52 夕暮れが誘う一日の終わりに、一人の決断。
「暇だな……」
コスプレ喫茶店で姉さんが作ったいつも通り超うまい昼食を食べた後、功刀は午後の公演のシフトがあるとかで教室に戻った。
暇な俺も戻ろうとしたが、戻ったところで人では足りていた。西倉がはしゃいでいたのも、校内をぶらぶらすることを選んだ理由の一つだ。なんならほとんどだ。
一階の端っこから四階の端っこまではもう何度も往復を繰り返し、そろそろ普段と違う校舎内の雰囲気に慣れてきた。それだけ端から端まで観ても、そこまで興味を惹かれるものもない。
これなら西倉の相手でもしてたほうがまだよかったんじゃ、という思考が浮かぶ程度には切羽詰って暇だった。切羽詰って暇って、矛盾してる感がすごい。忙しいのか暇なのかどっちだよ。
そうしてぐでーと無駄なことを考えていられるここは、教室を一つ割いて作られた休憩所。
作られたといっても、別に何があるわけでもなく、普通に会議室が解放されているだけである。
俺以外にもちらほら暇を持て余した連中がいる。他にいるのはただ談笑がしたくて来た輩だけだ。つまりある一角だけうるさい。私語厳禁じゃないからどうすることもできないのが腹立たしい。
ふと時計を見上げれば午後三時になろうかというところだった。
木城高校文化祭の一日目の終了時刻は午後三時半。あと三十分でこの暇地獄から解放される。
解放されるが……このままここでボーっとしてるのも飽きてきたな。
長時間ボーっとすることには自信があったが、人間観察する対象もいないここではいささか退屈に過ぎたらしい。あと三十分も何もせずにこことか、ちょっと耐えられそうもない。
仕方ない。再びぶらぶらするか。
とすれば見てないところを見るのが一番。どこかに見落としはないかなーと校内マップを頭に浮かべる。
そういえば、校庭のほうはまだ見てなかった。
校庭ではなんか色々よく分からん催し物をやってたはずだ。別に興味がないからあやふやなわけだけれど、このままここにいるよりはマシ。
そう判断してしまえばあとは早い。椅子から立ち上がり、会議室、もとい休憩所を後にした。
***
校庭には何もなかった。
否、何もないという表現は適切でない。正確には、校庭には催しに使われたであろう舞台と、椅子が並べられている。そこにまばらに人が座っているのも確認できる。
ただ、肝心の催しはすでに終わってしまった後らしい。舞台の上には何もなく、これから何かが始まる気配もない。
まあ時間帯からしておかしくはないか。校内にも微妙に「今日はおしまい」ムードが流れてたし。
そもそも校庭の催しなら当然マイクを使うだろう。その軽くエコーのかかった音声が昇降口付近に来ても聞こえなかった時点で気がつくべきだった。
「さて、また暇になったな」
時計の針も、さっき見た時と比べても大して動いてない。
ここで完全に暇人と化した脳はずいぶんと非生産的な時間のつぶし方を思いつく。
すなわち、
「校舎、一周してみるか」
いやなんでだ。冷静な時の自分が聞いたら即座にそうツッコみそうな提案を、即座に可決。さあレッツゴー。
文化祭だからといって校舎裏まで装飾されているなんてこともなく、むしろいつもよりも人気のない閑散とした印象を受ける。
まあ、校舎裏に来たのは二回目で、よく知っているわけでもない。
確か一回目は、功刀の甲斐に対する告白を見届けたんだったか。今となってはいい思い出だなー。いやそんなわけない。普通に面倒臭い思い出だ。
そう考えながら、何の気なしに角を曲がった。
「っ……!」
バックステップで曲がった角を戻った。
かすかな砂利の音が、静かな空間に嫌に響いた。しかし気がつかれないですんだようだ。
そう、曲がった先には人がいた。見覚えのあるクラスTシャツを着た女子と、これまた見覚えのある温和そうな見た目の少年。
「鈴丘と、紫苑……?」
二人が、そこにいた。
二人は俺の隠れている角からだいぶ離れたところにいる。誰かいるとわからなかったのは、このためだろう。さしもの俺も、離れすぎていると気配は分からない。
次に気になるのは、二人がどうしてここにいるのかだが、
「それが分からないほど、鈍感じゃねえし、むしろ察しはいいほう……」
紫苑が鈴丘に向けている感情を知ったうえで考えれば、おのずと答えは出てくる。告白だろう。
まあ他にも、間違いを犯そうとしている可能性もゼロではないが、まずありえん。
しかし出会ってまだ一カ月くらいのはずだが、早くね? それとも俺が知らないだけで普通はこんな感じなの?
「--なん--な?」
「じ--いい-ーごめー-」
先にも確認した通り、距離が離れているため細かいセリフまでは聞き取れない。
それでも辺りに張りつめた緊張感だけは伝わってくる。今まさに、告白しているのだと、空気だけで理解できた。
目だけを出して様子を確認する。
言葉を紡ぎ終えたらしい紫苑の顔は、向こう側を向いていて分からない。代わりに鈴丘はこちら側を向いている。
その顔は朱に染まっていた。しかし焦ったり取り乱している様子はなく、むしろ落ち着いている印象を受ける。その反応は何だか、すこし意外だ。彼女のことだからもっと目を泳がせて、取り乱すものだと思ってた。
しばしの沈黙。
わずかな間だけこの空間の時間が止まる。
そして、答えが。紫苑にとっては今この瞬間、あるいはピアノよりも大事な答えが告げられる。
「-----い」
例のごとく聞こえはしなかった。
でも、きれいに下げられた頭が、なにより結果を表している。
「ダメだったか……」
思わず俺が、脱力して呟く。
力が抜けることで、自分がだいぶ緊張していたということに気がついた。親友のだからだろうか。失恋したという事実が、なんとなく重いのだろう。
だが、なぜだろう、不思議と驚きはなかった。
しばらく壁の向こうで何事か会話が続けられる。そして一つ、足音が遠ざかるのが聞こえた。
これにてすべて終わり、か。
今回に至っては大した相談も受けていないし、そもそもが俺のあずかり知らぬところで起きていた感がある。その割に、何か大きなことが終わった感覚だけははっきりしていた。
いや、たぶん終わりじゃない。夜辺りに、振られたとかいって電話が来そうな気がする。
まあそのくらいは付き合ってやろう。
そうして無駄な思考を壁に寄りかかっていると、こっちに来る足音。しかも近い。ボーっとしてたせいで反応が遅れた。
今から退散しようにも、見つからないようにするにはダッシュしかない。ダッシュしたら足音でいるのが確実にばれる。ああでも早歩きじゃ間に合わない。かくなる上は、これしかない。
壁際にしゃがみ込んで表面積を最小に。身動き呼吸、すべて封じて存在感を極限まで薄くする。よしこれでーー
「なにしてるの、武藤君……」
当然、観察眼様にこんな小細工が通用するわけがなくあっさり見つかった。
というか、相手が誰でも見つかるだろこれ。
***
気まずい空気を肌で感じながら、腰を上げて裾についた砂を落とす。
そして鈴丘に向き直り先の質問に答えた。
「何もしてなかったぞ」
「嘘。ずっといたでしょ」
「何のことだかさっぱり……」
「ボーっとしてる武藤君が角曲がってこっちに来かけて、私と常盤君見つけてすごい速さで隠れるまで、全部見えてたよ?」
「お、おおう」
見つからなかったと思ったのは俺の勘違いだったようだ。鈴丘を侮ったのが間違いか。
別に詰問するでもない口調の鈴丘に、妙に罪悪感を感じて思わず目を逸らす。
「見てたよ。見てたっつーか聞いてたというか。あんま聞こえなかったし空気を感じてたというか」
「うん」
「あー、悪かったな」
「別にいいよ。たぶん常盤君通じて、武藤君もすぐ知ると思うし。その……私が常盤君に告白されて、振ったってこと」
彼女も多少は気まずいらしい。ただ言いよどんだものの、声ははっきりとしている。
「なんか意外だな」
「なにが?」
「いや、お前の反応が。ああいうシチュエーションになったらもっとテンパるもんだと思ってたから」
今だって、普段の彼女なら言葉の後半はしりすぼみになるようなセリフだった。振るとはすなわち、相手を傷つけることであり、そうするしかなかったとしても優しい彼女にとっては後ろ暗いことのはずだ。
問いに鈴丘はわずかに目を伏せる。
「うん。告白だけなら、今までにも何回かされたことがあるから。全部断ってるんだけどね……」
「そりゃまた随分と厳しいんだな」
「厳しい、のかな。ううん、ちょっと違うと思う」
言って鈴丘は小さく首を振る。
「武藤君、覚えてる? 甲斐君の一件があった後に話したじゃん」
「なんだったっけか」
「私が聞いたじゃん。武藤君は優しいの? って」
「ああ」
そんなこともあった気がする。今ではだいぶ記憶も薄れているけれど。あるいは意図的に思いださなかったのかもしれない。
「で、私は『受け手が優しさだと思えばそれが優しさ』って言ったと思う。でもね、それだけじゃないとも思うの」
「…………」
「告白されたのは嬉しかったんだ。今までのも、常盤君のも。それに嫌いな人でもなかったし。人間的には好きだったよ。男の子としてはちょっとだったけど。私が付き合うって言えば相手は喜んだと思う。告白するってそういうことだから」
「…………」
「相手を幸福にするのも優しさだよね。受け手が優しさだって思わないかもしれないけど、受け手が嬉しいと思うなら優しさだと思う。感謝されるとかじゃなくて、私は接した人には嬉しいとか幸福な気持ちになってほしいから、自分がちょっと嫌でも我慢できる。けどーー」
「そんな気持ちで付き合うのは優しさなんかじゃない。お前が自分のことを好きでもないのに付き合ってるって知れたら、相手を傷つけることになるからな。それはお前の望むところではない。こんなところか?」
自分が言おうとしてたことを俺に言われてわずかに目を見開く鈴丘。なるほど、驚くのも理解できる。思考を読まれたなら、誰しもそんな顔をするだろう。
鈴丘は頷き、一度閉じた口を開く。
「だから、振ったのは厳しいんじゃなくて私のわがまま」
悲しい顔。
自分が泥をかぶってでも誰かを、みんなを幸せにさせたいという、常からある思い。そして、それが叶わないことへの憤り。
多くを話したわけではないのに理解できてしまったのは、きっと似たようなことを考えていた奴を知っていたからだ。
誰かに似た彼女を見ていると込み上げてくるモノがある。今すぐにでも吐き出したい類の思いが。だがそれはしない。色々と自分に甘い判断を優先させているけれど、それだけはしてはいけないと全身が警鐘を鳴らしている。
だから後頭部を乱暴にかきむしって、意識を内から外へと向けさせた。
「要は好きじゃないから振ったんだろ。何もおかしいことはない。けど、紫苑にあんだけ想われて好きにならないってのも疑問だな」
「どうして?」
「紫苑の良いところ言うのか? まあ構わんけど。ひとつめ、イケメン。ふたつめ、ピアノの腕が凄い」
「そうだね。コンクールの時は圧倒されたよ」
「みっつめ、ピアノしてるくせに運動神経がいい。野球やらせたらオールラウンダーだぞ。小学生の頃の話だけど」
「それ、今のいいところとして挙げていいの……?」
「よっつめ、クソ真面目。超律儀だ。いつつめ、頭もいい」
「うん、話してたらわかったよ」
「子供っぽいところに目をつむれば、もうほとんど完璧だぞ。好きにならない理由を探すほうが大変だ」
「そうだよね。本当にいい人だと思うよ。私にはもったいないくらい」
辛そうな微笑み。そこで初めて、彼女の罪悪感を煽るようなことをしていたことに気がついた。
「ああ、ええと、悪い」
「うん。武藤君は、本当に常盤君のことよく見てるんだね」
「は?」
的外れな答えが帰ってきて変な声が漏れる。
「武藤君、どうでもいい人は絶対そこまで見てないもん」
「ずいぶんな評価だな……。否定はしないけど」
確かに、長い付き合いで、しかも親友と呼べる紫苑でなかったら良いところを挙げることはできないだろう。人の悪いところばかり見てしまうのが俺だから。
俺の答えに、鈴丘は小さく笑った。それで、凝り固まっていた空気が弛緩した。いつも通り、というやつだろう。
「そういえば、私がどうして常盤君を振ったのか、だけどさっき常盤君に話したの聞いてなかった?」
「言ったろ。距離が離れててほとんど聞こえなかった。なんて言ったんだよ」
会話の内容はほとんど聞こえてなかった。だから鈴丘が紫苑に話したという理由を俺は知らない。
無理に聞き出すつもりはなかったが、ここまで来てしまうとどうにも引き下がれない。自然と気持ちがはやる。
鈴丘は「そっか」と頷き、数歩分だけ俺の前に出る。そして振り返り、
「他に好きな人がいるんだって言ったの」
「…………」
夕日を背にした彼女の姿は、なんというか、目を離させない魔力があった。
「そういうセリフってラノベ的には告白と同義だからやめたほうがいいぞ」
「ふふっ、武藤君らしい答えだね」
鐘が鳴る。
反響して反響して、校内中に響き渡る。
『本時をもちまして、木城高校文化祭一日目を終了いたします』
鐘の音に続いて流れた放送が、祭りの一日目を締めくくった。




