3-4.鏡弥と遥
「一度でも負けたらこの大会からは手を引く。つまり、お前たちに負けたことで俺達の棄権が決定した。俺としては一応、感謝している」
そう言う鏡弥の表情は、鉄仮面でも被っているかのように相変わらずの硬いものだが、オレが「治療」を受けているわずかな時間で橘に「友人」と言われる程度に親しくなっている。それはすなわち、橘が鏡弥の事を、橘の友人としての唯一絶対の認定基準である「梓に害を与えない人間」だと認めたことになる。表情筋が仕事を放棄しているような鏡弥であるが、先程の言葉から察せられるように、この大会に出場するにも何かさしあたっての理由があったのかもしれない。
「つまり、鏡弥達は、この後の試合は全て棄権するってコトですね?」
改めてそう尋ねる橘に、鏡弥はただ頷く。
「アイツもいい加減理解っただろうしな……何せフィールドにいる俺ではなく、タワーにいる自分があそこまでの攻撃の標的になるって」
チラリ、と橘を見やる鏡弥に、そういえば、とオレは橘に詰め寄る。
「そう言えば、お前アレ何だったんだよ!? 一体どんな仕掛けで、」
「ごめんね兄さん、鏡弥。アレに関してはまだ種明かし出来ないんです。ほら、もしかしたら他の、残りの選手たちにバレたら応用されかねないし」
「……そうだな」
腕を組みながらそう締める鏡弥に、これ以上のサポートツールへの質問は終わりだと暗に諭されてしまう。橘の方も、やはりオレにも話す気はないらしく、涼しげな表情で自分の端末を弄っている――おそらく鏡弥と連絡先の交換でもしたのだろう。自分の弟ながら、日ごろ家に引き籠っている事が多いクセに無駄に高いコミュニケーション能力には脱帽する限りだ。
遥の意識が戻らないのをいいことに、すっかり話し込んでいると、壁で区切られただけの簡易な病室に足音が近づいてきた。ほぼ無意識に全員が緊張し、相手への警戒をする。
病室を訪れたのは、大会運営本部の看護師――の姿をしたハナハナだった。
運営本部の看護師たちは、皆ネームプレートの類を付けておらず、本名などの素性は分からないままだったが、凡庸的な白衣に身を包んでも、オレと橘が記憶していた淡いブラウンの髪と同じく淡い水色の瞳は、オレ達をこの大会に引きずり込んだ本人そのものだった。
「患者さん、まだ目が覚めないようですね」
「テメェやっぱり大会側の人間なんじゃねぇか!!」
「ちょっと兄さん落ち着いて」
しれっと遥の容態を確認するハナハナに激昂するオレ。そしてオレを制する橘。その光景にも、鏡弥は一瞬だけ驚いたように瞳を見開いただけで表情そのものは変化が無い。
「あの、違うんです。私はたまたま、あの人に看護師の人出が足りないからって……一応、免許も持ってるんですよ!?」
そう言うハナハナとオレ達の会話を、ただ見つめているだけの鏡弥。それに気付いたのか、ハナハナの方がオレ達に尋ねる。
「あの……あの方は確かこの患者さんのパートナーの方だったはずですが……その、大丈夫、なんでしょうか?」
「あぁ、それなら問題ありません。彼は僕達の協力者の方たちですので」
にっこりと答える橘に、オレはまた驚く。
鏡弥がオレ達の協力者になったって? えっ、オレ知らないけど!? 小一時間喋ってたけど、一切知らなかったけど!?
鏡弥の方を見ても、相変わらずの仏頂面で、全く反応が読めない。
「そう、ですか……それで、あの、調査の方は……?」
「現在進めている最中ですので。ご心配なさらずにお待ちください。何かわかればこちらからご連絡しますから」
そう言って縋り付きそうになっていた姿勢のハナハナを引き剥がすと、橘は彼女に職務に戻るように言い、病室から割と和やかに追い出した。
「……何だあの看護師は? でもって、俺がいつ何に協力するってコトになったんだ?」
ハナハナが去ってから、静かに尋ねる鏡弥に、オレはやっとさっきの橘の言葉が狂言だったことを知る。
「あぁ、すみません。彼女がさっき言った、僕達がこの大会に出ている理由の方です。まぁ、わかりやすく言ってしまうと依頼主なんですが。あ、このことは他言しないでもらえると」
「分かっている。そもそも、俺達にはその『他言』するような相手もいないがな」
「ありがとうございます。……兄さんもいつまでも睨んでいないで座ってください」
そう言われ、しぶしぶと、もと座っていた椅子に腰かける。……何だか納得がいかない。
「ていうか。お前、鏡弥にどこまで喋ったんだよ!?」
「え? まぁ、この依頼に関することはだいたいですかね」
「そうだな。俺達の探しているモノと、お前達の依頼に関するモノ、だいたい利害は一致していたからな」
「何してんだああああああああ!?」
しれっと答える二人に対して、オレは頭を抱える。一見冷静そうな風貌の二人だが、どこか抜けているようだ。何がとは言わないが、取り合えず何かが抜けている。
「俺は他言はしない。もとよりそんな相手もいないしな。それに、互いに利害も一致している。十分だろう?」
「彼らの探し物と、僕達の依頼、確かに関係はあるんですよ、兄さん。それに彼らは自分たちの知っている情報と引き換えに僕達の知っている事を話した礼にと、大会の期間中の護衛も引き受けてくれましたし」
いやいやいやいやいや。
何でもないことのように表情を変えない鏡弥と、眼鏡の奥でにこにことした表情を作っている橘。この際鏡弥は良い。なんかもういい。そうじゃなくて、今オレが糾弾すべきは実の弟である橘の方だ。
オレの知らない間にいつの間にか「戦闘屋」の友人を作り、その探し物の情報と引き換えにこれまで集めた情報を差出し、対価としてさらに護衛まで引き受けさせたという。情報交換の対価としては些か「もらい過ぎ」だ。おそらく鏡弥は、橘と交わしたものが、実際はこちら側に利の傾いたものであると気付いていないに違いない。
「それに、こちらの調査も、少しだけ、進展がありましたよ」
混乱しているオレに対して、何か小言を言う前の止めの様に、橘はそう言い放った。
「その前に、鏡弥と遥さんについてです。わかっている事を手短に確認しましょう。鏡弥、良いですか?」
「あぁ、構わない」
「ありがとうございます。それでは、まず、二人が……鏡弥が何故僕達の情報網に引っかかっていなかったのか、ですが」
突然の現状説明に入り出した橘に驚くが、そういえばコイツはいつもこうだった。何もかもが唐突のようで、全て橘の計画の通りに進んでいる。
「まず、彼らはこの大会を機にこの地方に移ってきたそうです。生まれは『シーナ地方』の外れだそうですが、育ちは転々としていたそうで。何かと目立ちやすい容姿のせいで、必然的に鏡弥は戦闘能力を上げざるを得なかった。そうですね?」
「あぁ。……だいぶ端折られているが、大方間違いない」
「そして、鏡弥と遥さんは、転々としながらも『ある人物』を探していたそうです。そして、その方は世界中の居住可能都市を巡っても未だ見つからない。そうですね?」
「あぁ……あの方はどの居住都市にも居なかった」
居住可能都市、というのは、現在オレ達が住んでいる「フラーヤ」という地域や、この大会が開かれている「ラインハルト市」のような地区の事だ。政府や電理研などの行政が監理している、合法的な居住地の事だ。
この国では、古き時代に『白黒戦争』というものがあったと神話で伝えられており、その戦争でそれまで人類が持ち続けてきた超高度文明は崩壊し、人間が居住できる区域が多く失われたとされている。白と黒に分かれて戦った英雄たちは、その痕跡を現代にいたるまで残し続けており、そのうちの一つが「居住可能都市」の存在だ。それ以外の地域では人間が安全に文化的に暮らしていけるという保証はされておらず、また都市から出ることも制限されている。その制限措置のうちの一つが、オレ達の持たされている「端末」だ。
現在では、限られた居住可能都市に住む人間たちが、これ以上居住できる地域を減らさないよう、各都市に戦争の禁止令が敷かれており、これを破った都市は他の都市からのいかなる制裁をも拒否することはできないとされている。そのきっかけとなったのが、西の方の「シーナ地方」にあったと言われる国家都市「シェール帝国」の反乱と崩壊だ。
これらの事は、義務付けられた初等教育の授業で、どの都市に住んでいる子どもにも等しく学ばされる内容のうちの一つだ。
「俺達の探している『あの方』さえいれば、国は滅びなかったかもしれない。ある占い師にそう言われて、俺達は当てもなくその人を探し続けている。路銀は旅の途中で商隊などの護衛などで日銭を稼いでいた。だから、この都市に来てからは、『戦闘屋』として稼ごうと思っていたのだが」
「遥さんが、どこからともなく、この大会についての情報を入れてきた、んですよね?」
「あぁ。この大会で優勝すれば、『あの方』に会えるかもしれないと、そう言われたそうだ」
「……遥はどこでそれを聞いてきたんだ?」
「それについては俺も何度も尋ねたんだが、要領を得なくてな……俺の予想では、大会の本部が絡んでいるのでは、と思っているが」
やはり、鏡弥達は、その装束が表す通りシーナ地方、それもかつて滅びたとされる帝国の出身だったのか。
そこまで聞いたところで、橘はオレの方に向き、言う。
「ね、兄さん。やっぱり鏡弥達の件と僕達の依頼。何か関連があると思いませんか?」
そう言う橘の瞳には、既に何かの確証を掴んだというような輝きが満ちていた。
現在公開可能な情報
居住可能都市:
古き時代に行われた『白黒戦争』でそれまで人類が持ち続けてきた超高度文明は崩壊し、人間が居住できる区域が多く失われたため政府や電理研などの行政が監理している、合法的な居住地の事。それ以外の地域では人間が安全に文化的に暮らしていけるという保証はされておらず、また都市から出ることも制限されている。『端末』もその制限措置のうちの一つである。
西に位置する「シーナ地方」にあったと言われる国家都市「シェール帝国」の反乱と崩壊をきっかけに、現在では、限られた居住可能都市に住む人間たちが、これ以上居住できる地域を減らさないよう、各都市に戦争の禁止令が敷かれており、これを破った都市は他の都市からのいかなる制裁をも拒否することはできないとされている。
以上の事は、義務付けられた初等教育の授業で、どの都市に住んでいる子どもにも等しく学ばされる内容のうちの一つである。
ジパング民主主義皇国:
梓と橘が生まれ育ち、現在に至るまで暮らしている国。他の国家からは「極東の島国」と呼ばれることも多い。首都「ジューニ」を始め、かつての『戦争』の『白の軍』の英雄の名称を所縁に持つ都市が多い。
保有している「国家指定居住可能都市」は、北の「ラインハルト」、東の首都「ジューニ」、西の「ガルトラ」、南の「アーテミカ」の四つ。其々に特色が有り、特に「ラインハルト」と「アーテミカ」は、本土から離れた島に位置するため、首都と比べると独自の文化が発展している。
国家全体を高い電脳技術力が支えており、この技術力なくてはジパングは『戦争』から復興することは出来なかったとさえ言われている世界屈指の技術国家である。
地名:
ラインハルト
・正式名称は「ラインハルト市」。「国家指定居住可能都市」の一つで、白軍の英雄ラインハルト公から取っている。
・国の中では最北部の都市。首都「ジューニ」からは陸が分断されているため、都市と言うよりはひとつの国に近い形態に近くなっている。
フラーヤ
・橘と梓が住居を構える地域。ラインハルト市の中では中心部よりもやや北に位置する。住宅も多いが露天商や市場も多いのが特徴。ラインハルト郊外の中では比較的治安は良い。