63 過去編②
二週間なんてものはいとも簡単に過ぎ去ってしまう。夏休みの特別トレーニングに明け暮れていればその感覚は顕著で、夏休みがもう二週間も過ぎたという現実は、割と看過できないレベルで心に食い込んでいた。
それはそれとして、先輩が固心塾で出る最後の試合の日は訪れた。
試合会場に訪れた俺は、集合場所に直行。少し早めに来たからか、まだ人はあまりおらず、それゆえ先輩を見つけるのは簡単だった。
「あれ? 思優里は?」
普段なら誰よりも……それこそ師範よりも早く来るような奴のくせに、見慣れた黒いジャージの少女は見当たらない。先輩のほかにうちの道場の奴が一人もいないのは時間のせいとしても、これだけは不思議に思った。
「どうしても外せない用事があるんだってさ。出てりゃあ優勝間違いなしだってのに」
「なるほどね。その分俺たちが頑張ればいいよ」
残念そうに言う言う先輩に俺はフォローを入れる。外せない用事が何なのかは知らないが、仕方ないものは仕方ない。
「なんなら先輩が女装して出れば?」
「ああ、それいいな」
「いいんだ……」
「でもお前どうしよう。すね毛」
「道着は長ズボンだから見えないと思う」
そうやってしばし雑談に興じていると、人ごみの中から師範が出てくる。「押忍」と挨拶してからその手を見ると、紙袋が握られている。
「はい、今回の試合のパンフレット。あとポカリ。パンフレットは……お前らはまず自分が出るトーナメントを見ろ」
「はい」
返事をして受け取り、パラパラとめくる。男子中学生という見出しを見つけるが、その後に記載されてしかるべき「軽量級」や「重量級」といった文字が見つからなかった。
トーナメントの方に目をやると、いつもよりも若干多い。多すぎるというほどではないが。
「申し込んだ人数が少なかったらしくてな。だから急きょ、軽量級とか重量級とかの区切りをなくして、男子中学生ってくくりのトーナメントになったんだとさ」
師範がそう説明する。
なるほど、それなら合点はいく。申込人数が少ないと、始まる前から準優勝、という場合すらあるのだ。トーナメントに変更が起こることは、往々にして存在した。
「けど、重量級と……? 今回しんどそうだな……」
「まあ、飛雄馬はギリギリ中量級だっけ? きつそうだな」
そう。そもそもなぜ体重別の区分が存在するのかというと、体重差はそれだけで武器になりえるからだ。
漫画とかでは、見上げるほどの大男の攻撃を片手で防ぐ主人公、なんて展開もままあるが、現実は非情だ。普通に考えて、そんな大男の攻撃をまともに受けたら腕とかいろいろヤバい。
だから、俺としては体重差のある連中とは戦いたくない。
「先輩はいいよな。もとから重量級だろ?」
先輩は別に太っているわけではないが、背が高めだ。ついでに結構筋肉質なので、体重は多かったはず。
そう思って言うと、応じる先輩の声は重い。
「まあな。けど、このトーナメントだと飛雄馬とも一緒なんだよな……」
まあその気持ちは分からんでもない。
「確かに同じ道場の人とこういうところで当たるのはなあ。なんとなく嫌だよなあ」
固心塾は人数がそこまで多くない。自然、トーナメントで当たることは少なく慣れていない。というのもあるが、一番大きいのは勝ってしまったらその人の大会はそれまでというところだろう。なまじ、普段から一緒に稽古をしている分、自らが引導を渡さなければなあない時の感覚はあまり味わいたくないものがある。
「うーん、そういうことじゃないけど……まあいいか」
俺がうんうん頷いていると先輩は微妙な顔。気になるが、まあいいかって言ってるしいいだろう。
「先輩と俺が当たるのは準準準決勝か」
「また微妙なところだなあ。こういうのって、普通は決勝で当たるもんだろうに」
「いや先輩。ここはむしろ決勝じゃないことを喜ぼう」
「なんで?」
「決勝で会おうって誓い合ってたライバル同士って、だいたい横から入ってきた新キャラにその機会をつぶされるじゃん」
「それどこの世界軸のだいたい?」
もちろん、漫画の世界軸である。そう考えれば俺と先輩の対決は、半ば決定していることになる。
「まあなんにしても、お互い全力で頑張ろう」
先輩はそう言うと右手を差し出してきた。
取らないわけにもいかない。俺は迷うことなく手を取り、互いの健闘を誓ったのだった。
***
本日の試合はとある体育館で行われる。
広さは学校のそれの四倍程度。そこに、八メートル四方のコートがいくつも並べられ、それぞれで一斉に試合が始まる。
それだけ広い空間なのに、選手だけでなくその家族、道場生、応援の人などが加われば人口密度はものすごいことになる。自然、喧噪もすさまじく、声を張らなければ互いに会話もできないくらいだ。まあ、それはコートごとにセコンドが声を張り上げているので当然と言えば当然の結果だった。
人混みがそこまで得意ではない俺は、あまり歓迎したくない環境だった。
とはいえ自分の試合まで時間があり、自分の試合には同じ道場の人にセコンドをしてもらうのに、自分はしないということは許されないため、俺は体育館内にとどまらざるを得なかった。
男子の試合は午後に行われることが多い。理由はさっぱりわからないが、どの大会においてもそういうことになっている。
今回もその例に漏れず、男子中学生のトーナメントは午後一時も過ぎた頃から行われた。
集合時間は午前の八時半。ぶっちゃけ待ちくたびれた。
最初のころこそ俺も緊張に体を固くしていたが、これだけ待たされれば緊張することに疲れてしまった。ある意味疲労困憊でありながら、その一方で落ち着いてもいた。
そうして迎えた第一試合。俺は無事に勝利した。
先輩も勝ち上がったようだ。
ようだ、というのは一旦試合が始まってしまうと、それまで暇だった選手も大忙しになることによる。
そもそも試合が、本戦、延長戦しかなく、その時間も一分半と一分である。サッカーや野球なんかとは比べるべくもなく短い。トーナメントがある程度入り組んでいたとしても、待ち時間はそこまでないのだ。
そういうわけで、同じトーナメントに出ている先輩の試合を俺は直接見ることができなかった。結果は応援に来ている同じ道場生に教えてもらうしかない。本当なら見たかった。
が、それを引きずっていては俺も勝ち残れないかもしれない。
意識は切り替え、第二試合。
相手は背の高い人だった。
俺は別段背が低いというわけでもないが、高いわけでもない。相手の覆いかぶさるような攻撃が面倒臭く、背の高さにものを言わせて頭ががら空きだったので、蹴りを入れて勝った。
そんなこんなで順調に勝ち進むこと数試合。先輩も、危ない場面はありながらもなんとか勝ち上がってきた。そしてついに準準決勝になった。
***
中学生レベルの空手の試合では、サポーターをつける。
脛当てにグローブ、ヘッドギアだ。
拗ね当てやグローブはともかくヘッドギアをつけるには少し時間がかかる。
準準決勝ともなると試合と試合との間隔がさらに小さくなって、先輩と話す時間もなかった。漫画やなんかだと、「次の試合は悔いなくやろう」とか言葉を交わしたりするんだろう。それって格好いいなあと少し憧れていた俺としては、残念なことこの上ない。まあ、交わしたところでやることが変わるわけではない。
「飛雄馬、飛雄馬」
呼ばれて振り返ると師範がいた。
試合と試合との間隔がほとんどないといっても、皆無というわけではない。待ち時間があるから選手が動くことはできないものの、師範や同じ道場の連中が緊張をほぐしたり、アドバイスをしたりすることは可能だ。
とはいえ相手は先輩だ。どんなアドバイスがもらえるのだろうか。
「いつも通りやれば大丈夫だ。肩の力抜いて、自由にやれ」
「押忍。……肩の力抜いてって、緊張してないんですけど」
「緊張っていうか、変に気張るなってことだよ。あんま心配してないけど、とりあえず言っといた」
「そうですか」
「じゃあ、俺は真也の方行ってくる」
そう言って、師範は先輩の方に直行した。
その挙動が慌ててるのは、前の試合がそろそろ終わりそうだからだろう。この試合に勝った方が、俺か先輩と戦うことになる。
自分の番が来るまで、その様子を見て研究しておいた。
そうして一分後、俺の名前が呼ばれた。
「押忍!」と声を張って返事をし、足早にコートの中央に。
次に先輩の名前が呼ばれる。俺と同じように中央に。
「正面に礼。お互いに礼。構えて、始め!」
号令がかかる。準準決勝が始まった。




