理あるな。
広くないとはいえ、迷おうと思えば一時間は余裕で迷える。集合時間は四時だったから戻って来ないことも考えられるわけだ。
「分かった、探しに行くよ」
というわけで探しに行くことにした。
***
とりあえず闇雲に進む。ただし自分たちが迷わないように、拾った木の棒で地面にガリガリと印をつけながらだ。
「確かに、迷ってもおかしくないな」
四方八方には木があるばかり。目印となりそうなものや、見て方角が一発で分かるようなものもない。
広くない森だと知らずに入って迷えば心底怖いだろう。見つけたら謝っておこう。
「二人とも、怪我とかしてなければいいけど」
「どうだろうな。功刀とかは転びそうだけどな。動揺して」
「あー、なんかそれ分かるかも」
そう言ってますけどね君。君も動揺して転びそうなカテゴリーに入ってるんですよ。言わないけど。
「まあ転んだ拍子に足首でも捻ってくれれば甲斐がおんぶするだろ? で、なんかいい感じになるだろ?」
「そこまで計算尽く……」
「俺ぐらいになればそんなに珍しいことじゃないぞ」
「どのくらいのレベルよ……」
ちょっと呆れられた。本当は感心するところなんじゃないの?
そんなやり取りをしながらしばらく進んで行く。すると、
「ん?」
木の棒を見つけた。ただの木の棒でなく。いやただの木の棒ではあるのだが。
それはなぜか地面に突き刺さっていた。完全に人工的なもの。しかも木の棒は自然に折れた感じではない。人の手によるものだろう。そしてその端はまだ湿り気がある。
「あいつらここ通ったな」
「え? ホント?」
「多分な。近くにいるぞ」
周りを見渡すと、誰かが転んだような土の跡があった。
功刀マジで転んだのか……。
木の棒を突き刺した地点と転んだ跡のある地点。これらを結んだ延長線上に二人がいる可能性が高い。
迷ったらとりあえずまっすぐ歩こうとするだろうからな。
「こっちだな」
「どうして分かるの?」
どうしてとくるか……。説明するの面倒だな。
「まず二人はまっすぐ歩いていると仮定する。多分あいつらは完全に迷ってるだろうから、一度通った道は分かるようにしておくだろ。それがあの木の棒」
「ああ……なるほど」
「で、そこに功刀が転んだような跡があるだろ」
「功刀さんだってことは決定事項なんだね……」
当たり前だ。サッカー部のエースでモテ男たる甲斐が転ぶわけないだろ。転んでほしいとは思うが。
「目印をつけた後に転んだんだとしたら、進行方向は木の棒から転んだ跡がある方。まっすぐ進むと仮定してるから直線上にいるだろ」
「え、でも反対側ってこともあるんじゃない?」
「俺らそっち側から来ただろ」
「あー、そっか」
言うと鈴丘は納得した。
そうと決まれば話は早い。どちらともなく早足になって進んで行く。
時刻はそろそろ三時半。さっさと見つけて戻らないと遅れる。
はたして進んでいると、人影が見えてきた。
青髪ポニーテールと茶髪のクソイケメンだ。
「功刀さん、甲斐君」
鈴丘が呼びかけると二人は振り向く。二人というか正確には甲斐がだが。功刀は甲斐におぶさっていた。
というか本当に足捻ったのか……。
こいつどれだけラッキーなんだよ。いや迷ってるわけだからラッキーじゃないかもしれないが。
二人は鈴丘を見ると安堵の表情を浮かべた。
だが甲斐はその後ろに俺を確認すると睨むような視線を向けてくる。
こいつがこんな顔するのも珍しいと思ったが、こいつの視点では俺のせいで遭難したってことになっているんだから当然か。謝っておかねばなるまい。
「悪かったな。なんかいろいろ、俺のせいで」
「ホントにふざけんなよっ!!」
突然甲斐が声を荒げた。
顔に怒りを浮かべ詰め寄ってくる。
「謝って済む問題かよ!」
甲斐はそう言って俺の胸ぐらを掴む。振動が左腕にまで伝わって、怪我をしている左肘がかすかに痛んだ。
甲斐におぶさった功刀が驚いたように目を見開いていた。鈴丘も驚きを禁じ得ないようだ。
確かに驚くのも無理はない。俺の目の前にいるこの男は普段は常に微笑をたたえているような奴だ。それがこうして怒りを露わにしている。いつ俺に殴りかかってきてもおかしくないほどに。
確かに甲斐の怒りはもっともだが、俺は存外冷静だった。
それはその怒りの向きが若干おかしいからなのかもしれない。
確かに作戦は俺が考えた。甲斐たちに森の中に行くように仕向けさせた。けれどそのあとは自己責任であるはずだ。迷わないようにすること、そのくらいはできてしかるべきだったのだ。責任ということなら、それは俺と甲斐と功刀で三等分されるべきなのではないだろうか。
だがまあ、それをここで言っても特に意味はない。自分にも責任がある以上、こうやって怒りを向けられるのも、理不尽だとは言い難い。
だからとりあえず、謝っておこう。
「謝って済まなくても、俺には謝ることくらいしかできない。だから俺は謝るよ。悪かった」
胸ぐらを掴まれているせいで頭は下げられなかったが、誠意を込めたように謝った。
「ま、まあ甲斐君。無事だったんだし、武藤を責めるのはやめましょう。ね?」
功刀が諭すように言うと、甲斐は小さくため息をついて歩き始めた。
それに鈴丘、俺と続いてキャンプ場の方へ向かって行った。
甲斐はもう少し、冷静に客観的に物事を考えていると思っていた。
いつも笑顔をつくり、女子に好かれるように行動しているように俺には見えたのだ。そんなことは、自分を客観的に捉えていなければできないだろう。
だが今回甲斐は、自分の視点からだけで物事を見て俺を責めたてた。
命の危険だと認識したら、甲斐とて普段のスタンスを崩してしまうということなのか。
それとも単に、俺の甲斐に対する評価が間違っていただけなのか。
いやもしくは、甲斐は普段、何かの仮面をつけているのかもしれない。