11 優しさ
雨が降ってきた。といっても、傘をささなくてもいいくらいの霧雨だ。
ビデオカメラはちょうど屋根のあるところに置いてある。ビニールをかけたり特に何かをする必要はない。そのビデオカメラを通して鈴丘が見えた。
少しうつむいていた顔は今は前を向いている。切り替えが上手だ。
俺も切り替えは上手い方なのだが、今は何故かできないでいる。
先程から、この方法は間違っていると感じるのだ。見えない何かが警鐘を鳴らしているようだった。
だが何が間違っているのかは分からない。どれだけ考えても分からないのだ。自分のことしか考えられない。そんな俺にとっては当たり前という結論にばかりたどり着いてしまう。この方法で甲斐にダメージを与えることは確実にでき、俺の感じた不快感はそれで相殺できるのだから。俺の行動は少なくとも俺の視点から見れば間違っていない。なら間違っていると感じることはないはずだ。それなのに間違っていると感じてしまう。その理由が見えなくてもどかしい。
だがそこで、ふと思い当たる。
なぜ俺は、甲斐の行動を不快に感じたのだろうか。
ついさっきまで、なぜ俺の行動が間違っていると感じるのか、しか考えていなかった。だが計算の答えだけ見ていても仕方がない。間違いの原因を探るなら、計算式を見なければ意味がないのだ。
考えるポイントをなぜ甲斐の行動を不快に感じたのかに絞る。急いで考えなければならない。鈴丘が甲斐のいる場所にたどり着いてしまった。出てきた答えによってはもう行動を起こすには遅すぎるということもあるかもしれない。
無理矢理に頭を高速回転させる。
人生、何が後悔につながるかなんて分からない。もしかしたら手遅れになることで、俺は後悔するかもしれないのだ。それは本当に恐ろしい。
だから考えた。そして、驚くほど早く出た。なぜ、今まで思い至らなかったのかというほどに簡単なことだった。いや、どうして思い至らなかったのかは知っている。だが今はそんな事を考えている時ではない。
答えはすでに出ている。
だからその一歩も思ったより軽かった。
*****
「やめて」
怒りを込めて冷たく言い放った。
功刀さんが涙目で顔を上げ、甲斐君を含めた不良たちがこちらを見る。
「あ? 鈴丘? なんでお前こんなとこにいんだよ? 」
甲斐君は訝しげな顔をして疑問を口にする。
けれどそんな表情もすぐに引っ込めると口のはしを歪めた。あれは間違いない。嘲笑だ。
「もしかして俺のストーカーなの?」
甲斐君がそう言うと、不良たちに笑いが起こる。
「ギャハハ、甲斐〜。この子もお前の知り合い?」
「そーそー。こいつのオトモダチ」
こいつと言われた功刀さんは、ますます肩を震わせた。私はそんな甲斐君が許せなかった。功刀さんに謝らせなければならない。そう思った。
「甲斐君。功刀さんに謝って」
「は? なんで謝らないといけないんだよ」
「功刀さんを騙して、傷つけたでしょ。ちゃんと謝って」
私がそう言うと、不良たちはニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる。
バカにしきった笑み。そしてこの状況を楽しむ笑みだ。私にはそれが分かった。
「何言ってんだよ。昔からよく言うだろ。騙される方が悪いって」
響き渡る笑い声。
「甲斐、それあるわ。マジあるわ」
「ぎゃははっ! 甲斐君マジウケる!」
何が面白いのか、さっぱり分からない。
自分自身を割と温厚な方だと思っていたけれど、見ているだけでイライラする。
「笑わないで。何もおかしくなんかない。それにそんなの悪者の屁理屈じゃない」
「ああそうだよ悪者の屁理屈だよ。だからなに?」
「なっ……」
絶句した。これがあの甲斐君だなんて信じられない。
「だいたい悪者で何が悪いんだよ。俺らは損してないんだから別にいいんだっつの」
「ふざけないで! 周りの迷惑を考えないことは絶対に間違ってる!」
「だからそんなん知らねえっての。なに? 正義の味方気取りデスカ?」
「っ…………!」
どこまでもバカにしたような笑み。こちらの神経を逆なでするような声。
カッとなってすぐには言葉が出てこない。代わりに手が出そうになった。
けれどその手は後ろから誰かに掴まれてしまう。
「だよな、分かる分かる。悪者で何が悪いんだろうな」
武藤君はそう、眉一つ動かさないで言った。
*****
未だに霧雨だが、先ほどよりも少し強くなった気がする。
そんな中で俺の目の前には驚いた顔が三つあった。鈴丘と功刀とあと甲斐と書いてリア充(笑)と読ませるような奴。つまり甲斐。
「武藤君……?」
「武藤……」
「武藤……!」
最初のは不思議そうに、二つ目は特に何の感情もなく、最後のは憎しみを込めて言われた。やはり甲斐には嫌われてるようだ。
俺はとりあえず掴んだ鈴丘の手を離すと小さく首を振る。
暴力に訴えるのはダメだ。少なくとも法律的には、相手が最初に攻撃してこないといけない。それともう一つ理由がある。
こいつらはマズイ。近くに来てみて分かったが、間違いなく喧嘩慣れしている。鈴丘をバカにしていたときも、何もできないだろうという侮りではなく、何かしてきても対処できるという確信を感じた。
だからもし攻撃していたら鈴丘はどうなっていたか分からない。まあ女の子だしそんなに殴られたりはしないだろうが。
俺は一歩だけ、奴らから鈴丘と功刀を隠すように進む。
「武藤、なんでお前までいるんだよ? 鈴丘と二人仲良くストーカーか?」
甲斐がそう言うと後ろのモブ不良共が爆笑する。本当にこいつらは笑い疲れない。そんなに笑いの沸点が低くて日常生活おくれてるのかと聞きたくなる。
「まあ、ある意味ストーカーだな。いやお前なんかつけちゃいないけど」
とりあえず否定しておく。
「はっキモっ! これだからオタクはやることが危ねぇな!」
「おいこらお前。俺ごときをオタクにしたら本物に失礼だろうが。あの方がたはイベントとかで外に積極的に出てるんだぞ」
「なんだよ引きこもりかよ。キモイなお前」
相手に不快感を与え、仲間内に笑いをもたらす声。
おそらく何度もこんなことがあったのだろう。そんな声を出す奴は妙に様になっている。
だがその声も、言っていることも、俺には通用しない。
「まあ滅多に外出ないな」
「お前耳腐ってんのか? キモイっつってんだよ。死ね」
「いや、お前にキモイと言われてもな。何とも思わんし……。どうでもいいっつの」
「っ……………!」
俺はただ淡々と答える。その度に甲斐は不機嫌になっていく。後ろのモブ不良はその状況も楽しんでいたようだが甲斐はそうはいかなかったようだ。
「てめぇ……調子乗ってんじゃねぇぞ」
ドスの効いた声が放たれる。普段の甲斐からは想像のつかないような声だ。ちょっとした不良なら十分すくみ上がるような声。後ろにいる二人が小さく震える気配を感じた。
だが俺はなんとも思わない。安すぎる脅しだ。いつも通りを崩す必要はない。
「俺は平常運転だ。というかお前の方が調子に乗ってるだろ。サルみたいに」
「っ! てめっ……!」
瞬間、甲斐がキレるのが分かった。
右のパンチが飛んでくる。さすが喧嘩慣れしてるだけあって挙動は滑らかで素早い。ただし大振り。わずかに上体を傾けて回避する。
だが休む間もなく今度は左のストレートが飛んできた。なかなかの反応だ。ただし手だけで打ってる。首を傾けて避ける。
甲斐はなおも攻撃してきそうだった。大きくバックステップして距離を取る。暴力で解決しようとしていたわけではない。あくまで話し合い、説得でお帰り頂きたいと思っている。その方が面倒がない。
「おい、落ち着けよ。俺容赦ないから当たってたら警察呼んでたとこだぞ」
「呼ばせるわけねぇだろがクソがっ!」
そう言いながらも甲斐は踏み込んでこない。やはり甲斐はある程度賢明だ。怒りながらも、このタイミングで踏み込んで何とかなるとは思っていない。
鈴丘と功刀が呆然としているのが視界の端に映る。モブ不良たちはこういう状況に慣れているのだろう。ただニヤニヤとしているだけだった。
さて、では本来の目的を果たすとしよう。なに、俺のやりたいようにやるだけだ。
「ところで甲斐、俺は今のこの様子をビデオに撮ってるんだが。あとボイスレコーダーも起動してある」
「は……?」
甲斐はわずかに表情を揺らす。
「鈴丘と功刀に謝ってくれ。心を込めて。そうすれば誰にも見せないし聞かせない。どこにも流さない」
「はぁ……!?」
「誠意を見せるってことなら土下座が一番手っ取り早いかもな。別に心を込めるなら土下座じゃなくてもいいが」
俺はそこで振り返り、
「それでいいよな?」
「え? あ、うん……」
「え……と。私……」
俺の確認に鈴丘は頷いたが、功刀の返事は煮え切らない。まだショックが残っているのか? ……いや、違うな。
「甲斐に、何か言いたいことがあるのか?」
「…う、うん……」
「そうか、分かった」
頷き、俺はモブ不良たちに近づいて行く。
「あー、あんたら、悪いけどちょっと席外してもらえるか?」
こいつらがいては功刀が話しにくいだろう。それに茶化してややこしくされる恐れもある。
「は? なんで俺らがお前の言うこと聞かなきゃなんねんだよ」
「そうだし。チョーシ乗ってんじゃないわよ」
だがまあ、そうだろう。こいつらが俺に従う理由がない。それにこいつらとしてはこの状況を楽しみたいのだろう。
そしてこいつらは俺と同じように自分のことしか考えない上に、理屈を屁とも思わない。頭が動物的なのだ。だからこちらも動物的な方法で本能に語りかけるしかない。
「いいから席を外せ」
絶対零度の声音に、出来る限りの殺気を込めて言う。瞬間、こいつらは怯んだ様子を見せた。
「早くしろよ」
「わ、分かったよ。行きゃいいんだろ。行けば!」
「チョーシ乗んなし!」
口々に言いながら退散して行く。正直効果があるかは微妙だったが、上手くいって良かった。
「さて……」
邪魔者は追い払った。
ここからは功刀のステージだ。
功刀は甲斐の方を見ていない。ジッと、自分のつま先を見ている。
俺と鈴丘はそれを黙って見ていた。事の成り行きを静観する。
甲斐は動かない。逃げたり余計なことを言ったらどうなるのか、ちゃんと分かっているのだろう。わざわざビデオカメラ持って来てよかった。
しばらくの沈黙の後、功刀は話し始めた。
「甲斐君」
「あ?」
「無事で良かったわ」
「はあ?」
甲斐が間抜けな声を出す。鈴丘も驚いた様な顔をしていた。
「だって甲斐君、全然来ないんだもの。事故にあったのかもとか、事件に巻き込まれたのかもとか思っちゃったわ」
功刀は本当に良かったという風に言う。
まるで騙されたことなどなかったように。だが、彼女はここで一旦言葉を切った。
そして顔を上げ、まっすぐに甲斐を見つめる。さっきまでの弱々しい感じではない。まだ脆いままだが、その中に強さを感じる瞳だ。
そして顔を若干赤くし、
「私、甲斐君のこと、本当に好きだったわ」
その二度目の告白は、しかし一度目とは違う意味を持ってるように思えた。
「………………」
「本当に好きで好きでしょうがなくて、毎日見つめてドキドキしてた」
「………………」
「甲斐君にとって私はどうでもいい人かもしれないけど、私は全然そうじゃなくて……だから告白して、付き合おうって言われたとき、死んじゃうんじゃないかってくらい嬉しかった」
「………………」
甲斐は口を開かない。その表情から何を考えているのか、それは俺ごときには分からない。
だが先ほどまでの、ただ反抗するだけだった態度と同じではないように思えた。
「結局私は騙されてて……。甲斐君はそれが面白かったのかもしれない。それはなんとなく分かるわ」
「………………」
「私の独りよがりだけど、あなたに、私の気持ちは分かっていてほしいの」
言い切ると功刀は再びうつむいた。
今の功刀の言葉はどこまで甲斐に届いただろうか。それは分からない。
甲斐にはさっきまでいた仲間はいない。例えどれだけ甲斐が悪くとも、適当に茶化してバカ笑いしていた奴らはいないのだ。そいつらは甲斐の思考を妨げていた。バカ笑いすることでそれがいいことか悪いことかなど考えないようにしていたのだ。
あるいはそれは自分を正当化するための手段だったのかもしれない。ならば今の甲斐は自らを正当化する手段を持っていない。だから相手の言葉を飲み込んで噛み砕いて、思考することができるはずだ。自分が何をしたのかをしっかりと認識できるはずだ。
どれだけ一途で自分のことを想ってくれる子を裏切ったのか。そのあとどんな言葉を投げかけたのか。どんな姿を見せてしまったのか。
甲斐は比較的賢明な人間だ。自らに、正しい判定を下すことができるだろう。
まあそれで謝るかどうかは別だが。
と、甲斐が小さくため息をついた。
そのまま軽くそっぽを向いた。
「分かったよ。悪かったよ、俺が悪かった」
半ばふてくされたように言ったが、それでも自分から謝った。この意味は大きいだろう。
功刀に目だけでもういいのかと問うと、小さく頷き返してくる。ならば俺の目的もこれで達成だ。
***
戻ってみるとビデオカメラがなくなっていた……ということには幸いなっていなかった。何のロックもかけないで離れてしまったから大丈夫か心配だったのだ。
録画モードを終了、もしもの時のために動画は保存しておく。なんかあった時に使おう。それが終わってから片付け始める。
……あれ、スタンドってどうやってたたむんだ……?
俺がスタンド相手に苦戦を強いられていると、鈴丘がこっちに向かってくる。
「どういう心境の変化だったの?」
「別に心境に変化なんてない。俺のやりたいようにやっただけだ」
なぜ甲斐のしていたことを不快に感じたのか。そりゃあんな場面を見せられたら誰だって不快に感じるだろうが。相手を理不尽に罵り、蔑み、そしてそれを楽しむ。あの場面はいじめのそれとよく似ていたのだ。
俺はいじめが嫌いだ。それは常人が持ち合わせてる善心によるものだけではなく、経験則的な面もあるが、とにかく気に入らない。
そしていじめとは、ただ加害者をこらしめるだけでは意味がない。加害者に、自分がどれだけ酷いことをしていたのかを理解させ、反省させ、後悔させる。そして被害者に心からの謝罪をさせる。少なくとも、被害者が納得できるレベルでの謝罪をさせる。そうすることで、始めてある程度が解決する。少なくとも俺はそう思っている。だから俺は行動したのだ。ビデオカメラを持って来ていたことが功を奏し、予想よりも何倍も事が楽に進んだ。
「武藤君は、優しいの? 優しくないの?」
俺の返事を聞いた鈴丘は、考える仕草をとってからそんなことを聞いてくる。
「お前そういうこと聞くか? そういうのは自分じゃなくて、人が勝手に判断するものなんだって」
「私は今、その判断ができないから聞いてるんだよ」
俺の顔を覗いてくる彼女は、俺が誤魔化したり茶化したりするのを阻むようだった。その目から真剣であることが伝わってくる。俺にとっては他人の評価なんてどうでもいいんだが。まあいい。その問いの答えは最初から出ている。
「少なくとも、自分では優しくないと思ってる」
俺は自分のことしか考える事ができない。自分のやりたいようにやったことが、偶然優しいように見えただけにすぎない。そんなものは本物の優しさではないと思う。
「そっか……」
そう言う鈴丘はまだ納得いかない様子だった。
「武藤君。これは私が勝手に思って勝手に言うことだから気にしないでね。そんなこと言わなくても気にしないのかもしれないけど……」
「おう」
「自分のことしか考えてないのに人のために行動しちゃうのは、やっぱり優しいんだと思うよ」
「………………」
「さっきだって、私が甲斐君を殴ろうとしたの止めてくれたし。功刀さんも助けてあげてた。もしかしたら甲斐君も……」
「………………」
「だから私は武藤君は優しいと思います」
言って鈴丘はニコリと笑った。
確かに鈴丘の言っていることは正しいような気もする。ド正論とは思えないが、筋は通っていると思う。
だがそれは俺の考えとは正反対のものだ。
「だから、優しくねぇって」
「だから、私が勝手に思っただけって、言ったでしょ?」
今度は嬉しそうに、楽しそうに言う。
今ののどこにそんな要素あったろうか。
あ、スタンドってこうやってたたむのね。
やり方が分かれば早いもので、すぐにたたみ終える。カバンにしまうと立ち上がった。
「そういや功刀は?」
「あそこにいるよ」
視線を追うと、植え込みの横にポツンと立つポニーテールがいた。
ポケ〜と空中を眺めている。小さい頃の俺みたいでデジャヴ。
若干心ここに在らずに見えるが、少なくとも変に思いつめてはいなさそうだから一安心といったところか。
「功刀はお前に任せるわ。じゃあ俺帰るから」
「え? もう?」
「そもそも休日に外にいるのがおかしいんだよ。超イレギュラーだ。早く帰らないと祟られる」
「何によ……」
呆れたように言われる。
だが俺は気にせず回れ右して改札へと向かう。
長い午前だった。休日にあり得ないほど精神が疲労した。
「武藤君!」
不意に呼ばれる。呼んだ相手は分かってる。鈴丘だろう。仕方なく半身だけ振り返る。
「今日はいろいろありがとうね!」
すでにそこそこの距離ができていて、細かい表情までは確認できない。だがなんとなく、微笑をたたえているのだろうと思った。
ーーありがとう
それは本来、俺なんかに投げかけるべき言葉ではない。
だがまあ、今日は受け取っておこう。疲れたし。
俺は軽く手を上げると、改札を通った。
アドバイス、修正点、ここはもっと上手くできるはず、などあったら教えていただけるとありがたいです!




