誠ちゃん。誉ちゃん。
次の日、学校に行っても真央の態度はいつもと全く変わりはなかった。
「おっはよー!佳絵!」
「お、おはよ。」
むしろ明るくなったようでもあった。
「どうした、どうした。元気が無いなぁ。」
「そう…?あ、の…アレよ!朝のニュース、見た…っ?近くに銀行強盗が出たって。」
「あぁ、アレね。見た見た。まだ捕まってないんでしょ?」
「だから…っ、ちょっと心配になっちゃって…っ。」
佳絵は真央に悟られないように必死に誤魔化したが、それが真央に見透かされていたのかどうかは、真央の表情からは読み取る事は出来なかった。
「そう、そうっ。ただでさえ真央ちゃんは可愛くてモテルんだから、そんな危険人物に見つかったら絶対誘拐されちゃうじゃん。」
いつから話を聞いていたのだろうか。小太郎が真央の肩に手を置きながらそう言った。
「危険人物はどっちだかっ。」
真央は小太郎の手をパッと払いながら、アッカンベーをした。
「でもさ、小太郎の冗談もシャレにならないよ。今の状況だと、人質を捕られる可能性がすごく高いから。気をつけた方がいい。」
誉は自分よりも幾分か背の高い小太郎の後ろからヒョコっと顔をだした。
そして真央を見た後小太郎をチラッとうざったそうに見やると、またすぐに視線を真央に戻した。
「やぁだ、誉ちゃんってば盗み聞きなんて最低よ〜!!」
小太郎はお得意の『お姉言葉』で喋りながら、冗談っぽく誉をどついた。
「やめろっ!気色悪い!!」
『おーい、席つけー!ホームルーム始めるぞー。』
(どうせ銀行強盗の話だぜ。そんな心配しなくっても大丈夫だっつーの。)
小太郎は面倒くさいといったような口ぶりでみんなに耳うちした。
案の定、ホームルームのほとんどが銀行強盗の話で、みんなも既に知っていたのだろう。大して驚く様子も無かった。
(真央ちゃんっ)
後ろから肩をトンッと叩かれ後ろを振り向くと、小太郎は真央に小さな紙を渡した。
佳絵にもらったのだろう、可愛い紙は小太郎の性格とは裏腹に綺麗に折りたたまれていた。
なんだかそれが、紙切れ一枚を重要な物のように感じさせた。
机の下でその紙を開くと、濃い字で『今日の放課後、話しがあるから裏門の前で待っててくれない?』と書いてあった。
その濃い簡単な字に、大きな重みが隠れている事に真央は気づいただろうか。
何の変わりもない平凡な毎日。
その日だって、そう。
勉強して、みんなで楽しくお喋りして、そう。
いつもと同じ日。
放課後になるまではあっという間だった。
裏門はもう閉鎖されて使われていないせいか、人気は全く感じられなかった。
その上すぐ隣に廃墟ビルがあるため、昼間でもみんな気味悪がって近づいたりしないのに、すっかり夕日が傾いたこの時間に、二人以外が来る訳はなかった。
「ごめんね、真央ちゃん。こんな所に呼び出したりしちゃって。」
「ううん、別に構わないけど、話って何?みんなの前じゃ言いづらいような事?」
「…ん、まぁね。」
小太郎は少し気まずそうに言った。
「真央ちゃんは今の誉の事、どう思ってる?」
いつもとは違う真剣な小太郎の眼差しに、真央は少しの不安を覚えた。
「どう…って言われても…。」
「『好き』なのか?」
「…どうかな、わからない。」
「それは、誠史ってやつとの婚約がまだ続いてるからか?」
小太郎のその一言を聞くとそれまで俯きかけていた真央の顔は上へと向き変わった。
瞳を揺らしながらパッと小太郎を見やる。
「どうして知ってるの?…とでもいいたそうな顔だな。佳絵ちゃんに聞いちまったんだ。聞かれたくないような話だったら謝るけど…ごめん。」
見上げるように顔を上げている真央に対し、今度は小太郎の顔がズンッと下に引き寄せられていた。
「気にしないで。わざわざ隠すような話でもないし、ね。」
「『誠史』の事好きだったんだろ?誉の事も…?」
「…誠ちゃんの事は、子供なりに本気で愛してた。この人と結婚するんだって、幸せになるんだって、信じてた。でも誠ちゃんが死んじゃって、悲しくて、悲しくて。…すごく辛かった。」
真央の声のトーンは明らかに落ちていた。
そしてそんな真央を、直視出来ないとでも言うように小太郎は真央から視線を逸らしていた。
真央も、遠い空を仰ぎ見ていた。
「誉ちゃんの事だけど…。最初に声を掛けた理由は誠ちゃんと同じ名前を持っていたからよ。性格や顔つきも、なんだか誠ちゃんに似ていて…。ひどいでしょう?最初から誉ちゃんの中に誠ちゃんを重ね見ていたの。」
「その『ちゃん』呼びもそうだったのか?」
「うん、なんだか誠ちゃんみたいに思えたから…。私、誠ちゃんへの悲しみが大きすぎたから、誠ちゃんの変わりが欲しかったの。ねぇ、本当は私の事『ひどい奴だ』って思ってるんでしょ?言ってもいいんだよ、私をさけずんでよ。責めてよ…っ。誠ちゃんが居ないのに私一人だけ幸せになんかなれないよ!!」
「真央ちゃ…っ」
真央は取り乱して拳で壁をダンッと叩きつけた。
白い肌にうっすらと血が滲む。
「誠ちゃんは居ないのに、何で私は生きてるの?!どうして笑えるの…っ?私を守って死んだ誠ちゃんのために私は何が出来る…―?」
真央は自分に怒りをぶつけるように、何度も何度も、壁に手を叩きつけた。
「やめろっ!!自分を傷つけるな…っ!」
小太郎は、傷だらけの真央の腕を掴み、壁から遠ざけた。
「私が…っ!私が死ねばよかったのにっ!!何で誠ちゃんが!何で…っ、誰も私を責めてくれないの…?」
― パンッ! ―
鋭い音がその場に響いた。
真央の左頬に痛々しい赤が差していた。
「『自分が死ねばよかった』なんて二度と口にすんな。お前を守って名誉を残した『奴』に失礼だ。…自分あんまり責めるな。真央ちゃんは何も悪くない。」
真央は驚いたように目を見開いていたが、左頬に手を当てると、悲しそうに顔を歪ませた。
「…うん、ごめんなさい。ごめ…っ、ひっ…―く。」
真央の赤くなった頬に、大粒の涙が止め処なく零れ落ちていった。