37 誰だって〆切は見なかったことにしたくなる。
蝉が喧しく大合唱をしている中、俺と鈴丘は学校へとやって来た。
校庭ではサッカー部が練習している。汗と泥にまみれた青春が展開されていた。この暑いのにご苦労なことだ。よく死なないな。
部活に精を出す若者たちを尻目に、比較的迅速に校舎内へと入った。
日陰に入ると、体感温度が低い若干下がる。日光の恐ろしさを実感した。もうちょっと浴びてたら灰になってたかもしれない。それどこの吸血鬼。
それでもまだ暑いのに変わりはなく、ジメッとそれでいてヌットリとした空気が肌にまとわりついて気持ち悪い。
そんな空気に耐えながら階段を上れば教室はすぐそこだ。
扉を開けると中の冷気が外に漏れ出して、ここが天国だったのだと教えてくれる。冷房をガンガンに効かせているらしい。
その中には三人の生徒。机を取り囲んでなにやら話し込んでる。
「こんにちは」
「あ、鈴丘さん。こんにちは」
俺に続いて入った鈴丘が挨拶をすると、そのうちの一人が顔を上げた。
俺が入った時は完全に無反応だったんだけどなぁ。
不満とも言えぬ不満を抱きつつ、俺は迷わず自分の机へ。カバンを置くとラノベを読みだした。
チラリと鈴丘の不満そうな顔が見えたが特に何も言ってこなかった。代わりに生徒三人の方に行く。
「どう? 進み具合は」
「まだ全然できてないらしい。もうちょっとで設定が煮詰まるとか」
「じゃあギリギリだよね……」
「そうだね」
なにやら話し込んでる。
いつまでには練習に入りたいとか、何日決定稿とか。どうやら劇の台本についてらしい。ちらほら聞こえてくる単語から、だいぶ切羽詰まってるのが理解できた。だったら最初からオリジナルでやるなよ。
台本を任された奴も責任重大だ。台本の出来ひとつでクラス全員の文化祭を左右すると言っても過言ではない。俺はその理の外にいるため、全く左右されないが。
「じゃあ今できることだけでも終わらしちゃおっか」
「そうだね。えっと、今できることは……垂れ幕かな」
垂れ幕か。垂れ幕ねぇ……。
確か当日に屋上から吊るすあれだったはずだ。出店であれば店の名前、劇であればそのタイトル。それらと一緒にクラスも描くのが原則だったと記憶している。
俺は去年来てないから詳しくは知らないが、普通に重労働だったと噂で聞いた。
冗談じゃない。なんでそんな事しなきゃいけないんだ。どう重労働だったか分からないけど、重労働だけは絶対嫌だぞ。なんなら重労働じゃなくても嫌だぞ。
そんな事を考えながらチラチラと動向を確認するが、敵は一向に動き出す気配がない。鈴丘を含めた四人で机を取り囲んで鉛筆片手に話し込んでる。
なるほど、デザイン的なあれか。
となれば俺の出る幕はあるまい。そこ、デザインじゃなくても出る幕ないだろとか言うな。分かってるから。
何らかの仕事を振られなければ俺は動けないので、ラノベに視線を落としておく。十数ページ読み進めたところで声をかけられた。
「武藤君、仕事だよ」
「どうでもいいけど、仕事ってすごい嫌な響きだよな」
ぼやきながらラノベを閉じる。
仕事の説明を視線で求めると、鈴丘は教室の扉を指さす。
「今からみんなで垂れ幕の下書きするから外に出るんだよ」
「え、外……?」
下書きならペンキとか使わないだろ。わざわざ直射日光の降り注ぐ外でやる必要はみじんもないだろ。そのはずだろ。
俺の無言の叫びも空しく、名も知らぬクラスメイトたちは次々と教室を後にしていく。というかクーラー消して行きやがった。まじかあいつ。
「ほら、早くいこっ。今日はもう二時間くらいしか時間ないから」
「垂れ幕の下書きってそんなに時間かかるもんなの?」
「ブルーシートの準備とかいろいろあるんだよ」
「ペンキ使わないのに敷くのかよ」
「敷かないと垂れ幕汚れちゃうじゃん」
言いながら俺の手を引こうとする鈴丘。しかしその手は途中で止まる。
彼女は一瞬自分の手を見てから、誤魔化すようにまくしたてた。
「と、とにかく、早くいこっ」
「おう」
よかった、手を引かれないで。紫苑に殺されるところだった。
そんなことを考えながら、だらだらと教室を出た。
***
作業場は校舎裏にあった。地面はこれでもかと熱せられたコンクリ。近くに木があるため、木陰がある。それで涼しいかといえばそんなわけはなく、蝉の声がダイレクトに聞こえてきて超うるさい。
頼むから静かにしてくれ……!
蝉に言ったところで無意味なのは分かりきっているが、それでも言わずにはいられなかった。
奴らの鳴き声は鼓膜を穿ち、空気を震わせ、ただでさえ不愉快な夏の暑さを三倍くらいにしている。つまり体感温度的には今は七十度くらいだ。それどこのヘル。
作業場付近に生えている木のどこかにいるであろう害虫に完全にガチな殺気を放つ。
「武藤君、顔が怖いよ……」
鈴丘を怖がらせてしまったので、ひとまず蝉への殺意はしまっておく。
周りを見れば、他のクラスの連中も垂れ幕作業をしていた。うちよりも進捗状況はいいようで、すでにペンキ塗りに入っているところがほとんどだ。
「なあ、垂れ幕っていつまでに仕上げないといけないみたいなのあるのか?」
「えっと、十日だったと思う」
「十日ね……」
今はまだ八月に入ったばかり。最終的な締め切りまでは一週間程だ。
もちろん締め切り当日に完成なんていう危ういことはできないだろうから、二日ほど早めに仕上げるとして、あと五日か。今日を差し引けばあと四日。
「……垂れ幕って、完成までどれくらいかかる?」
「一週間はかかるよ」
時間足りねえじゃん。
「あー、でもそれって十人くらいで作業した時のことだから、この人数だともうちょっとかかるかも……」
人手も足りねえじゃん。
おい、なんだこの稀に見る絶望的な状況は。人手が足りない、時間が足りない、そして約一名やる気が足りないとか詰む未来しか見えないぞ。マジで大丈夫か。
「なんでもっと早く取り掛からなかったんだ」
「そ、その、タイトルもまだ決まってなかったから……」
スーっと鈴丘の瞳が逸らされた。
そうか、悪いのは全て脚本書いてる奴か。そいつ一人のせいでこんなにも色々ピンチなのか。超迷惑だな。
しかし俺は明日以降この作業に参加するつもりはない。今日はあくまで漫画とラノベを買いに来たついでなのだから。
そう思えばさして迷惑とも感じない。
「それじゃ始めて行こうか」
名も知らぬクラスメイトの男子がそう声をかけ、垂れ幕への下書きが始まった。
ちょうど良さそうな木陰は他のクラスに取られてしまったので、俺らは直射日光に晒されての作業となる。
教室ほどもありそうなブルーシートを半分に広げ、その真ん中にまだ無地の垂れ幕を置く。
垂れ幕も垂れ幕でかなりでかい。横一メートル半、縦は六メートルくらいありそうだ。なるほど、これにペンキを塗ればかなり時間がかかるだろう。
これから下書きしなければならないその布の面積に、早くもマイハートはクラッシュ寸前。暑さと蝉のうるささを足せば一発ノックアウトでKOの可能性がある。
今すぐにでも倒れて作業から逃げたかったが、鈴丘の観察眼からは逃れられない。
ベスト(俺にとってはバッド)なタイミングで水分補給させられ、ライフが若干残ってしまう。
「はい、これ鉛筆。武藤はこっから下やって」
「おう……」
名も知らぬクラスメイトの男子に指示される。さっきから事あるごとに場を仕切っていると思ったら、文化祭のクラス代表らしい。
文化祭のクラス代表の男子、略して文男は、他のメンツにも指示を出す。
綺麗に五当分された区画を、皆それぞれデザイン画を見ながら慎重に線を描いていく。
現在いるメンツに絵心のある奴は一人もいないらしい。
だからこそ、文字一つレタリングするのにも結構な時間がかかった。しかも垂れ幕用に大きめだし、ちょっと装飾が施されたりしていて複雑だ。
デザイン画を確認、慎重に線を引く、離れて見て確認、ズレを発見最初に戻る。みたいなのを延々と繰り返し、ようやく満足いくものが描けた。
「ふう……」
一息ついて額の汗を拭う。
大した事をしていないにも関わらず、妙な達成感がある。
これは決してみんなで何かを成し遂げたからではなく、単純にやり直しのサイクルという地獄から抜け出せたからだろう。そもそもまだ何も成し遂げてねえし。
俺が終わるのを皮切りに、他の連中も次々と仕事を終えて、とうとう最後の一人も終わった。
「よし、終わったんなら俺もう帰る。アニ○イト寄ってから」
「えっ、もう帰るの?」
「……なんでそんな驚いた顔するんだ鈴丘よ。俺にしては十分すぎるほど長い外出だぞ。今すぐ帰らないと太陽に吠える」
「どこの刑事ドラマ!?」
「う、うん? あれ刑事ドラマなのか……」
「そうだよ! 四十年くらい前に制作された刑事ドラマだよ!」
「……そうか」
知らなかった。元ネタ全く知らないでパロってた。なんか途端に恥ずかしさが込み上げてくる。
つーかなんで鈴丘は知ってるんだよ。四十年前って俺ら生まれてねえだろ。刑事ドラマ好きは結構根が深いようだ。
「なんにせよ俺は帰るぞ」
そう言い身を翻したところで、背後から声がかかった。
「あー、ちょっと待って、ちょっと待って、お兄さん」
「ぶっ込むなよ。なんだ?」
チョチョイと手招きするのは文男。そのもう片方の手は今しがた下書きを終えた垂れ幕を指さしている。
「今ちょっと離れて見たらさ、結構ズレてるんだよね。ほら、文字の大きさとか。凸凹したりもしてるし。だから描き直そう。お兄さん」
「被せるなよ。別に描き直さなくても大丈夫だろ。ペンキ塗るときに調節すればなんとかなる……はずだ」
もう一度作業なんて冗談じゃない。
そんな心情から出た妥協案は、やはり文男には受け入れられない。
「いやいや、俺ら絵心ないじゃん。下書きで妥協してたらペンキ塗るときに大変な事になるって。ぶっつけ本番で描けっこないんだし」
「お、おう」
それどころか理にかなった反論が返ってきた。
そうなんだよなぁ。俺らのペイントスキル的に、失敗して塗り直しが必要になる可能性は極めて高い。
ペンキは塗り直しに時間がかかる。時間のない現在、どんな些細なタイムロスも許容すべきではない。
重ねて無駄なペンキの使用は文化祭の予算に響く。
早い話、下書きはちゃんとしたほうがいいということだ。あれ、完全に俺が間違ってる。
「よし、それじゃあやろうか」
文男の号令で、この場にいる全員に喝が入る。
みんな俺よりもはるかにやる気がある様子で、鉛筆を手に取る。
うわぁ、面倒臭い。とはいえ、やらなければ帰る時間が遅くなる。
俺は嫌々ながら、再び鉛筆を持った。
***
夕日が輝き、ロマンチックに辺りを照らす。影は伸び、どことなく不思議さを醸し出していた。
一方俺の気持ちは不思議でもなんでもない。早く帰りたいの一言に集約されている。
下書きの描き直しは困難を極めた。そもそも絵心もないのに下書きなんかができるわけがない。それが例えレタリングに近いものであったとしてもだ。
描いてはどこかしらのバランスがおかしくて描き直し。それを何度か繰り返し、ようやく文男の納得できるものになった頃には日が傾いていた。
やる気のあるほうだった俺以外の連中も、心なしか疲労の色が顔ににじみ出ている。やはり垂れ幕作業は重労働だ。
「思ったより時間かかっちゃったねー」
「そうだな……」
疲れた声で言う鈴丘に、額に垂れる汗をぬぐいながら返した。
俺自身もまさかここまで時間がかかるとは思ってなかった。
すぐ帰れると思ってただけに、身体的な疲労だけではなく、精神的な疲労がきつい。マジで帰りたい。
「うん、よくできてる」
ただ一人文男だけが満足げだった。腰に手を当ててうんうん唸っている。なんだろう、地味にうざい。
「なあ、もうかえっていいか?」
「ああ、うん」
文男は振り返ってこの場にいる全員に呼びかける。
「それじゃあお疲れ様。明日からのペンキ塗りだけど、時間ギリギリだしみんなで頑張ろう!」
その言葉にみんな適当に返事をする。もちろん俺とて例外ではない。「おーう」と間延びした声をあげてから一番に踵を返した。
「ちょっと、武藤君、一緒に帰ろうよ」
「おーう」
疲れからか、常なら「え、なんで」と返すようなことにも適当な返事をしてしまう。
学校を出て、アニ○イトで漫画とラノベを買い、そして家に帰るまで、俺はかなりボーっとしていたような気がする。
「また明日ねー」「おーう」とこれまた雑な返事で鈴丘と別れた。
明日以降の文化祭準備に参加することを、言外に容認していたと気がついたのは、夜寝る時だった。
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