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2 ターコイズブルー

≪あの日誓った言葉が あたしの生きる道しるべでした≫





「ちょ、嘘でしょ?」

あたしは戸惑った上でわざとらしく笑ってみたものの、彼がじっとこっちを見つめているからには

「ごめん、」

と俯くしかなかった。

「ねえどういうこと? あたしまだ16歳だよ?」

「・・・絵真の父さんと母さんが昔、俺とお前の名前を書いた婚姻届を持ってたんだ」

パパとママが? あたしたちの婚姻届を?

一誠くんは淡々と喋り出す。きっと彼はもっと前からこの話を知っていたんだろう。


「俺の両親とお前の両親も仲良かっただろ。だから二人が亡くなる前、俺の家に持ってきてたんだよ。

 『一誠くんの名前も書いておいてくださいね』って」

確かにあたしたちは家族ぐるみの付き合いだった。

でも付き合いっていうか、ただの幼なじみだし、あたしはまだ4歳だったんだけど。

子供の頃の約束を親が信じた? まさか。

≪書いといてやろう≫くらいの親バカ的気持ちに違いないはずだ。

「そしたらお前の両親が亡くなって・・・お前はいなくなった。俺も俺の親もショックから立ち直るのに苦労した。で12年経って、俺の親が俺に言ったんだよ。『絵真ちゃんとの籍は入れてあるからね』って」


―――あたしの思考回路は停止しそうだった。

そんなバカな話があるわけない。

あたしの親も、それにこう言っちゃなんだが、藤堂家の親は律儀に約束を守りやがって!

「その時にはもう本当に俺と絵真、籍が入ってた」

と言って一誠くんは笑った。

笑える話なもんか、こんな話ドラマだけにしてほしい。

「というわけで――俺と絵真、本当に結婚しちゃったわけだ、はは。・・・絵真?」


あたしの・・・大好きな一誠くん。

昔は本当に本当に結婚してもいいって思ってた。

離れ離れになってからも一誠くんと会えなくて寂しくて、泣きまくって叔父さんや叔母さんに迷惑かけて。

あの約束だけは心の奥に引っかかってて、本当に実現したらいいなってそれだけを頼りに日々過ごしてた。

それが今、こんな風に叶って。

大好きな人と結ばれた。ずっとずっと会いたかった一誠くんと毎日いられるようになったってこと。

だけど・・・なんだか素直に喜べないよ・・・


「一誠くんは、もう忘れた?」

冗談でも嘘でも何言ったって取りとめのつくプロポーズ。

あの頃からあたしの時間はとまったまま。

「あのときと同じ・・・今も同じ気持ちでいる? あたしのことなんて忘れてなかった?」

「・・・絵真」



えま、いっせえくんのこと大好きだよ!

僕も。僕もえまちゃんだぁいすき。



幼い頃交わした約束。

亡くなったあたしのパパとママが、本当に叶うようにってあたしの代わりに守ってくれてた。

だけど今、12年もの歳月をおいてあたしの目の前に現れたのは、少し昔の面影が有るだけの人。

なかなか取れない小さな小さなトゲのように、彼のことが12年間一日も頭から離れたことはなかった。

―――一誠くん。

一誠くんが帰ってきたんだ。




と言っても彼は正真正銘のテレビ俳優だ(・・・らしい、の方が正しいか)。

どうしたものか・・・あたしはその人と結婚することになった、いや、もうしたのだ。

あたしは藤堂一誠――大須賀イッセーの妻となり、本物の藤堂絵真となったのだ。


「おはよ〜絵真、持ってきてくれた?」

教室に入るなり、友人はあたしにキラキラした目を輝かせて訊ねる。

「あ、あぁ持ってきた持ってきた」

昨日代わりに買った雑誌を鞄から出すと表紙に目がいった。

表紙いっぱいに映った大須賀イッセーの顔。

満面の笑みでシエナ色の瞳がきれいにくっきりと見える。

あたしの――旦那様・・・大好きな一誠くん。

「何? もしかして絵真もこの人に興味持った?」

「うっううん! はいこれ」

興味持ったもなにも、この人とあたしは―――夫婦。



「ただいま」

「おかえり〜」

今日から二人で暮らすということを忘れ、家に入って少し驚いた。

「あれ、一誠くん、お仕事は?」

「今日は休み。あさってから行く、映画の舞台挨拶だから」

一誠くんはとある雑誌のボーイグランプリに選ばれ、一年程前から役名をもらえる仕事をしてきたという。

「少しテレビに出たら絵真が思い出してくれるかなって考えたけど、そうもいかなかった」

あたしは苦笑した。

思い出したんじゃない。あたしはあのときから、多分ずっと・・・一誠くんのことしか頭になかった。

「絵真、明日一緒に出掛けない? 土曜日だから休みでしょ」

「明日?」

そうか・・・一緒にどこか行ったりするのも普通になるんだ。

これからずっとずうっとふたりで。人生を決められた人と歩くんだ。


「だからって・・・一誠くん」

「なに?」

「もーっ、なにじゃないでしょ! いくらなんでもね・・・」

水族館はまずいだろう。

「俺来てみたかったんだもん」

一誠くんは目深に帽子をかぶり、薄い色メガネをかけて『大須賀イッセー』と『藤堂一誠』の中間にいた。

24年生きてきたうちで一誠くんは水族館が初めてらしく、アーケード型の水槽から小さな水槽まで、わーとかうおーとか何これーとか言いながら見てまわっていた。

「イルカショー見ようよ、絵真、イルカ好きでしょ?」

「え? うん」

一誠くんはそう言うとあたしの手を引っ張って、ショー会場へ連れていった。


巨大な水槽の中で数頭のイルカたちが自由奔放に動き回り、係員の合図で飛び跳ねる。

水飛沫がこっちまで飛んできそうな迫力で、あたしたちは歓声をあげつづけた。

ショーが終わり、客席に座っていた人々が一斉に立ち上がって帰ろうとする。

「一誠くん、よく憶えてたね。あたしがイルカ好きだって」

「お前が水族館行った後は2,3日くらいイルカの話続いてたからな」

「やめてよもう、小さい頃の話なんだから」

「でも今だって変わってないだろ?」

そう言って微笑んだ一誠くんの笑顔に、あたしは子供の頃のままの心で大きく頷いた。


ショー会場を出た大水槽の前で一誠くんが、「ちょっと待ってて」とどこかへ行ったきり帰ってこない。

あたし一人を残して帰っちゃったのかしら。

それともファンに見つかって囲まれたりしてないよね?

まさか・・・

「ごめん絵真」

そうこう考えているうちに一誠くんが走ってくるのが見えた。

「どうしたの、びっくりしちゃった」

照明を落として薄暗くなった場所でこの水槽だけが浮かび上がるくらいに青く見える。

青の光りを顔に受けて、一誠くんはあたしに紙袋を手渡した。

「なに?」

訊ねると一誠くんは唇を上げてあたしに笑って見せる。

それを受け取って中身を取り出すと同時に、あたしは驚いて顔を上げた。


「イルカ・・・」


「悩んでたんだよどれにしようか・・・。とりあえず結婚祝い、な」

これを買いに行っていたんだ。

まるで海をそのまま纏ったかのように淡い青をしたイルカのぬいぐるみがきょろっとあたしを見つめている。

「一誠くん、あ、ありがとう」


一誠くんは照れくさそうに笑い、あたしの手を取って水の中の魚たちを見つめた。


やっぱりあの頃の一誠くんとなにも変わってない。

あたしこの、不器用な近所のお兄ちゃんに恋をしていた。

今もまだ、恋をしている。

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