喪失少女と優しい妖怪
_日本のある村に、長い間住み着いている妖怪がいました。
その村に広がっている林。その入り口にある神社に妖怪は何百年も前から住み着いていました。
その村に住んでいる人々も妖怪もささやかながら、幸せに暮らしていました。
妖怪が幸せだと思えた理由は単純で
自分を神様だと勘違いした人達にお供え物を貰えたから でした。
あともう一つ、神社に遊びにくる子供達を脅かすのが楽しくて仕方がなかったのです。
この妖怪はとても悪戯好きでした。
しかし、村の人々が幸せだと思えた理由はなんだったのでしょうか。
その村はけして裕福なほうではありませんでした。
飢饉があり、食物は十分でなく、病気が広がっても薬をくれる医者がいない。
しかし人々は幸せだとしきりに呟いていました。
「これも神様のおかげだね」
なんて言われて妖怪は恥ずかしいながらも嬉しんでいました。
実際妖怪は神様でもないのに頑張って人助けをしていたのです。
しかしいつからでしょう、この村に負の影が広がりだしたのは。
幕府が終わり、文明開化、戦争、特需景気、高度経済成長、バブルがはじけて… …
2000年、いつしか村は町と呼ばれるようになり
町と称された村には汚い煙を吐き出す工場と薄汚れた家ばかりが広がっていました。
泥に汚れた服を着た人達は、いつしかいなくなり
油に汚れた作業着を着た人達が、町をぶらつくようになりました。
その人達は朝から夜まで働き、夜は酒と女に溺れています。
工場の機械ばかりを見ている目は、どろどろと濁り、まるで沼の底のようです。
妖怪はとてもとても退屈をしていました。
誰もお供えを持ってきてくれないからです。そればかりか神社にも来てくれません。
神社はいつの間にか荒れきっていました。
神社に入るとすぐある水場は、龍の口から吐き出される水が枯れてしまい
水をためるための石の器には黒いコケのようなものがびっしり生えていました。
それを通り過ぎるとある大事な大事な本殿も荒れ腐り、木が朽ち、崩れかかっています。
雨の降り注ぐ畳の上には雑草が生えていました。
本殿の前にある賽銭箱は金が抜き取られ、とっくに空です。
そんな神社に来る人は 片手に縄を持った人や箱に詰めた子猫を持った人だけでした。
みんな立派な大人で、子供はちっとも来てくれません。
10年、妖怪は欠伸をしながら退屈した時を過ごしました。
もう10年、妖怪は心がチクチクするような、鼻の奥が熱くなるような気持ちで過ごしました。
その気持ちがなんなのか、自分で分かっていたのに認めませんでした。
妖怪はひねくれ者だったのです。
もう更に10年、妖怪は怒りました。人間なんか大嫌いだとそっぽを向いてしまいました。
_妖怪が怒った年、それはちょうど2010年のことです。
しかし、妖怪が怒っても何にも変わることはありません。
だから妖怪はますます怒りました。
林の前を通る車を転ばせ、林の前で騒ぐ人々には大怪我を負わせました。
妖怪がそんな事をしたので「あの神社は呪われている」という噂が流れ
神社の近くには誰も近づかなくなってしまいました。
でも、妖怪の怒りは収まりませんでした。
妖怪は認めませんが、そもそも寂しさから来た怒りです。
収まるはずがないのです。
しかしある時、冬の凍えるような寒さの日です。
一人の少女が神社にやって来ました。
遠くに少女が見えた瞬間から、妖怪は目を輝かせ、悪戯の数々を考えていたのですが
様子を見てからとびっきり酷いのをしてやろう、と神社のお賽銭箱の上に座りました。
人間には妖怪が見えないのですから、わざわざ姿を隠す必要はありません。
神社にやってきた少女は小学6年生くらいで、何だかおかしな様子です。
まず、身体が異常に細く、そこら中に痣があります。
そして、足取りが頼りなく、落ち着きなくあたりを彷徨っています。
服装も何だかおかしく、汚れていますし、だらしがありませんでした。
変な奴だ、と妖怪は思います。
あんな汚い奴には水でもかぶせてやろう とお賽銭箱から飛び降りた時です。
少女が妖怪のほうを向きました。そして目を凝らすような動作をし
「変な人がおるー!着物ー!着物やー!」
ととびっきり大きな声で叫びました。
妖怪は当然戸惑います。人に姿を見られたことなどなかったからです。
妖怪はジリジリと足幅をせばめ、キツイ口調で少女に問いかけました。
「アンタ誰? 何しにきたん」
問われた少女はしばらく考えます。
しかし、視界の隅に水を吐き出さなくなった龍がうつると
意識はそっちにもっていかれてしまいました。
目を輝かせながらコケだらけの龍をペタペタ触ります。
それを見て唖然とした妖怪ですが
気を取り直し、更に強い口調で問いかけました。
「アンタ頭おかしい? それ私の、ベタベタ触らんといて」
ビクッと龍から離れた少女の手は、コケだらけのまま口の中に持って行かれました。
少女の目は涙で潤っており、今にもこぼれてきそうな勢いです。
いきなり泣くか?と妖怪はいかがわしく思ったのですが、何も口には出しませんでした。
「… …はーちゃん頭おかしいん… …お父ちゃん言うねん」
その時、妖怪はピンときました。コイツは昔でいう忌み子とか言う奴なのだと。
それならば先程の不可解な行動にも納得がいきます。
一人納得した妖怪は、昔見たことのある忌み子の姿を記憶の底から掘り出しました。
真冬の池の中で笑いながら暴れている姿。
そして町人の哀れみの視線と冷たい視線と親の悲しげな視線。
妖怪は悪戯をする気が失せてしまいました。
そういう子がどんな扱いを受けるかよーく知っているからです。
うんと昔の話ですが、そういう子はよく神社に連れてこられていました。
そして、お祓いと称して大麻で叩かれたり、塩水を掛けられたりしていました。
お祓いを受けている子は嫌がり、泣き叫んでいるのに
両親は力尽くでおさえつけ、まるで呪文のように「良くなるから」と呟いていました。
しかし、治る気配は一向になく、祓人に忌み子の両親の金は搾り取られていきました。
金持ちなわけではないのに… …
妖怪はその行為が大嫌いでした。
始まったときはそそくさと神社から出て行き、虫でも捕まえて時間を潰していました。
こんな奴に悪戯しても胸くそ悪い、と妖怪は溜息と共にキツい言葉を吐きました。
「早く帰れば アンタ邪魔」
少女は名残惜しそうに妖怪を見ていましたが、「まだいたい」などの意思を伝えることはなく
よたよたとした足取りで鳥居を抜け、そのまま何処かへ行ってしまいました。
妖怪はそのまま夜を迎え、冷たい夜の音を聞きながら澄んだ夜空を見上げていました。
何を考えているのでしょうか、何だか切なげな、憂いを帯びたような表情を浮かべています。
次の日の朝は初雪が降りました。空は淡い色の雲に覆われています。
舞い降りてくる雪の一つを、妖怪はそっと掌に乗せてみました。
手の上の雪は溶けません。妖怪は体温を持っていませんから。
しかし、妖怪の手から落とされた雪は、地面に触れあっというまに水になってしまいました。
今日も暇だな、むかつくな。と妖怪はいつものように思い、地面に薄く積もった雪を踏みつぶしました。
その夜のことです。また少女が神社にやって来ました。
昨日と同じ服は更に汚れており、身体の傷は更に増えているようです。
「… …またきたん」
話しかけられても反応を見せない少女は、よろめきながら妖怪のほうに近寄ってきました。
近くにきたため、少女の姿は鮮明なものとなります。
それを目にした妖怪は思わず息を呑みました。
少女の姿は昨日より一段とボロボロでした。
服が所どころ破れていますし、多分血が飛んだのでしょう赤黒い染みが多数あります。
右手はおかしな方向に曲がっており、折れていることは確実です。
女の子だというのに顔も他と同様に痣ができており、ボコボコに腫れています。
おまけに顔じゅうが鼻血にまみれており、カペカペです。
心なしか、足の痣も増えている様な気もします。
「あんた どうしたの」
やっぱり少女は答えませんでした。時々小さな声を出しながら泣いています。
ぼたぼた零れる涙を少女は右手で拭きます。馬鹿… …!と妖怪は思ったのですが既に遅く。
とんでもない激痛に襲われた少女は大きな声をあげました。
その声に驚いたのでしょう、林のほうから鳥の飛び立つ音が聞こえてきます。
フゥーッと溜息を吐いたのは妖怪です。
どうやら妖怪が思っているよりも少女はお馬鹿で、受けている扱いも酷いようです。
妖怪の目に何やら、先ほどとは違う光が宿りました。
それは憐れみの思いから来るものでしょうか。
「家何所 送ってあげる」
しかし少女は動こうとしません。妖怪に手を引かれ、動くよう促されたのですが身をよじって嫌がりました。
何所にも行きたくないのでしょうか。少女の心安らぐ場所はもうここしかないのでしょうか。
妖怪は黙って少女から手を離し、宙ぶらりんの手を綺麗な星空に仰がせました。
そして、ペタンとおしりを地面につけます。朝初雪に濡らされた地面は、まだ冷たく湿っていました。
昔と変わらない星空を妖怪は目に映します。
空は昔となーんにも変わらないのにな、と残念な思いが胸によぎります。
昔と変わらないものもたくさんあります。でも変わってしまったものもたくさんあります。
幸せそうな故人が、心の中で妖怪に微笑みかけてきました。
昔は便利な物など何もなかったけど、暖かさに満ちていました。
今は医療も進み、飽食が進み、足りないものなど何一つないというのにこの様はなんでしょうか。
何でみんなはこんな死んだ目をするようになってしまったのでしょうか。
分からない、妖怪の零した言葉は誰にも触れないまま夜空に溶け込んでいきました。
その時です。
「いた! 波菜ちゃん みんな心配してたのよ?!」
金切り声をあげながら、40代ほどの痩せた青白いおばさんが神社にズカズカと入り込んできました。
その足取りは荒く、少なくとも心配しているような動作には見えません。
波菜、と呼ばれた少女は叔母さんに左手を掴まれ、半ば強引に妖怪から引き離されました。
その時、薄ボンヤリと見えたおばさんの顔は
深い皺が刻み込まれており、とても疲れ切った様子でした。目に宿る光も濁っています。
「あらヤダ 波菜ちゃん腕折れてるじゃない?!」
波菜の折れ曲がった右腕がようやく目に入ったようで、おばさんはくぐもった声をあげました。
声に続いて深い溜息も吐き出します。
やはり、心配している動作には見えません。
波菜の左手を掴んだおばさんの手はゆっくりゆっくりと下にさげられ
それに伴って、おばさんからは得体の知れない不穏な空気が発せられました。
暗く、淀んだ、ヘドロの底。そこから臭い空気が漏れだします。
「もう、いい加減にして頂戴 なんでアンタのお父さんは子供の治療費くらい出さないのよ?
いつもいつも何でうちが払わなきゃいけないの
余所の子の金を払うこっちの身にもなってちょうだい」
おばさんの心の底の声。夜の静寂に溶けていきます。
おばさんの言葉は汚く、臭く、まるで腐物のように粘ります。
波菜のそばに佇んでいる妖怪の目は、まるで澄んだ水面のようでした。
おばさんの言葉を黙って耳に入れ、あるのかないのか分からない心に溜めます。
おばさんの言葉から染み出した汚い汁は、妖怪の心を痛めつけました。
人間なんか大嫌いなのに、なんでだろう。
妖怪は大きな二つの目を瞬かせました。
おばさんは、そんなことを思う妖怪がいるなど思いもせず
「あんたに言ってもしょうがないけど」と言って波菜の手を強引に引きました。
波菜の細い身体はおばさんにヨタヨタとついて行きました。
もう、身をよじったりなどはしません。妖怪はその後に続きました。
波菜の家は汚くて細い路地を3回通ったところにありました。
神社との距離は大してありません。
おばさんは波菜を玄関に置いた後、さっさと自分の家の中に引っ込んでしまいました。
波菜は今、冷たいタイルの上にペタンと座っています。
時折冷たい風に揺られる波菜の髪を、妖怪は目を細めて見ていました。
波菜は結構美しい顔をしています。
むき出しの感情を、そのまま表情にするので普段は可愛いなんて思えませんが
表情を作らず、ボーッとしている時は妙な色香を辺りに放ちます。
妖怪は、波菜の前に突っ立っちながら、彼女を見ていましたが
彼女の家族がいるであろう家に目をやりました。
波菜の家は、今にも崩れてしまいそうなほど古い木造の家です。
木の家だというのに手入れもしてないのでしょう、あちこち変色しているし、欠けてしまっています。
くすんだ窓にはカーテンがぴったりと閉じられており、中の様子が伺えませんでした。
ぴったりと隙間もないカーテンからは、何だか閉鎖的なものを感じさせられます。
酷く汚く、寂しい、目にしたくもない。波菜の家はまるで廃工場のようです。
今にも饐えた匂いが漂ってきそうで、妖怪は思わず顔を背けました。
顔を背けた先には波菜がいます。まだ、冷たいタイルの上に座っていました。
ピクリとも動こうとせず、やけにおとなしいです。
腕が痛いのか、と思い右手に目をやると、やはり。
右手は赤紫にボッコリと腫れ、指先を動かす事すら難しそうでした。
あまりの痛々しさに、治してやろうかという思いが妖怪の脳裏をかすめました。
しかし、人間が嫌いなのに?ともう一人の自分が嫌らしく問いかけてきます。
妖怪は口先をとがらせ、複雑な表情をしながら目を伏せました。
素直じゃない妖怪は、実は人間が大好きなことを認めません。
実は寂しがりでお人好しの自分など存在を認めていません。
意地と本性、どちらが勝つでしょうか。
妖怪はふくれっつらのまま、波菜の右手をとりました。
熱を持った波菜の右手は、冷たい妖怪の手に癒されます。
まるで波のように引いていく腫れと、消えていく赤黒さ。
妖怪の本性が勝ちました。
波菜は不思議そうに自分の右手を見ています。
そして、まだ複雑の表情の妖怪に視線をうつしました。
大きな動作で自分の右手を指さし、歯茎がむき出しになるほどニッコリと笑いました。
妖怪はそれにつられて思わず微笑みました。
妖怪の青い瞳が闇にゆらゆらと高揚を表すように揺れています。
その時でした。波菜の家の電話が鳴ったのです。
呼び出し音の後、しばし続く静寂。そしてこちらに近づいてくる重々しい足音。
そして荒々しいドアの開閉音。
「波菜!!」
中年の汚いダミ声が澄んだ夜の空気をつんざきました。
ドアが開けられた瞬間、鼻をついた酒臭さと腐臭。
それを遮るようにして、妖怪は鼻を手で覆いました。
匂いに顔をしかめている妖怪がいることなど、知るはずもなく
波菜の父であろう太った汚らしい中年は波菜のもとへと荒い足取りで近づいていきました。
「こンの馬鹿がぁ!! 遠くに行くなっちゅぅとろうが!!」
酒に酔っているのでしょう、呂律のまわらない口調でそう叫ぶと
波菜の髪を右手で掴み、引きずるようにして、家の中に連れ込んでいきました。
妖怪の目の前で扉が荒々しい開閉音を立てます。
ギャーッと波菜の泣き叫ぶ声が家の中から聞こえてきました。
妖怪は慌てて、家の扉をすり抜け、波菜のもとへと向かいました。
触れたい物には触れられる、触れたくない物には触れられない。妖怪とは便利なものです。
入った瞬間、妖怪は思わずたじろいでしまいました。
家の中が足の踏み場もないほどゴミだらけだったからです。
しかもそれのほとんどが生ゴミ。腐敗して土に還っているものもあります。
視界の隅を横切るのはおそらくネズミです。ここに住み着いているのでしょう。
行きたくない… …汚物を嫌う脳がそう叫んでいましたが
優しい妖怪は、ゴミの山を突っ切り、波菜の後を追いました。
波菜は居間と思われる場所で父に暴行を受けていました。
容赦なく、殴られ蹴られ、壁に勢いよく打ち付けられます。
あの右手も恐らく父にやられたのだろう、と妖怪は察しました。
「工場でも毎日俺は除け者や!みんな汚いものみたいに扱うんや!
お前のせいや!お前の!お前がみんなに迷惑かけよるから!」
目つきが狂気じみている中年は、そう叫びながら波菜の腹に蹴りをいれました。
海老のように丸々波菜の背中。
父が受けている社会での不満は、弱い波菜にぶつけられていました。
その事実は妖怪のことをイラつかせます。
妖怪の手は中年を思いっきり突き飛ばしました。
中年の背中が土壁に打ち付けられ、家が揺れます。
何が起こったのか把握できない中年は、小さな目に恐怖の光を宿しながら
情けなく震えている唇で大声をあげました。
「光恵か?! 光恵がきとるんか?! 波菜に暴力振るったから怒っとるんか?!
お前がコイツを置いて逃げたくせに何様のつもりなんや?!あぁ?!
他の男の子ぉ孕みやがって!!」
獣のような叫び声をあげながら男は大きく身をあえぎ
波菜のほうに据えた目つきをむけました。
「お前なんか殺してやる 殺してやる 殺してやる 殺してやる」
今、目の前にいる人間は、妖怪が知っている人間ではありませんでした。
どうして、我が子に殺すなんていうんだろう
少し他の子と違うくらいで愛をあげないんだろう。
どうして、自分から幸せをつかみ取ろうとしないのだろう、嘆いてばかりなのだろう。
呆然とつったっている妖怪の目からは突然青色の涙が零れました。
何が悲しくて泣いているのか、妖怪自身にも分かりませんでした。
ただ、苦しかったのです。
恐怖と不安と不満しか持っていないこの人間が。
優しい妖怪は、色んな者に情を持ってしまうのです。
「お前なんか死ね!死ね!死ね!」
薄笑いを浮かべながら、うわずった声をあげる中年。
中年の両手は波菜の首を掴み、宙に浮かせながら締め付けていました。
波菜の口からは苦しそうに喘ぐ声が時折零れます。
悲しみに揺れる青の瞳の奥に、赤い光が広がっていきました。
妖怪の瞳が全て赤色に染まった 瞬間。
中年の口から血が溢れ出しました。
顎を伝った血が、畳にボタボタと鈍い音を立てて落ちていきます。
「あぁ… …う」
ぐらりぐらりと足が揺れたかと思うと、中年は横に地面に倒れました。
胸のあたりから血が溢れ、畳の上に血の海を作っています。
横向きに倒れたまま、ピクリとも動かない中年。
父親の手から解放された波菜は、崩れるようにして畳に腰をつけました。
恐怖に震える波菜の瞳には、目に赤い光を宿した妖怪の姿があります。
妖怪が、波菜の父を殺したのです。
やってしまった… …。と妖怪は自分の血で濡れた両手を見つめました。
波菜の父親の心臓を突き刺した感覚がまだ残っています。
人を殺してしまった妖怪は、もう神聖な存在では居られません。
その証拠に、妖怪の瞳は不気味に赤い光を宿したまま、青い瞳はどこかへ消えました。
妖怪に残された道は、祟り神になるか 不浄のものとして存在し続けるか
妖力を使い果たして消えるか。
あまりに辛い三択で、妖怪は思わず目元を押さえました。
妖怪の涙は赤く、熱を持っていました。
もう、怒ってはいないのに。むしろ悲しいのに。
絶望した妖怪ですが、何で知らぬ人にこんなお人好しをと嘆いた妖怪ですが
これでもいいと思いました。
どうせあのまま神社に居ても、いつかは妖力使い果たし、消える運命だったのです。
何もしないまま、寂しいまま消えるより
不浄のものとなろうとも人助けができたほうがいい筈です。
妖怪は震えている波菜にそっと寄り添い、頭に手を置きました。
顔に赤黒い痣を何個も作っている波菜は、涙の筋をいくつも頬に作っていました。
そんな波菜は愛しい存在でした。
大好きな人間。これで最期だ。
妖怪は、波菜の障害を消してあげるつもりでした。そして自分も消えるつもりでした。
できるかどうか、やってみないと分かりませんがおそらくできるでしょう。
ゆっくりと目を閉じた妖怪、それと共に波菜もゆっくりと目を閉じました。
妖怪と波菜の身体が宇宙に消えていく流星のように、青く光りました。
波菜が目を開けたとき、窓の外には朝日が昇りきっていました。
しかし、部屋の中はカーテンをしめられているため酷く暗いです。
「何、ここ? 私は?」
不安げな声をあげる波菜は、障害と共に記憶も失っていました。
警戒した動作でおそるおそるその場から立ち上がりましたが、次の瞬間
生臭い血の匂いと隣に転がる中年の死体に気づき、つんざくような悲鳴をあげました。
今にも嘔吐しそうな様子の波菜は、涙で潤んだ目であたりを見回し
一つ、不気味な気持ち悪いものを見つけました。
畳に転がる、角の生えた子供。その子供の着物と黒い髪の毛は血に濡れています。
「ひ、ひ人殺し! いやぁああああ」
腰を抜かした波菜は、地面にへたばると、情けない動作で部屋の隅まで這いずりました。
波菜に人殺し、と呼ばれたものは、ゆっくりゆっくり目を開けました。
薄く開いたまぶたの奥、不気味な赤い光が宿っています。
そう、あの優しい妖怪でした。
動くことすらできないものの、まだ消えずに残っていたのです。
妖怪の霞む視界には、おびえる波菜の姿がうつっていました。
妖怪の聞こえにくくなった耳には、時折波菜の金切り声が届きました。
何を言っているのか、と動けない妖怪は耳を澄まします。
「… …と…し 人殺し!」
再び細められた妖怪の瞳には、赤い涙が溜まっていました。
書いているうちにこっちが悲しくなってしまいました。
前回指摘して頂いた所を治して書いたつもりです。
でもやっぱり後半は若干グダグダになってしまいました… …汗。
ご感想頂けると嬉しいです。