28 違和感
真面目に授業を受ける気分ではなかったが、もうじき期末テストだ。
他のことを考えそうになる頭に鞭打ち、なんとか集中力を保っていた。
二時間やり過ごし、次は三時限。
確か次からは美術だった。教室を移動せねばなるまい。
必要な物をカバンから取り出し脇に抱えて、誰よりも早く教室を出た。
休み時間の喧騒が広がる廊下を我関せずで歩いて行く。
中学時代は廊下で鬼ごっこ(ガチ)をやる奴が三組くらいいたものだ。そのせいで廊下が車道みたいになっていたが、高校になればそんな輩もいない。喧騒が広がっていても、中学に比べればびっくりするほど平和だ。
ただ平和といっても、それが万人が望むものかは分からず、平和に疑問を持つものは常に一定数いる。したがって真の平和などあり得ないのだ。戦争がなくならないわけだ。
階段を下り二階へ。この階は一年生の教室と美術室などの特別教室がある。
一年生の方も二年生と大差なく、休み時間を満喫している連中ばかりだった。
廊下にあふれている生徒の間を縫うようにして美術室への道のりを行く。大して離れてないはずなのに、人口密度ゆえかちょっと遠く感じる。
もっとひとけのないルートを取りたいが、あいにく道はここ一択である。強制的に人ごみにダイブだ。ほんと、なんでここしか道作らなかったんだか。
だが人生の道は必ずしも複数あるわけではないことを考えれば、これでもいいのかもしれない。
と、人ごみの中に見覚えのある人物を見つけた。
茶色がかったショートカットに特徴的なアホ毛。少し小柄で、いかにも後輩という空気を醸し出している。そんな彼女が笑うと小悪魔的な八重歯が覗いた。
汐留は友達連中数人と談笑しているようだ。その中心はやはり彼女だろう。周りの女子が汐留に話題を振るたび、アホ毛を小刻みに震わせ笑顔で会話を回している。
その笑顔が若干固い気はしないでもなかったが、甲斐のデートでもそうだったことを顧みれば作り笑いと思われる。
やはりカースト上位というのは特別なのだろう。それと同時に大変でもあるはずだが、汐留がああまでして手に入れた価値はあるのかもしれない。俺はそんなものにまったく興味はないが。
そして理解しようとも思わない。
クラス内カーストにこだわるのは勝手だが、そのために他人を利用するのは確実に間違っている。まして、方法が方法だ。
それも俺が恋愛相談を降りたことで阻止できたはずだ。今はもう、この事について考えるのは意味がない。
俺と彼女は無関係。無関係であるなら無干渉は基本中の基本。
俺は何事もなかったかのように彼女の横を通り過ぎる。
寸前、汐留がこちらに気がついた。
俺を視界に収めた瞬間、汐留は複雑な表情を浮かべ、アホ毛を不安げに揺らす。
それもカースト上位を守りたいという意思の前では長く続かないのか、すぐに談笑へ戻っていくのが視界の端に入った。
うむ、正しい反応だ。あまりいい印象を持たれていないに決まっている。積極的に止めるようなことはしなかったが、結果的に止めることにはなった。否定的な意見も言った。問い詰めるようなこともしたし、その時の口調に棘があった可能性も否めないのだから。
俺も振り返ることはせずに歩いていると、後ろから小走りの足音が二つ聞こえてきた。
「武藤君っ」
「あん?」
立ち止まると、二秒後に彼女たちは追いついた。
「もー、なんで先に行っちゃうの。行くところは同じなんだから一緒に行こうよ」
「……自分のペースを崩したくないってどっかの元野球選手も言ってたぞ」
いつかのテレビ知識で答える。すると鈴丘はポカンとした。
「武藤君、何かあったの? もうあの噂聞いたとか?」
「なんもねえよ。なに、俺どっかおかしかったのか?」
「アンタは基本的に全部おかしいわよ」
「さらっと毒吐くな功刀。威嚇するときのコブラか」
「そうそれ」
「うん?」
俺の動物うんちくに鈴丘が反応した。もしかしてコブラじゃなかったのかとも思ったが、
「なんでアニメとかのよく分からないネタじゃないのかなって」
「よく分からないってなんだよ」
「アンタ基本的に全部よく分からないわよ」
「ちょっと静かにしようか功刀」
功刀が叱られた犬のごとくしゅんとした。どうでもいいから取り合わないが。
それより今は鈴丘だ。
「で、俺がアニメ以外の例え出すのがそんなにダメだったのか?」
「い、いや、全然ダメとかじゃなくてね。なんなら今の方が分かりやすいんだけどさ。こんなに立て続けにアニメネタ出さないのって初めてだし、なんか目とか空気が疲れてたといいますか……」
なんだか釈然としない物言いだ。
姉さん曰く、俺は負のオーラは常時発動中らしいから、なんらおかしいところはないと思うが。
ただ、心配そうに見つめられては、何もないと答えることに抵抗を覚える。変に誤魔化していると思われても面倒だ。
「よく分からないけど、もうすぐ期末テストだからじゃねえの。俺が疲れてるように見えたのは」
「……うん、まあそういうことなら」
納得しかねている様子だったが、本人に問い詰める気がないならいいだろう。
期末テストというワードに、視界の端に写った青ポニテが過敏に反応していたのも、どうでもいいだろう。
それにずっと立ち止まってるのも普通に邪魔だ。俺が歩き始めるとそれに二人もついてきた。
「ところで鈴丘、あの噂ってなんだ?」
「あっ、そうだった。忘れるとこだったよ」
先ほど気になったセリフを問い詰める。鈴丘は途端に真剣な表情になり功刀と顔を見合わせた。
そして二人の挙動を訝しげに見ている俺の方に向き直って、声のトーンを落として言った。
「実は、甲斐君がね……」
***
言うべきか言わないべきか。
これはどちらの方が相手を傷つけないで済むかという、永遠の問題と言える。何年か生きていれば必ず遭遇することだろう。
例えば、会話している友人の鼻から出ていた鼻毛。
トイレから帰ってきた人の開いていたファスナー。
タグの付いたままになっていた洋服。エトセトラ。
十数年しか生きていない俺ですら、例を挙げればキリがない。
それらの光景を目にした者は後で本人が自分で気がついた方がいいのか。今この場で自分が伝えた方がいいのかと思い悩むこと必至だ。
それは恋愛においても変わらない。
方や学校ではサッカー部のイケメン部長で超絶モテ男。しかし裏の顔はクソヤンキー。
方やスクールカースト上位で、あざと可愛い後輩キャラ。しかし裏の顔はカースト維持のために人を利用し情報を集め、恋愛感情なしで恋愛相談を持ちかける少女。
最初は甲斐の本性を汐留に言うか否かで迷っていたこの問題も、今やどっちもどっちの泥沼という有様だ。
甲斐と汐留が付き合い始めた。
鈴丘の言っていた噂とは、そのことだった。
どちらも本性を隠したまま付き合ってしまった彼と彼女の関係は、ほんの少しのことで崩壊するだろう。それ自体は構わないどころかどうでもいいことだ。
しかしどちらの裏の顔も知ってしまった身としては、言うか言わないかで少なからず揺れている。どちらを選択すれば、彼と彼女は傷つかないのか測りかねている。
……いや、俺はあいつらの気持ちなんてどうでもいいはずだ。自分とは全く関係のない、取るに足らないことだと考えているはずだ。
それなのに何故迷っている。無関心を貫けばいいのに、何故そうしようとしていないのか。
ーーそうじゃない。
問題は言うか言わないかではない。汐留が何故甲斐に告白したのかだ。
汐留は予備ステータスとしての甲斐を欲しがっていた。必須ではなく、あったほうが安全というレベルだ。
振られるというリスクを起こす必要がないのだ。
カースト高位者は自然とその行動が注目される。汐留が誰かに告白して振られれば、それが噂となってしまうのは想像に難くない。
カースト高位を維持したい汐留としては望まざるところだろう。
なのにそうなるリスクを侵してまで決行した。得るものは決して大きくはないのに。
何故だ。
言っていたことと状況が矛盾している場合、より信頼度の劣るのは言っていたことだ。汐留の言っていたことの方が真実でなかった可能性が高い。
俺が考えた汐留朝日像。それを肯定した彼女の言葉は嘘だということになる。
それはそれで問い詰めた俺としては、なんとも恥ずかしい気がするが、今はどうでもいい。
こうなると次に気になるのは、彼女が俺の言ったことを肯定した理由だ。
嘘の悪事をバラす時は往々にしてさらに悪い事をしているものだが、俺にはこれ以上何も思いつかなかった。
分かったのは、汐留は外側を取り繕って、内側では果てしない何かが渦巻いているということだけだ。
何が渦巻いているのかは分からない。もしかしたら本人も表面的にしか理解していないのかもしれない。
本人も完全に理解していないことを、他人が理解することは不可能だ。理解してもいないのに、知った風な口を利くのは、この上なく無理解だ。
だから、それを知るには、本人に聞くしかない。
***
そんな思考をしていたら一日が終わってしまった。一日が、終わってしまった。授業全然聞いてねえ……。
まあそこは姉さんに聞けば済む話だし問題ないだろう。
重要なのは汐留と甲斐のことだ。
順番的には、汐留が先だろう。
放課後となってすっかり弛緩した空気の中、俺は一人席に座ったままスマホを取り出した。
携帯電話の類には返信という機能がある。相手のメールアドレスを知らなくても、返信機能を使えばメールを送ることが可能だ。
まさか脅迫まがいのメールに感謝する時が来るとは思ってもいなかった。
そんなメールを削除していない己のずぼらさを目の当たりにしつつ、俺は素早く文字を打ち込み送信ボタンをタップする。
今日は幸い水曜日。部活は休みであいつは暇と推測できる。
「どうしたの? 武藤君。いつもなら真っ先に帰るのに」
その声の主は鈴丘だ。不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「ちょっと野暮用があるだけだよ」
「もしかして、甲斐君のこと?」
鋭い。
「さあな。ご想像にお任せします」
「私も残った方がいいかな……。あ、でもそれなら功刀さんも……」
適当にはぐらかそうとしたら、自らも行動しようとしてた。
確かに俺が残るのは甲斐の件ではあるが、このことは彼女たちとは関係がない。残られても困る。
「いや、別に甲斐のことじゃねえから大丈夫だよ。残る必要はない」
「……ほんと?」
「ああ」
嘘を見破られないように全力でポーカーフェイスを保つ。
鈴丘はジーっと俺の顔を見ていたが、しばらくすると優しく微笑んだ。
「そっか。なら私は帰るね」
「おう」
カバンを持ち直して、鈴丘は教室を出て行く。寸前、
「頑張ってね、武藤君」
「あん?」
そう言い残して鈴丘は出て行った。
誤魔化せた、のだろうか。
いや、恐らく見破られていた。その上で彼女は帰って行ったのだ。何かを悟って、触れないでくれたのだ。
これは俺の問題だ。干渉してこないでくれるのはありがたい。
恵まれた観察眼で意図せず人の考えを暴き、その上で相手を思いやる。優しい彼女らしい振る舞いだ。
俺は教室に誰もいなくなるまで、そしてやることが終わるまで残る。
それまでの手持ち無沙汰な時間は、ラノベでも読んで潰そう。
理屈っぽい会が続いてますが、何卒ご容赦……、あっ、ちょっ、待って! 読むのやめないで!




