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10 霧雨

 十時半。

 建物の陰から功刀を観察していると、気の毒な気持ちになってくる。

 待ち合わせの時間から三十分が過ぎたにも関わらず、相手はまだこの場に現れないのだ。

 だが彼女は甲斐に怒りを感じているわけではないだろう。今もスマホを捜査しているのだ。おそらく交通情報を調べているのだろう。

 しかし俺が先ほど確認したところ、鉄道にも道路にも大きな問題はなかった。だから甲斐は事故に巻き込まれたりしているわけではない。それは甲斐が来ない理由があいつ自身の事情や都合によるものということを意味する。

 それが分かっていて待つ功刀はいったいどんな気持ちなのか。彼女のことだ。多分まだ来ないのは甲斐の意思ではないと信じているだろう。もうすぐここに現れて、誤魔化すように笑ながら謝ってくれると、そう思っているのだろう。

 だが時計の針は無慈悲にも進んでいく。なにものをも意に介さないそれは個人の願いや心情など関係なく流れていく。

 十時五十分になった。


「あいつ、よく待ってられるな。俺だったら帰ってる」


「好きな人を待つんだからそんなものだと思うけど……」


 功刀はまだ待っていた。

 遠目から見ても不安がっているのが分かる。いつかの鬱ゾーンも微弱ながら発動していた。

 だがそれでも甲斐は来ない。

 電車も交通状況も異常はない。

 完全にすっぽかされている。

 多分甲斐は最初からデートをすっぽかすつもりだったのだろう。始めから来るつもりなどなかったのだ。

 おそらく、功刀のことも好きではない。

 甲斐がそうする理由は分からない。

 ただ一人にもモテたことのない俺が、モテ男の気持ちなんて分かるはずもない。

 そんな俺が何故すっぽかすつもりだと気がついたのか。

 それは昨日の一件がきっかけだった。

 甲斐は俺や鈴丘や功刀が思っていたような人間ではないのだろう。

 校外学習の時に感じた、甲斐の仮面の気配。昨日の甲斐はその仮面がほんのわずかだが外れていたのではないだろうか。

 功刀にアドレスと電話番号を教えていなかったことも、功刀とのデートについて反応が悪かったことも、好意的に解釈すればなんてことはない。ただちょっと忘れっぽいんだと思ったろう。

 だが、悪意的に解釈するなら。

 そのどちらも何かの理由があってのことであるなら。いくつかの推論はたてられる。

 その中で、一番可能性として高そうなものが、これだと考えたのだ。

 だから俺は、甲斐が全然来なくても、驚いたり焦ったりはしていない。

 ただ、やっぱりかという気持ちがあるだけだ。

 ふと顔を上げると、駅に設置された時計が目に入った。

 あと一分も経たないうちに十一時になる。


「十一時、だね……」


 鈴丘が残念そうに、功刀を見て、悲しそうになる。

 待ち合わせの時間から一時間遅れ。

 どんなに優しい奴だろうと激怒するほどの遅れだ。

 だが功刀は静かに待っている。

 これだけ待たされておいて、まだ帰らずに待っている。

 その表情はここからでは伺えないが、甲斐のことを心配しているように思えた。

 だが甲斐はどれだけ待っても来ないだろう。それが分かっているのに待たせるのはいかがなものかと考える。甲斐に裏切られていることを、言うべきか言わないべきか。


「はーい! 十一時すぎたぁーっ! 俺の勝ちぃぃぃっ!」


「うっわ、やられたぁっ!」


 その時唐突に、駅前のざわめきよりも一際大きい声が上がる。周りのことなど考えない、ただ、うるさいだけの声。

 何人かが聞こえてきた方向に目をやった。俺もそれらの視線を追う。

 そこには五人の男女がいた。

 男が三人に女が二人。いずれも髪を明るく脱色し、耳にはピアスをつけている。男たちに関しては腰パンは当たり前といった様子で、中にはジャラジャラとチェーンがついているのもあった。女の方も化粧が濃い。ケバケバとした印象で、鈴丘とは逆の印象を受ける。

 そんな印象的、悪い意味で目立つグループがそこにいた。

 そう然となる周囲。道行く人は皆驚いたような顔でそちらを見た。

 だが鈴丘や功刀を一番驚かせたのはそんなことじゃないだろう。

 そのグループには、甲斐がいたのだ。



 *功刀愛華視点*



 十一時になった。

 甲斐君はまだ来ない。

 事故にあったのかもしれない。そう思ってスマホで交通状況やその他もろもろを調べてみたけれど、特に際立ったことはなかった。

 心配だ。とにかく心配だ。

 けれどこういうとき、どうすればいいのかは分からなかった。だからひたすら待つことにした。寝坊して遅れたとか、平和な理由だと願って。


「はーい! 十一時すぎたぁーっ! 俺の勝ちぃぃぃっ!」


「うっわ、やられたぁっ!」


 突然大きな声がして顔を上げた。

 見ると男女五人のグループが少し離れたところにいる。

 髪を明るく脱色した、柄の悪そうな人たちだ。周りの人の事も考えずにはしゃいでいる。

 なるべく関わり合いにならないようにと、視線をそらそうとした。けれどできなかった。

 なぜならその中に甲斐君がいたから。

 瞬間、何か混み上がるものがあった。多分安堵したんだ。安心して、安心しすぎて、甲斐君がどうしてあんな人たちと一緒にいるのかなんて考えなかった。どうして楽しそうに話しているかなんて思わなかった。

 ただ、無事でよかったと思った。

 だから甲斐君が近づいて来て、次に言った言葉の意味を、私はすぐに理解できなかった。



 *武藤飛雄馬視点*



「あー、功刀サン。もう帰っていいよ」


 甲斐が功刀に言う。


「え?」


 そう漏らした功刀の表情は、何を言っているのか分からないといった様子だ。

 そんな功刀を見ながら、甲斐は笑いを押し殺しつつも言う。


「いや〜、なんか付き合うみたいに言ってたけどあれ嘘ね? 要するにちょっとしたいたずらってゆーか、いじりみたいなもんなんだよ。だからもう帰っていいよ?」


 シッシと追い払うように手を動かす。

 それを後ろで見ていた不良グループは何が面白いのかバカ笑いをする。


「え……? だって、甲斐君……え?」


「だから別に俺、お前のこと好きでもなんでもねーってこと」


「ギャハハッ。甲斐お前ハッキリ言い過ぎだって。結構可愛いじゃんこの子。俺に譲ってくれよ」


「あ、お前ズリぃぞ。ジャンケンで決めようぜジャンケンで」


「お、いいぜ。やろうやろう」


 そうしておもむろにジャンケンを始める。それを見ていたケバい女二人が、バカ笑いでそいつらを盛り上げる。

 俺の横では鈴丘は驚愕に目を見開いている。一方俺はかなり冷静だった。

 功刀はといえば、ようやく自分の置かれている状況に気がついたようだ。

 驚愕、悲しみ、怒り、恐怖。

 功刀が感じているのは概ねこんなところだろうか。

 話しかけることもできず、逃げることもできずに、立ち尽くしている。

 あるいはまだ甲斐を信じたがっているのかもしれない。学校での甲斐、彼女が知っていた、知っていると思っていた甲斐を。

 だが目の前にあるのは残酷な現実だけだ。

 外の世界の甲斐、彼女が知らなかった、知らないでいたかった甲斐だ。

 自分を正面から罵倒し、あまつさえおもちゃのように扱った男だ。

 堪えきれなくなったのか、涙が一雫落ちるのが見えた。

 次の瞬間には、動き出す奴がいる。


「あいつら……!」


挿絵(By みてみん)


 普段の落ち着いた、ゆっくりとした優しい声音からは考えられないような怒りの声。

 鈴丘は奴らの元へ行こうとする。

 だが、俺はその手をつかんだ。


「武藤君!?」


「一応聞いておく、何しに行くつもりだ?」


 鈴丘は怒りを保ったまま言う。


「止めてくる!」


「どうやって止めるつもりだ?」


「甲斐君に謝らせるの!」


「言って謝ってくれるわけないけどな」


 それに謝ってくれてもそれは心ない謝罪だ。何の意味もないだろう。


「でも……!」


「まあ落ち着け鈴丘、とりあえず俺に考えがある」


「考え?」


「ああ」


 俺はそう言ってからおもむろにワンショルダーのバッグを下ろす。

 チャックを開けるとビデオカメラとスタンドが顔をのぞかせる。家にあるものを持ってきたのだ。


「これで甲斐の本性を撮る。それをクラスのLINEに載せる。甲斐の評判はただ下がりだ」


 あの様子を見ていて不快になったのは俺も同じなのだ。だから今の状況を作り出した甲斐はこらしめなければいけない。

 甲斐はこの仮面の下を学校では隠したいのだろう。仮面をつけなくても良いと思ったら、そうしたはずなのだ。それなのにしなかったということは、学校では隠していたいということに他ならない。理由は分からないが、おおかた内申や部活に悪影響を及ぼすかもしれないからだろう。

 だから今の様子を撮り生徒に公開することは、甲斐にとって致命傷となり得る。


「なんでそんなに準備がいいの?」


「甲斐の色々な行動から予期してたからだ」


 何も行動だけではない。鈴丘の、『おもちゃを前にした犬のようだった』という発言もヒントになった。

 今、功刀をいじって楽しんでいる姿はまさに、おもちゃで遊んでいる犬だ。さすがにここまでくると鈴丘の観察眼も神眼レベルである。

 俺はスタンドをたてて、ビデオカメラを準備する。ピントを合わせていると、鈴丘が聞いてきた。


「確かにそれなら甲斐君をこらしめることはできるかもしれないよ。けど、功刀さんは? 功刀さんの気持ちはどうなるの?」


「は? 功刀の気持ち?」


「そう、功刀さんの気持ち。好きな人に裏切られて、悲しんでる功刀さんの気持ちだよ。そりゃ簡単に癒えるものじゃないけど、だけど武藤君が言った方法で甲斐君を功刀さんに謝らせることができる?」


 鈴丘はただその一点のみを追及してきた。

 盲点、ではあった。確かに重要なことに感じる。だが重要なこととは考えることができなかった。


「知らん。甲斐が今回のことを反省した頃に謝ってくるんじゃねぇの?」


「それじゃ意味ないじゃん!」


 鈴丘が声を荒げる。周りにいた何人かは驚いてこちらを見たが、俺は少しも動じなかった。


「人の考えなんて何か大きなことがないとすぐには変わらない。あいつが今回のことを本気で反省するにはある程度時間はかかるし、心のこもった謝罪なんてのはそのあとにくるもんだ」


「でも……でもそれじゃ功刀さんが……」


「功刀がどうした?」


「……功刀さんが、傷ついたまま何をするか分からないよ!」


 キッと睨みつけられる。

 鈴丘には珍しい表情だ。


「そこまできたら、もう俺は世話焼けない。俺はあの状況を見て不快だと思った。だからあの状況を作り出した甲斐をこらしめたいだけなんだ」


「なっ……」


 鈴丘が目を見開く。そして次には少し悲しそうな顔になった。


「それじゃあ、武藤君はそれを自分のためだけにやってるんだね」


「……ああ」


 功刀の気持ちとか、鈴丘の気持ちとかは考えていなかった。


「功刀さんのことなんて、どうでもいいんだね」


「……まあ、平たく言えばそうだな」


 俺が言うと、鈴丘は諦めたようにため息をついた。


「優しい人だと思ってた」


 冷たく、普段の鈴丘からは想像もできないような声音。

 その一言には、確かに拒絶の色が含まれていた。


「止めてくる」


 うつむきがちに言って俺から離れて行く。俺はそれを無言で見送った。


 ーー優しい人だと思ってた。


 その言葉は妙な重さを持っていた。それでも俺が冷静でいられるのは、それが印象の押し付けだからだろう。それ以前に、鈴丘が持っていた俺の印象なんてものに興味はない。

 いつからだっただろうか。全てに興味がなくなって、どうでもいいと思うようになったのは。クラスメイトも、今までにできた友達も、誰かの感情も、全てがどうでもいいのだ。もちろんいくつかの例外は存在するが。

 どうでもいいと感じてしまうと、それについては何も考えられなくなってしまった。

 だから俺は自分自身のことしか考えられないのだ。

 自分が損をしないように、したとしてもできる限りそれは小さくなるように。自分の気の済むように。自分が楽しいように。自分が楽なように。俺は今までそう動いてきた。

 幸い俺には人並みの善心があったようで、人の迷惑になることは気が咎めるのでやったこともなかったし、やろうとも思えなかった。

 だがそこまでだ。自分のことしか考えられない俺は、人のために行動することができない。

 だから、今俺がやろうとしていることは、俺にとっては当然のことなはずである。

 なのに何故だろうか。

 頭ではそう思うのに、なんとなく間違っていると感じるのだ。


「俺は、自分のことしか考えない」


 俺は確認するようにつぶやいた。



 *鈴丘可憐視点*



 私は、足早に武藤君のいる場所から遠ざかって行く。

 なんというか、少し泣きそうだった。

 武藤君は功刀さんの恋愛相談を本当に真面目に聞いていた。自分からアイデアを出したり、私や功刀さんのアイデアにダメ出ししたり。

 たまにエンタメな視点に立ちすぎてよく分からないことを言ったりしてた。けど武藤君の言うことはなるほどと思えるものばかりだった。全部一生懸命に考えているからこそ出てくる考えなんだと思った。

 そして私がそのことを優しいと言うと決まって彼は言っていた。


 ーー早く解放されたいからなだけだ。

 ーー俺は自分のことしか考えないっての。


 それは全部照れ隠しだと思ってた。

 それを聞くたびに、可愛いなとも思った。

 それを言われると、思わず頬が緩んだ。

 真面目で優しい面白い人だと思ってた。

 けど違ったみたい。

 照れ隠しだと思っていた言葉は単なる事実で、彼は功刀さんのことを少しも考えていないようだった。


 ーーは? 功刀の気持ち?

 ーー功刀がどうした?


 そう言った時の武藤君の目は、何の感情も持たないようだった。

 ただ私の言うことを受け入れ、だからなんだよという風な。全てどうでもいいといった風に見えた。

 そこにあるのは、ただ自分の考えだけで……。

 武藤君がなんでああなってしまったのかは分からない。それに多分、もう関わり合いになることもないかもしれない。

 さっき、酷いこと言っちゃったしなぁ……。

 あんなのは私の印象を押し付けただけだ。

 自分が見たことが全てじゃない。そんなことはとっくに学んでるはずだったのに。それでも言わずにいられなかった。

 その理由は分かってる。けどそれももう叶うものじゃないと思う。


「はあ……」


 私は小さくため息をついた。

 とにかく今は前を向こう。功刀さんを助けないといけない。

 私は気合を入れると、一歩踏み出した。

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