「まお。」
― 彼はもう…私を『まお』とは呼ばない ―
小鳥の可愛らしいさえずりが響く朝
「おはよう」
「…おはよぅ、ございます…」
誉が目を開けると、そこにはすでに真央が居た。
「冬月さん。まだ、朝早いのに…。学校は?」
「昨日『明日は朝から来るね』って言ったでしょ?」
「そりゃ…そうだけど。」
真央はせわしなく誉のベットまわりをパタパタと歩いていた。
よく見るとベットの横のテーブルの花瓶には花が挿してあったり、昨日は袋にグシャグシャに詰め込まれていた服達は、綺麗に畳まれていた。
「学校はね、今日はサボリ。でも明日と明後日は土曜と日曜でお休みでしょ。」
「月曜日からはどうすんの?」
「そうね、私もどうしようかなって思ってたんだけど、実は月曜日から金曜日は大祭りがあるから休みなのよねぇ。」
真央はそう言いながら服が収めてある袋から着替えをだした。
「もう夏だし汗かいたんじゃない?着替え、いるでしょ。」
「…あ、あぁ」
誉は躊躇いがちに真央の差し出す着替えに手を伸ばしたが、真央は手を放さなかった。
「ちょ…何やって…っ」
「着替え、手伝おうか?」
「手伝わんでいいっ―――!!」
顔を真っ赤に染めながら無理矢理真央から服を奪い取る誉を、真央はクスッと笑った。
「な、何がおかしいんだよ…っ」
「ううん…『おかしい』んじゃなくて、『嬉しい』の…っ」
(???)
そう言ってクスクスと笑う真央を誉は不思議そうに見ていたが、その目付きはなんだか優しかった。
「さっ、誉ちゃん早く着替えてね。パジャマも洗濯しておくから。」
「う、うん」
真央はカーテンを閉めたが、暫くして誉は隙間から顔をヒョイと出した。
「どうかした?」
「……覗くなよ」
「なっ、覗くわけないでしょっ、もうっ!さっさと着替えてよっ」
「ハハッ、冗談だよっ」
そう言いながら誉は笑っていたが、どこかいつもと笑い方が違ったように真央は感じた。
― 笑い方も、話し方も、私を呼ぶ名も…すべてが以前の彼とは違う ―
(でも…そう。悲しいんじゃなくて嬉しい。本当に嬉しかったんだよ。…記憶がないなんて感じさせないぐらいに普通に話せた事が…)
「何でそんな顔するの?」
いつのまに着替えを終えた誉が、カーテンを少し開けて真央の顔を見てそう言った。
「えっ…。」
「君は俺の何だった?どうして君は平気でいられる?…わからない・・・」
誉の真剣な眼差しが真央の中の記憶を呼び起こした。
「…俺のせいだ。真央は俺の下敷きになっちゃたから…。だから…―!」
「ごめん。助けられなくて…」
「傷、手当てするよ」
「…あぁ、そうだな。真央、ありがとう。」
「どうして私と踊る気になったのかなぁって。」
「…きっと真央だからだよ。」
「真央は、きっと一人で解決する。協力なんて必要としてないと思う。だから俺は何もしない。だ けど…、元気のない真央だけは見たくないから、はやく明るく元気ないつもの真央に戻れよ。 じゃあな。」
「…君、誰?」
「えっ?!何で泣いてんだよ…っ。おい…っ。」
― 『まお』 ―
「ね、約束してくれる?」
「何を?」
真央は今まで見たことのない最上級の笑顔で言った。
「この日の事、絶対に忘れないって。」
― この日の事、絶対に忘れないって ―
いつの間にか、真央の瞳からは大粒の涙が無防備に零れていた。
「…忘れないって約束したじゃない…〜っ。どうして?!どうして…私だけ忘れてるの…。あの日何て言おうとしてたの?……やっと自分の気持ちに素直になれると思ったのに…っ。今までの思い出は何だったの…?!」
「……―。」
誉は、泣き崩れる少女を目の前にして、何をすればいいのか。何て言ったらいいのか何てわからなかった。
「…ぁ。泣かないで…」
誉は涙を覆うように真央をギュッと抱きしめた。
「……っ!?」
「泣かないで…。わからない、わからないけど。貴方が泣いてると心が痛むんだ。悲しくなる。」
「誉ちゃん…」
「だから泣かないで…。泣かせてるのは俺だけど、でも。こんな気持ちは耐えられない」
「ごめんなさい…。今の貴方を責めるべきじゃなかったわ…。でも、今はもっとこうしていたい。ダメかしら…?」
「貴方が望むなら…」
二人は静かにかたく抱き合っていた。
恋愛感情なんてそんな事を考えてるわけじゃなかった。
(何故こんなにも貴方を愛おしく思うのだろう?何故こんなにも懐かしく感じるのだろう?何故こんなにも心が温かくなるのだろう…)