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恋愛して一番しあわせだと思った瞬間

作者: ぱーちく


私がまだセーラー服を着ててね、今よりもうんと胸がぺったんこだったときの話。



当時付き合ってた男の子、背が高くて、ゆっくり歩いてゆっくり喋る子だった。

その子とのデートは決まって公園のベンチに座って星を眺めることだったの。まだ中学生だったからどこか遠くに行くお金も勇気もなかったし、地元のショッピングセンターに行けば知り合いに会うでしょ?必ず。私もその子も、そういうのすきじゃなかったから、学校から少し歩いたところにある小さな橋の真ん中で待ち合わせして、一緒に帰って、途中にある公園で星を眺めてたくさんおしゃべりしたの。



黒い紙の上に金平糖を散らばらせたみたいな星空でね、すごく綺麗で、せつなくて。2人で綺麗だね、かなしくなるくらいだね、って言い合って、さびしくて。ああ別にひどくナイーブになっている雰囲気ではなかったのよ?でもね、確実に何かに憂いてて。



▽そこまで言って彼女はジントニックを一口飲む。



それでね、憂いてるんだけど私それが楽しくて、おかしくってずっと微笑んでたの。彼の、硬い学ランの裾を人差し指と親指で、こう塩をひとつまみするみたいに。

それでふっと、彼の横顔をね、見たの。そのときね、思ったの。




◆「幸せ」だって?


僕の問いに彼女はうっすら微笑んで、ゆったりと、でもはっきり首を横にふる。白い歯が、淡い赤色の唇から少しだけ見える。洗練された上品さ。

いつも思うけど、彼女のこういう仕草は本当に綺麗だ。




いいえ、違うの。嫉妬してくれてるのはうれしいけど、焦らないで、ゆっくり聞いて。確かに幸せだとは思った。でもね、一番ではないの。一番はこれから。




◆別に嫉妬なんかしてない。

そう言おうとして口を開きかけたけど、でもそれは肯定してるのと同じに思えたから、呑みこむことにした。ごっくん。僕は彼女の前では、できるだけ紳士でいたいのだ。常に余裕のある男。とくにこういう時にはなおさらだ。




それで‥ん、どこまで話したっけ?ああ、それで、その子の横顔を見たのね、そしたらね、頭の中にね、ぽんと、浮かんだのよ。その子が私と違う女の子と手を繋いで歩いている光景が。夕焼けに照らされて伸びる二つの影が。やわらかい風に揺れる女の子のポニーテイルと、笑ってる彼の右頬の笑窪。



▽彼女は僕の手を取って、僕の人さし指に自分の薬指を乗せてテーブルの上に円を描く。赤いマニキュアがオレンジ色の照明と混ざり合って光り、散っていく。銀色の光の鱗粉が僕たちの間をすり抜けていくみたいだ。



そのとき、私は思ったの。きっと私はこの人と近いうちに「お別れ」をする。この世に永遠なんて、永続なんてなくて、あるのは一瞬、鋭く輝く閃光だけで、「ずっと」なんてありえないんだなって。その子と私の関係だけじゃなくてね。私の存在そのもの、その子の輪郭、金平糖みたいな甘い輝きを放つ星たち、すれ違う風、胸に滲んでいくこの憂いも、全部。永遠ではないの。私はいつか、真横にいるこの人ではない体温を、やさしさを、愛する日が来て、そしてそれにも終わりが来るんだってこと。この憂いを忘れて次の朝を迎える。私がつまんでいる硬い学ランの裾は燃えて灰になってもう掴めない。なんて激しくかなしいことだと嘆きたかったけど、でもそのことに自分でも驚くほど納得しちゃってね。永続はこの世に存在しない。永遠はやさしい幻。



◆僕が鈍感なせいかもしれないけど、その悟りが恋愛して一番幸せだと思った瞬間と、どうつながるのか全く予想がつかないな。それはどちらかというと、しあわせではなくふしあわせだよね。一般的で平凡でつまんない意見だけど。




焦らないでって言ったじゃない。やっぱりあなた、嫉妬してるの?いつもはそんなに結論を急かさなし、そんなに感じないひとじゃないのにな。でも私そういうつまんないひねくれ方、すごくすきよ。チャーミング。


でもね、そうではないの。永遠がないって気づいた私は、すごくかなしかったけど、でも同時にもうひとつの発見をしたの。発見というより、それは半ば切実な祈りみたいなものだったんだけど。

もしかしたら、私がこの人の隣にいる瞬間はティンカーベルの鱗粉みたいなものなのかもしれない。永遠の欠片なんて大きくて、接着剤で簡単にくっつけられるものでなくて、はらはらと空を舞う銀色の粉。手ですくっても指の間から零れ落ちて、とてもじゃないけど集めることさえ不可能なの。気づいたときにははるか彼方へ、風とともにふわりと浮かんで消えていってしまうはかない粉。だけど美しく、たしかに私の一部だった大切な粉。



▽彼女は天井に向かって手をかざす。それからしばらくそれをじっと見つめて、またジントニックを一口飲む。




それをほんの一瞬でも与えてくれたのが、この人なんだとしたら。

それと同じものをこの人に与えたのが、私だとしたら。

それってなんて素敵なことなんだろう。

人に恋する、好きになる、愛し合う。

それはティンカーベルの鱗粉。


ロマンチックでしょ?中学生の私は、今よりずっと胸は小さくて、手足ばかり長く伸びていびつな子だったけど、けっこうロマンチストだったのよ。これでも詩人に憧れてた。



◆それが、恋愛して一番幸せだと思った瞬間?しかも中学生の時の話?高校生ぐらいかと思ったよ。君はロマンチストというより早熟だったんじゃない。それに‥今よりも胸がないんじゃよっぽどぺったんこだったんだね。


先ほどのチャーミング発言攻撃のせいもあって、すっかり落ち着きを捨て去ってしまった僕が最期にできる抵抗はこの程度だった。




▽彼女はお腹にてを当て声をあげて笑う。歌うように笑う声。

いつも思うけど、彼女の声は本当に綺麗だ。




◆恋愛して一番幸せだと思った瞬間について話したいの、あなたにどうしても聞いてほしいから、と言われて僕の心臓は何かが爆発したんじゃないか思うぐらいの大きな音を立て飛び跳ねて、あやうく咽頭から心臓を吐き出してしまいそうだったのに。プロポーズされた後に話してはならない話トップスリーに入るよ、それ。




トップスリーってことは、この話に匹敵するプロポーズされた後に話してはならない話があるのね。どんな話?聞かせてほしいな。




◆話してもいいけど、とりあえずプロポーズの返事を聞かせてほしいな。

気づいていると思うけど、さっきから手の震えと、貧乏ゆすりがとまらないんだ。




▽残りのジントニックを一気に飲み干して、彼女はため息をつく。



あなたは気づいていないと思うけど、私はもう、描いて、あなたに与えたわ。

私の愛の詰まった、ティンカーベルの鱗粉を。


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― 新着の感想 ―
[良い点] なんかおもしろかったです。彼女の口調と話しのスピード感がノルウェーの森に出てくるミドリに似てる!と勝手に思ってしまいました。失礼いたしました。
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