30 夕暮れ
汐留の次は甲斐だ。
定時制のある木城高校は、最終下校時刻が他の高校に比べてかなり早い。汐留との話で割と時間も過ぎた。サッカー部がどのくらいに終わるのかは知らないが、大して待たなくても良さそうだ。
とはいえ何もしないで過ごす時間というのは、たとえ五分でも極めて手持ち無沙汰である。
俺のユニークスキルであるボーッとするを使っても良かったが、さすがにそれは無益にすぎるだろう。
よって残された選択肢はラノベを読むことのみだ。もうこのラノベ三週くらいしてるけど読むことのみだ。
適当なページを開いてみると、ちょうど主人公が自分の信念に問いかけているシーンだった。
「…………」
今はあまり重い部分を読みたい気分ではない。もっと軽い、何も考えなくて良さそうな前半部分を読もう。そうしよう。
そうしてしばらくしているうちに、最終下校時刻の十五分前を知らせるチャイムが鳴った。同時に、生徒に下校を促す放送も流れる。
そろそろだろう。
カバンを肩にかけて立ち上がる。
教室の扉に手をかけて、そこで一瞬止まった。
ーー私にホントのことを聞いた理由は、たぶんそれじゃないですよ。
そんな、本当に汐留が言ったのかもわからない言葉を思い出してしまったからだ。
「意味分からん」
そう。意味が分からない。なぜ汐留がそう思ったのかも、そしてわざわざ口に出したのかも。
いや、口に出したかどうかは定かでない。俺の空耳だったという可能性すらある。なのに頭の隅に巣を張ってしまっている。俺はそんな巣に引っかかってしまっている。
ふと振り返る。俺の今いる部屋は、夕陽と長く伸びた影のせいでどこか歪み、それでいて混沌としていた。
そんな場所に気味の悪さを感じて、一瞬だけ蜘蛛の巣に捕らえられたかのように動けない。だがその拘束はまだ緩かった。俺はすぐにそこから出た。
幸いあんな教室の表情は、この時間帯ぐらいにならなければ現れることはない。他にも朝日によってああなることはあるだろうが、どちらも俺にとって馴染みのある時間帯ではない。
その時間帯にここにいないなら、もう目にすることはないだろう。
そんな何に怖がっているのかも分からずに怖がる様は、子供のようだ。
なんにせよ、俺は教室の扉を乱暴に閉めて、甲斐と話すために歩き出した。
***
六月の後半というものは、七月後半から八月にかけてほどではないにせよ、シャレにならないくらいに暑い。
ただしそれも日中のことだけで、夜になるとかなり涼しくとても過ごしやすい気候になるものだ。たまに寒い時すらある。
だから今は外で立っていようが苦にならなかった。
サッカー部の部室の前で待っていても良かったものの、なんか犯罪者予備軍臭がプンプンするのでやめた。
あと、男が男を部活終わるまで待って、その部室前で待機とか非常に気持ち悪いし。そんな自分を客観視したら真剣に自殺を考えそうだったのもある。
そんなわけで校門付近にての待ち伏せだ。
これもこれで翌日の登校を躊躇うくらいには気持ち悪いが、致し方ない。我慢しよう。
陽が傾いた中ではさすがにラノベの文字も見えない。ユニークスキルフル発動で時間を潰す。
やがて校舎の方からザワザワと、いかにもリア充してますといううるさい声が聞こえてきた。
目を凝らすと、一年生から三年生まで幅広いラインナップが揃えられた、男子の集団がやって来る。服装から見てサッカー部で間違いない。
なおも目を凝らし目的の人物を探せば、やはり集団中心でワイワイ会話をしている。
耳をすませば、「お前やっぱりあの子が本命かー」や、「リア充死ね死ね!」という楽しげな声が多数含まれている。話題はおそらく甲斐と汐留の恋愛事情だろう。
あれの何が楽しいのか分からないが、当人たちが楽しいなら構うまい。
それよりもどうやって話しかけたものかと考える。が、妙案を出す前に甲斐がこっちに気がついた。
彼の目は一瞬驚いたように見開かれ、次に得心したように細められる。
そこには少しの敵意が含まれているようで、その実攻撃的なものではない。どちらかというと条件反射的なものを感じる。あいつどんだけ俺のこと嫌いなんだよ。
「ごめん、ちょっと忘れ物した。先行っててくれ」
甲斐はサッカー部の連中に向けてそう言い、
校舎の方へと歩き出した。その背中には間延びした返事が向けられた。
え、あいつ逃げた? 俺を見て回れ右して逃げた?
それが事実で、もしここかバトル漫画の世界だったら、俺は確実に最強クラスのキャラ。覚醒したか強くなった主人公に負けるタイプのキャラということになる。
けどまあ、甲斐は逃げたわけじゃないだろう。
逃げるならダッシュは当然。しかし奴は心なしかゆっくりと歩いている。おそらく俺と話をするために、追いつかせようとしているのだ。
それはそれで甲斐らしくない気遣い。たぶん嫌なことはさっさと済まそうとしてるだけなんだろうが。俺、まさにそのタイプだからよく分かる。
そうと分かれば追いかけない手はない。もともとそのつもりだったのだから、帰るという選択肢は最初からない。
途中で追いついたり横に並んだりしないように気をつけながら、小走りで後を追いかける。
「汐留さんのことか?」
部活帰りの生徒も、今頃登校してくる定時制の生徒も誰もいない。極めて静かな校舎裏に着くと、開口一番甲斐は問うた。
「ああ。まあそうだな」
「また俺が、功刀にしたことを繰り返すかもしれないからか?」
「……半分くらいはそうだ」
「半分?」
眉を潜めて問う甲斐。
そう、半分だ。もとよりこいつとの話は、確認の意味合いが強い。
「お前は、汐留のことを本当に好きなのか?」
「…………」
少しの、いや凄まじい気恥ずかしさを堪えて放った質問に返されたのは沈黙。
クイックなレスポンスを期待していた俺としては、相当にイレギュラーな状況であり……端的に言うと、死にたい。死にたい……。
そんな俺の状態を察してかどうかは知らないが、甲斐がついに反応しした。
「当たり前だろうが。じゃないと付き合わねえ」
「功刀の時は好きでもないのにオーケーしただろ」
「っ、そこは、あー……はあ。まだ引っ張んのかよ、そのこと」
「言っとくけど俺に行動起こさせるとかよっぽどのことだからな? そりゃ引っ張るだろ」
「そうだな。お前教室じゃ特になんもしねぇ根暗なクソオタクだもんな」
「だから前にも言ったろ。オタク様と同列に扱ってもらえるほど、俺はオタクじゃねえって」
「マトモな人間から見たらどっちも同じだっつーの。クソが」
「お前な……オタク=マトモじゃないって考えを今この場で完全論破してもいいんだぞ。それは完全なる偏見だからな?」
確かに常識がちょっとアレな人がいることもままあるが、それはオタクに限ったことではないし。性癖が偏った人が多いことは否定しないが。それだって行動を起こさないうちはまだセーフだ。思想の自由は憲法で認められてる。たまに行動しちゃう人もいることにはいるけど。
「うるっせ。偏見だとかなんだとか知るかっつーの! だいたいンな話するために来たわけじゃねえんだろうが。さっさとしろや」
「……そうだったな」
つい熱くなりかけてしまった。
「もう一回聞くけど、お前は本当に汐留のことが好きかってことだな。嘘ついても構わねえけどたぶんすぐバレるぞ。鈴丘に聞いたら一発だから」
「……汐留さんのことは好きだよ」
今度はすぐに答えが返ってきた。
鈴丘の観察眼については甲斐も知ってるはずなので、彼の言ったことは真実ととっていいだろう。
「じゃあ次。お前は汐留に、自分の本性を教えるつもりはあるのか?」
これこそが本題。俺が甲斐と話す理由。
汐留の目的は甲斐の本性を知ることだ。それは甲斐が汐留に対して何もかもをさらけ出した瞬間、全てが終わることを意味する。
甲斐は「なんでンな事……」と後頭部をポリポリかく。
「別に今はねえよ。そういう事は時期を見計らってとかいろいろあんだろが。言うか言わないかもそんとき決める」
それは奇しくも、俺がずっと迷っていたこと、そして先延ばしにしていたことと同じだった。だが今は関係ない。
おそらく甲斐は、功刀にした事を、少なくとも汐留と付き合ってるうちはするつもりはないだろう。それこそハイリスクでローリターンだ。
甲斐は改心したというわけではないのだろう。ただあの日の駅前でのことをーー本人曰くだがーーそれ以降はしていないというだけで。
奴には奴の考え方があり、価値観があり、楽しみがある。それが決して褒められたものではなかったとしても、今回の被害者は甲斐だ。そして加害者は汐留。
彼女の行動は容認されることではない。しかし彼女の行動原理には一考の余地がある。
双方の言い分を聞いて采配を振るうなど、まるで裁判官だ。
けれど俺は裁判官ではない。下した采配が中途半端なものであっても許される。
だから、甲斐には、忠告だけしておこう。
「甲斐」
「あ?」
「一つ忠告。お前の本性は、汐留に教えないほうがいいぞ。なんならひた隠しにするべきかもな」
「はあ?」
まるで訳が分からない。今の甲斐の表情はまさにそれだった。
「理由までは言わないぞ。公正を期すために」
「なんの勝負だよ」
「別に勝負じゃねーけど、今のはルール説明みたいなもんだな」
「意味わかんねえよ。ちゃんと説明しやがれ」
「それは無理だって言ってるだろ。俺が言えるのは、お前の本性は隠したほうがいい。これだけだ。破ったらどうなるのかとか、そういうところまでは言えない」
「……また、全部分かってるみてえな顔しやがって……」
わずかに怒気を孕んだ声が投げかけられた。
その実、声には戸惑いもふくまれている。
分からないことへの、知らないことへの恐怖だ。
そんな彼は、その瞬間だけ汐留に似ていた。
だからもう一つだけサービスをしよう。
「なんなら汐留に探りでも入れてみればいい。あまり積極的には勧めないけど、俺が言い出したことの意味は分かる」
「ただ」と俺は続ける。
「そのことに関して俺は一切の責任は負わないし、どうなろうが知ったことじゃないからな。自分でよく考えてから実行しろ」
「…………」
なおも不満げな甲斐は、今度は何も言ってこなかった。
ただ敵意をむき出しにして俺を睨むだけ。確証はないが、俺の入ったことの意味を考えているのだろう。もしくは、どうするべきかを考えているのかもしれない。
そんな折、最終下校時刻を告げるチャイムがなった。
『最終下校時刻です。敷地内にに残っている生徒は、速やかに帰ってください』
放送はほとんどの生徒がいなくなった学校によく響く。
甲斐との話はすぐ終わると踏んでいたが、思っていたより時間を使ってしまった。
「そんじゃ、俺はもう帰るぞ。お前もボーッとしてないでさっさと帰れよ」
動かない甲斐に別れを告げてから校門へと向かう。
と、一つの足音が付いて来た。それは俺から一定の距離を取って離れない。
「俺は俺の好きなようにする」
「…………」
「俺が汐留さんに、あの事を言わなかったとしても、必死こいて隠そうとしても、それはてめえに言われたからじゃねえ」
「だから勘違いするなよ、か? 男のツンデレって古今東西まったく需要ないぞ。どっかの雑魚キャラが言いそうなセリフだし」
「うるせえオタク。分かったらもう俺に話しかけんな関わんな」
「俺が分かってなかったらどうすんだよそれ……。まあ別にお前に話しかけることなんかないから安心しろ」
「だろーな。てめえは自分の席から動かねえからな」
「あと、俺はオタク様のレベルに達してないと何度言えば分かる」
「それは知るかよ」
吐き捨てるように言って、甲斐は俺を追い越して行った。
彼の後ろ姿は、ヤケクソ気味にも見え、いっそ清々しくもあった。
校門を抜け、一仕事終わった安堵からか、俺の口からは自然とため息が漏れる。
甲斐と、そして汐留の好きなようにやらせる。
結局のところ、それが一番なのかもしれない。俺の行動原理とも一致することだ。理解するのは非常に容易い。
それに、当人が良ければそれでいいというのもある。
汐留は甲斐の本性を知るために行動した。
甲斐は汐留に純粋に好意を寄せて行動した。
どちらも自分の好きなように、望むようにして得た結果であり、状況だ。それに第三者があれこれ口を出すこと自体が要らぬ世話である。ひたすらに迷惑なだけだ。
当人たちが良ければそれでいいのだ。
誕生日プレゼントにグミをねだる子供。明らかに損をしているにも関わらずに投資を続ける大人。
そんな人たちは、他人から見ればいざ知らず、本人は満足なはずだ。
仮に満足でなかったとしても、それは本人たちの問題である。
だからもうこの件に関して考えるのは無意味だ。おせっかいにもなり得ない。
それにもう、考えるべきこと自体がない。
ならこれで物語りはお開き。漫画だったら一シリーズ。ラノベだったら一冊の終わりといったところだろうか。
「ふぅ……」
もう一度息をついてから肩を回した。
ここ最近凝り固まっていたが、ようやく解れたようだ。
ついでに首をぐるぐると回す。
ちらりと視界の端に映った空には、珍しく星が輝いていた。
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