25 動物園
時刻は午後一時。昼時だ。
そもそも待ち合わせの時間がほとんど昼だったので、現時点ではキリンとパンダしか見ていない。
その時間の約九割五分はパンダだった。
『そろそろ昼にしようか』
『あ、そうですねー』
インカムからそんな話し声が聞こえてくる。
話しながら歩く二人の後を追って行くと、動物園内の売店へと到着した。
さすが昼時。主に家族連れで賑わいに賑わって行列ができている。
近くに並べられているテーブルもほとんど埋まっていた。このままでは座ることは難しいだろう。
俺単体ならそこら辺で立ち食いでも全然構わないが、デート中の高校生男女が立ち食いというのはいかがなものか。
さて、どうするのかなと見ていると、インカムからトントンという音が聞こえてきた。
『センパイ、ヘルプです』
「おう?」
『行列はまあいいとして、座るところ確保して下さい』
「いやちょっと、無茶言いなさんな」
そりゃ俺がどっか空いてるテーブルに座っていれば確保自体はできるだろうが、甲斐はどうするつもりだ。
俺が陣取ってるテーブルに汐留たちが来たら、俺が相当のミスディレクションの達人でなければ見つかってしまう。
『じゃあお願いしますねー』
「無茶言いなさんなっつってんだけど?」
ストップをかけるも、奴はもう聞いていない。甲斐との楽しいお喋りへと戻っていってしまった。
行列へと並んで行く二人を尻目に、俺は仕方なく命令を実行することにする。
辺りをぐるりと見回して、空いている席を索敵。
みんな考えることは同じなようで、日陰の涼しい席は全滅だ。残っているのは日向ばかり。二人には、座れるだけマシと割り切ってもらおう。
ようやく見つけたそこに俺は腰掛け、汐留たちを観察する。甲斐に見つからないためには、彼らが商品を受け取った瞬間に席を立ち身を隠さなければならない。
何回か、「ここ空いてるぜー」「いやいるんですけど」「えっ? あ、すみません……」というやり取りをしながらその時を待つ。
自分が可視の存在なのか不安になってきた頃に汐留たちは商品を受け取った。
今だと席を立ち、寸前まで俺が座っていたところを狙って来た奴らの邪魔をさりげなくしつつその場から離脱する。
『あー甲斐センパイ、あそこが空いてるみたいですよー』
『うん。……あれ?』
インカムから聞こえる甲斐の驚いたような声。
『どうしたんですか?』
『ん、いやなんでもないよ。知り合いに似た顔を見つけただけ』
『そ、そうなんですかー』
視界の端にでも入ったのだろうか。
嫌いな奴というのは集団の中にいても見つけやすい。それは嫌いだと変に意識しているからなのだろう。
そして俺は間違いなく甲斐にとって嫌いな奴だ。その見つかりやすさは五割り増し。
もう少し気をつけたほうがいいかもしれない。
とはいえ時刻は午後一時。
面倒臭い、どうでもいいと口癖のように言う俺も、空腹感だけは放って置けない。
甲斐たちが席に着き会話を始めたのを確認し、列へと並んだ。
並んでいる間、特に何もすることはないので、二人を観察しつつ、インカムから聞こえる声に耳を傾ける。
『この後は何を見に行こうか』
『そうですねー。私はもう一回パンダちゃんでもいいですけどー』
『え、もう一回?』
『いえいえー、センパイが見たいのでいいですよー』
『そうか、うーん』
汐留の顔には笑顔が張り付いていた。
男はいつも笑顔でいる女性を好むという。
かくいう俺もそういう女の子は嫌いではない。まあ嫌いではないというだけで、積極的に好きなわけではないが。
だから汐留は実践しているのだろう。
ただし、パンダを見ていた時のような自然な笑顔でないのが残念ポイントだ。
頑張っているのは遠目にも分かるが、なんかちょっと足りない。
そのことは甲斐も見て取ったのか、しばしの黙考ののち、
『うん、やっぱり汐留さんが見たいもの見よう。パンダもう一回行こうか』
『ホントですか!?』
途端に声が明るくなった。アホ毛もブンブン振り回ってる。
甲斐がずいぶん優しい気はするが、仲睦まじいなら結構なことだ。というか、あいつが俺にキツく接してるだけで女子には元から優しかったか。
しばらく会話に耳を傾けていたが、しかしやはり普通の会話である。面白味は特にない。どっちにしろ退屈だ。
まあ仲良くお喋りしているのなら心配はいるまい。
俺は意識をインカムから切り離してボーッとし始めた。
ただひたすらに何を考えるでもなくボーッとする。列が少し動くたびに、条件反射的に前へ進む。
そうしてしばらくすると自分の番が回ってきた。
とりあえず食べ歩きとかができそうなもの、とホットドッグを買った。二百十円なり。
どうでもいいけど、入場料とか食事代とか交通費とか全部俺もちなんだよな……。ついでにそこら辺の自販機で飲み物も買わなければならない。領収書とかきれねえの、これ。
財政赤字をかかえる国の気持ちを少なからず理解しながら、俺は汐留の様子を確認しようとインカムに耳を傾ける。
「……?」
だが何も聞こえてこない。
どういう事だと姿を探してみるが、二人が座っていたはずの場所には違うカップルが座っている。
確か、インカムの通信可能距離は約八十メートルだったはずだ。
…………。
ミウシナッタ。
え、これあかんやつちゃうん?
慌てて時計を確認すると、俺が並んでから十五分が経過していた。運動部の彼らは、食事にさほど時間を取らないのだろう。ボーッとしていて、ここから去る時の声や音を聞き逃したと考えられる。
単純に俺の見積もりが甘かった。
いや、一旦落ち着こう。焦りはほんの少しでも思考を鈍らせ判断を間違わせる。
そうだ、ほとんど聞き流していたが、またパンダを見に行くみたいなことを言っていた。
そうと分かればすぐさま移動せねば。
ホットドッグをーかじりして小走りで道に出る。
パンダがいた場所はどっちだと、受付でもらったパンフレットを取り出し確認。
「…………」
パンダがいた場所はどっちだ。
パンダがいた場所は、どっちだ……。
どっちだよ……。
忘れてた。俺地図読むの苦手だった。
ならば手段を変えるしかない。パンフレットはひとまず畳んでポケットへ。
幸い地図が読めないだけで、方向音痴というわけではない。左右を見渡し見覚えのある道を進もうとする。だが、
「どっちにしろ分からん……」
あの二人を追いかけることしか頭になかったということは、道を把握しようとしていなかったということだ。つまり道に見覚えもクソもなかった。
「どうすっかな……」
係員に聞くなんて論外なので、勘で進んで行くしかない。
取り急ぎ右と左どちらに進むべきかを考えよう。
どーちーらーにーしーよーうーかーなーてーんーのーかーみーさーまーのーいーうーとーおーりー、とすべてを神様に委ねる俺(神など信じていない)
ヘブンのゴッドは右を指差したのでここはあえて左に行くことにする。
すでに二人がパンダから移動している場合を考えて、右へ左へ首を動かし手に持ったホットドッグを食べながら歩く。
次第に喉が乾いてきた。手近な自販機でペットボトルのお茶を購入。食べたり飲んだりしながら捜索を続行。
どうでもいいけど俺余裕すぎないか。いや、あの汐留がそうそうパンダから動くわけがないのは分かっているが。
そうやってしばらく歩いていると、ライオンが見えてきた。
猛々しいたてがみ。力強い脚。奴はそれらをすべて投げ出して超睡眠中だった。
「羨ましいなあれ……」
一日好きなだけ寝られる生活とかすごい憧れるんだが。と、立ち止まってしまった俺は相当末期だろう。
デートサポートのせいでまだ終わらせていない宿題のことを思い出して、もともと高くないテンションが下がった。
が、こんなことをしている場合ではない。
汐留がパンダの前からそうそう動かない人種だろうと、何時間もぶっ続けで見ているわけではない。
ホットドッグの最後の一口を口に含んで捜索を続行しようとした瞬間、ノイズとともにインカムから声が聞こえてきた。
『さっきより見てる時間短かかったね』
『いえー、やっぱり私が見たいのばかりじゃなーとか思いまして』
近くに、いる……!
くどいようだがインカムの通信可能距離は八十メートル。当然目視で捜索可能だ。
どこだどこにいると周りを見渡す。
だがさすがは百獣の王ライオン。ここには人がわんさかいる。人探しをするのはなかなか困難だ。
仕方ない。一旦この場から離れよう。少し離れた場所から俯瞰的に見た方が効率的だ。
そうと決まれば話は早い。見物客や通りかかる人の隙間を縫うように進んで、無事人口密度の低い場所まで出る。
と、二人の人物と目が合った。
茶髪のイケメンとアホ毛の後輩。つまるところ、ちょうど俺が探していた甲斐と汐留だ。
「あっ」
「あー……」
「…………」
互いに動くことのできない沈黙が続く。
今のところ俺が汐留の恋愛相談を受けていることは露見していない。だが汐留の対応力によっては甲斐に知られてしまうことになる。
心配になって汐留を眼球だけ動かして見るが、意外なことにポーカーフェイスを貫いていた。
自由自在に動くアホ毛だけが硬直していたが、それぐらいしかおかしいところはない。鈴丘や功刀に比べればかなりマシだろう。
だが一方甲斐は、かなり嫌そうな顔をしていた。それはもう露骨に。
さてどうしようか、もう何も見なかったことにして立ち去ろうかと考えていると、甲斐がハッと何かに気がついたような顔になる。
「ちょっと、汐留さんごめんね」
奴は人のいい笑顔を作って言うと、ガシッと俺の腕をつかむ。そして耳元で、
「ちょっとお前来い」
そう囁くとグイグイ腕を引っ張ってきた。
「え? いや、は?」
正直わけが分からないが、目線で汐留に確認したところ、特に引き止められることもなかった。行くしかなかろう。
甲斐が進む方へと着いて行く。
人をかき分けすり抜けトイレの横という人気のない場所まで連れてこられた。
状況から考えて秘密の話だろう。汐留をわざわざ置いて来たことから、その話を汐留に聞かれたくないというのは察せる。
俺は甲斐に気がつかれないように、インカムの電源を切った。電源を入れたままだと会話は全部汐留に筒抜けになるからだ。
「やっぱお前だったのかよ」
いきなりそう言われ、なんのことか分からず首をかしげる。
「さっき売店にいただろ」
「あぁ」
あれか。
「そんで、なんでこんなとこにいるんだよ。お前、進んで外出るような顔してねえだろ」
「それどんな顔だよ……。別に来ててもいいだろ。好きなんだよ、動物」
実際動物は好きな方だ。ただそれ以上に家が好きで、なおかつ人混みが嫌いなんだが。まあそんなことはどうでもいい。
「本題はなんだ? わざわざ俺を連れ出してここにいる理由を聞き出すほど、お前は俺に興味がないだろ」
言うと甲斐はフンと鼻を鳴らした。
「お前のそういうところが嫌いなんだよ」
「は?」
「そーやって全部分かってる、見え透いてるみたいなところが嫌いだってことだ」
「いや知らんけど。つーか、さっさと本題に入れよ。俺そんなに暇じゃないんだぞ」
面と向かっての悪口を軽く受け流すと、奴は不機嫌そうにため息をついた。
「汐留さんには、言うなよ」
「言う? 何を」
「あのことをだよ」
「あのこと?」
「……お前、もうとっくに察してんだろ」
甲斐は苛立ちを隠そうともせずに言った。
確かに察してはいるが、仮定だけで話を進めるのは大きな勘違いを生みかねない。だから具体的なことを話させようとしたのだ。
だが、こいつが俺にとって不利益なことをしない限り、俺もこいつにとって不利益なことをするつもりはない。
その点を考慮すれば、具体的な内容がなくても関係ないだろう。
「分かったよ。言わん。そもそも俺が誰かに言いふらしてたら、前のお前のポジションを今もキープできるわけがないだろ。俺も鈴丘も功刀も言ってないってことだ」
「……ああ」
甲斐がしたことはもちろん簡単に許されることではない。人の気持ちを踏みにじる、俺ですら嫌悪感を覚える行為だ。
だがそれについては解決済みだ。少なくとも俺が知ってる範囲では終わったことだ。
当人である功刀がいいと言っていた以上、そこに余人が入っていくことはできない。少なくとも俺はしない。
だが、これだけは確認しておこうと思った。
「お前、まだあんな事してんのか?」
「もうしてねえ。別にお前に言われて改心したとかじゃねえけどな」
「そうか」
まあそれなら良かった。
甲斐が嘘をついている可能性もあるが、今はその言葉を信じておこう。何よりこいつは、汐留とのデートにちゃんと来たのだから。
と、今更ながら気がついた。
「あれ、お前もしかして汐留のこと好きなのか?」
「お前に答えると思うか?」
「だよな」
そうでなくてもこのタイプの話はむず痒い。功刀や汐留はわりかしオープンなため、俺も特に何も感じないが、話し手が妙に恥じらったり、そうでなくても隠そうとしていると耐えられない。端的に言うとなんか死ぬ。
「俺、もう汐留さんのとこ戻るからな。一応言っとくけど、つけるんじゃねえぞ?」
「おーう」
それは約束しかねる。つーか絶対つける。そのために来たんだし。
俺は小走りで去って行く甲斐の背中を何の気なしに眺めていた。
甲斐が汐留に好意を持っているなら好都合だ。さっさとフェーズを告白に移行すればそれで済むからな。
それにしても、誰かを想うというのは、なんと美しいことか。
不良ですらその行動を正そうとする。
その結果行き着くところは知らないが、バッドエンドでないことを祈ろう。
***
「おかえり飛雄馬。そんでそんで? デートはどうだったのよさ!」
動物園から帰宅した俺に、姉さんは開口一番にそうのたまった。
「それ、朝否定したと思うんだけど、俺」
「う〜ん、その顔じゃ大きなことは何も起こらなかったみたいだね〜。お姉ちゃんがっかり」
「人の話聞こうな?」
勝手に話を進めようとする姉さんに俺は呆れ百パーの瞳を向ける。その一方で感心もしていた。
事実、甲斐と話した後は特に何も起こらなかった。俺、いる意味なくね? と思うくらい何も起こらなかった。
それを俺の表情から読み取るとは。やはり姉さんは弟の表情を読むことに関しては群を抜いている。何もなかったこと以外は言い当てられてないけど。
「聞いてるよ〜。だからその上で言うね。もうネタは上がってるんだぞワトソン!」
「ワトソンって犯人の代名詞じゃないんだけど」
むしろ追い詰める側の人間。という俺の声を無視して姉さんは続けた。
「それじゃあ金曜日に一緒にいた、アホ毛ショートカットの可愛い子はなんなのだ!」
「…………」
見られてた、てへ☆なんて誤魔化しは姉相手にできるはずもない。そもそもキャラじゃない。
しかし確かに金曜日に汐留と会ってたのは学校の最寄り駅。誰に見られていても不思議なことは何一つない。迂闊だった。
「姉さん、落ち着け。落ち着いて深呼吸をすれば全てがどうでも良くなる」
「どうでも良くならないし、私は落ち着いてるから! あの子とはどーゆー関係なの! 私に説明しなさい!」
「なんでちょっとツンデレ幼馴染みたいな言い方してんだよ」
「言いたかっただけなのだよ飛雄馬くん」
「だろーなー」
多分そうだとは思ってた。
さてどうしよう。
恋愛相談という、ある意味非常にデリケートな相談を受けている身としては、例え身内であろうと言わない。
なんの証拠もなしに言ってきたなら普通にスルーしていた。だが今回、功刀の時とは違って姉さんには現場を見られている。
だったらもう言っちゃえばいい。なにせ相手は姉さんだ。姉さんなのだから仕方ない。たぶん誰にも言わないだろうし言っても大丈夫だろう。
「実はな姉さん、また恋愛相談受けてんだよ」
「へっ!? またぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げられた。続いてほうほうと考え込むような声。
「飛雄馬の良さを分かってくれる子に、ようやく出会えたんだねえ……」
違う、しみじみとした声だった。つーか根本的な部分は分かってねえ。
「姉さん、何度も言ってるけどそーゆーんじゃねえって。ただ恋愛相談受けてるだけだっつの」
「え〜、つまんないの〜」
「俺が誰かと付き合うのが面白いなら、たぶん一生つまらないままだぞ。だいたい姉さん、俺みたいな男がいたとしてそれと付き合いたいと思うか?」
「う〜ん、微妙。なくはない感じ。積極的には無理」
「マジトーンで言うな」
そこはもうちょっと軽いノリで言って欲しかった。「なくはない」とか「ない」とほぼ同じじゃねえか。
「まあそういうわけだ。言いふらしたりするなよ?」
「了解なのよさ!」
ビシッと敬礼。
「その語尾、何ザイアの果実だよ……」
「マキナちゃんなのよさ!」
「キャラ的には天姉だよな。姉さんは」
どこがとは言わないけど。
「私に事故った過去はないよ!」
「政治家の娘でもないだろうが」
「そうなんだよね〜。普通の家庭なんだよね〜。がっかり」
「何ザイアのキャラたちよりはこっちの方がマシだっての。それと姉さん、こんな下らんことしてて大丈夫なのか?」
「一日くらい勉強サボっても大丈夫だよ〜」
「だから死亡フラグやめろ」
なぜ自分からアカンフラグ立てにいく。
そんな俺の心中など知らず快活に笑う姉さん。
「大丈夫、大丈夫。息抜きしてただけだし。お姉ちゃんはやればできる子なんだよ」
腕を前でクロスさせ胸を反らすジョジョ立ちを披露された。悔しいかな、ちょっとかっこいい。
そしてあばよと言い残して二階の自室へと消えていった。勉強しに行ったのだろう。
姉さんも高校三年生。大学受験とはやはり大変なのだろう。
「時間、止まらねえかな……」
来年受験と考えただけで胃が痛い。永遠の異能が欲しいと思った。




