47 祭りの熱は始まる前から。
例えば。
自分には決して譲れないものがあったとして。
譲れないからこそ、ほんの些細なきっかけで深く深く、突き詰めて考えてしまって。
その結果得られた答えが、求めてやまないものとは全く別物だったとしたら。
何もかも諦めてしまうのは、責められることだろうか。
***
文化祭前日は、普段の授業日程を全て中止して、丸々一日その準備へと使われる。
この日ばかりは定時制も登校しないそうなので、午後七時半まで学校に残れるのだ。
そりゃまあ、いくら全日制より偏差値がいくつも落ちるうちの定時制でも、机と椅子が取っ払われてキラキラ装飾が施された教室では授業もできないだろう。常識的に考えて。
そんなわけで我がクラスは、慌ただしく準備に追われていた。
そもそも演劇をするクラスの準備はそのほぼ全てが前日に集中する。
やれ暗幕の設置だの客席の作成だの照明の位置だのキャストの控え室だの。そういったステージ作りは前日まで試そうにも試せないため、ぶっつけ本番すぎて余計に時間がかかったりする。「視聴覚室取れれば、ここまで大変じゃなかったんだけどね」とは片山の言葉だ。
暇つぶし用のラノベを忘れるという我が身にあるまじき大失態を犯した俺は、しばらく教室のスミスで部屋全体を俯瞰していた。
こうして見ると、キャストの控え室を作ってる一角が一番大変そうだ。
黒板から向かって右側、つまり廊下側の壁から一メートルほど距離をとってビールケースを積み上げている。それはもう高く高く。二メートルくらいになってる。
それを壁面に沿うように並べて、上から暗幕をかけるらしい。まあ分かりやすく言えば、ビールケースと暗幕使ってさらなる壁を生成しているのだ。
ただビールケースを積み上げて作った骨組みなど脆いことこの上ない。暗幕の重さに耐えきれなかった端っこのほうが崩壊して、バランスが崩れたことで真ん中の方も壊れて、終いには完全崩壊するという連鎖が生み出されていた。控え室作りに尽力してた男子たちの悲鳴が聞こえた。
ビールケースの中に重しでも乗せればもうちょっと丈夫になると思うけどなぁ。
俺の心のアドバイスは彼らに届くことなく、奴らは同じことを繰り返してさらなる崩壊を招いていた。あいつら学習しろよ。
皆んな忙しいためか、完全にサボっている俺のことは視界に収まらないようだ。おかげで随分長いことボーッと教室内を観察できた。というか観察しすぎて飽きてきた。だいたい見ていて面白いものなんて大して無い。
このままいても妙な思考の渦に飲み込まれてしまうだけだ。そう判断し部屋のスミスから抜け出した。
「片山、なんか人手が足りないところってあるか?」
進行表とにらめっこしていた片山は顔を上げ、声の主が俺だと悟ると、少し驚いたような顔を作った。
「珍しいな。武藤が自分から何か無いかって聞いてくるなんて。割り当てられた仕事終わったの?」
「俺、そもそも仕事割り当てられてない」
「え……。じゃあ今まで何を……」
「教室のスミスで人間観察」
「スミス? 友達?」
「まあ、ある意味友達だな……」
親友と言い直してもいい。あるいは仲間。家族。運命共同体。スミスはいい奴だ。狭いし、暗いし、背中を守ってくれるし、何より一緒にいると落ち着く。
などとどうでもいいことを羅列してみるも、片山は微妙な顔をするだけだった。そこまで微妙な顔をされてしまうと俺もどうしようもない。本題に戻る。
「で、なんか仕事あるか?」
「あるよ。たくさん」
たくさんですか。
進行表に目を落とした片山は、顎に手を当て思案のポーズを取る。
「んー、どれがいいかな……。今武藤一人でしょ?」
「今どころか大体一人だな」
「うん。一人ですぐできるやつ……。じゃあポスター貼ってきて。そこの机に置いてあるから」
「おう」
功刀が描いた、最高にカッコいい骸骨が描かれてるやつだ。ゆっくり鑑賞できそうでいいじゃないか、ポスター貼り。楽そうだし。
「で、ポスター貼り終わった足で、備蓄倉庫に置いたままの絵の具取ってきてほしい」
「備蓄倉庫?」
めったに教室内から出ない俺は学校の地図に疎い。備蓄倉庫と言われてもどこにあるか分からなかった。
「えーっと、外にあるあそこだよ。垂れ幕の時にあっただろ?」
「ああ、あれか」
それなら分かる。片付けも手伝わされたし知らないとは言えまい。
でも外か……。夏休みが終わったとはいえ、まだ外は暑い。日光も容赦なく殺しにくる。あまり出たくないな。仕事だし行かざるを得ないが。
「そんじゃ行ってくる」
「いってらっさーい」
ポスター七枚を手に教室を後にする。寸前、
「武藤君、ちょっと待って」
かけられた声に立ち止まる。声の主は鈴丘だ。手に持った紙をペラペラさせながら小走りで寄ってきた。
「私もこれ提出しに行かないとだから、一緒に行こっ」
「ああ」
ほとんど同時に教室を出るのに、バラバラというのもおかしかろう。まったく喋らない間柄ならともかく、俺と鈴丘はまあそれなりに話すし。
そんなごく自然な理論により首肯したのだが、鈴丘はふと不思議そうな顔をする。
「なんだよ」
「え? ううん。なんでもないよ」
「……そうか」
どうにも釈然としないが、なんでもないというならなんでもないのだろう。わざわざ詮索するのも考えるのも面倒臭いし、疑問は他のものにすげ替えた。
「で、その紙はなんだ?」
「明日の早朝準備の届け出だよ」
「そうか」
なんの事はない。文化祭直前の準備時間を、朝早く来て確保しようというあれのことだ。届け出が必要だとは知らなかった。面倒臭そうだ。
「つーか、ポスターってどこに貼ればいいんだ?」
ついうっかり、そういった細かい部分を全く掘り下げずに出てきてしまっていた。
去年の文化祭はあまり出歩かなかったから、どの辺りに宣伝ポスターが掲示されていたか記憶にない。
「階段のところとか、校門のところの掲示板とか、ピロティーとかかなー」
「そうか」
まあ聞かなくても、すでに他のクラスのが貼ってある場所にすればよかったか。少し考えれば分かることだったな。
そうして二人でしばらく廊下を歩く。
届け出は生徒会室に持って行くらしい。
俺たちの教室は四階、生徒会室は二階にあって、距離もそれなりに離れている。
途中、階段の踊り場にポスターを貼るとき、ふと気になって尋ねてみた。
「そういや、お前紫苑とは会ったり話したりしてるか?」
俺の男の幼馴染という、ラノベ界ではまったく需要のない奴は、鈴丘に惚れている。
しかしなにぶん通っている学校が違うので、彼らの今がどうなのか俺は知らない。紫苑も特別何か言ってくるわけでもないし。
人とは中途半端に教えられると、変に気になってしまうもので、普段はまったく他人に興味を抱かない俺もちょっと気になった。
鈴丘はしばし惚けた顔をした後、はっとした。
「メールのやり取りとか、あと一回だけ会ったりもしたけど……」
「ほーん。楽しかったのか?」
「そりゃつまらなくはなかったけど……。どうしてそんなこと聞くの?」
「いや別に。なんか連絡先交換したって聞いたし、どうしてんだろうなと思っただけだ」
問いかけてくる鈴丘の声に、わずかな期待の色が混ざるのに気付きながら、あえてそれには触れずに返した。
鈴丘も、教室を出るときに見せた不思議そうな顔を覗かせながらも、それ以上追求はしてこない。
それからは特に話すこともない。ポスターを貼ったりしながら生徒会室まで行った。
すべてのポスターをできるだけ目に付きやすいところに貼り終わると、次に向かうのは備蓄倉庫だ。
未だに夏の余韻を残しているが、それでも日は少し短くなった。傾いてゆく夕陽から目を逸らしながら向かった。
「別に付いてこなくてよかったんだぞ」
隣を歩く鈴丘を見ずに言う。
鈴丘が教室を出たのはあくまで書類提出のためである。だからそのあと俺のポスター貼りを手伝う必要も、ましてや備蓄倉庫まで来る必要もなかった。そのまま戻ればよかったのだから。
「でも、武藤君一人だけに任せるのもなーって」
「俺の能力ってそんなに低く見積もられてんのかよ」
「えっ!? いやそういう意味じゃなくて! なんかこう、大変じゃないかなー、みたいな」
「絵の具を取りに行くだけのことに大変も大変じゃないもないだろ。外に出るという点では日差しにさらされるという不安はあるが、短時間なら耐えられないこともないし」
「長時間だとダメなんだ……」
「いやほら、俺って吸血鬼の末裔だから」
「そうなのっ!?」
「いやもちろん嘘だから。ちょっと信じかけてんじゃねえよ」
ちょっと素直すぎやしませんかね。保育園生かよ。そんなに素直だと、将来、悪徳商法とか闇金とか、その他もろもろ世間の脅威にさらされそうだ。鈴丘は用心棒を雇った方がいい。
ともあれ、鈴丘が付いてきたのは彼女の甘さや、気遣い、優しさに起因するものだろう。そう考えれば納得だ。俺が見てきた鈴丘可憐とはそういう女の子だから。
だから、その鋭すぎる観察眼で敏感に察知した違和感に、あえて触れないという優しさも持ち合わせているのだろう。それが今はありがたい。触れられてしまえば、たぶん崩れてしまう。
祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響き有り。沙羅双樹の花の色。盛者必衰の理をあらはす。
もしくは、万物は流転する。
この世のどこにも、永久不滅で、一切の変化をも受け付けないものは存在しない。どんなに雄大でも、どんなに矮小でも、どんなに特別ても、翻っていくら平凡だとしてもだ。
だから起こってしまった変化には、抵抗せずに順応しなければならない。
だが、それだけではないんじゃないか。
起こってしまった変化をひたすら避け、無様だろうと逃げ回り、必死の覚悟でやり過ごす。
そんなやり方も、なくはないんじゃないのか。
落ちていく太陽は夕陽に姿を変える。校舎の陰は不気味に伸びる。
その光を浴びることを避けようと、日陰に入った。だがおそらく、時間が経てばこの日陰も日向に変わるのだろう。
そんなことを思った。




