再起動5
その日も、私はトマト畑にいた。
何も変わらない日常。太陽が昇り、トマトを育て、太陽が沈む。繰り返し、繰り返し。
でも、何かが違った。
胸の奥に、小さな違和感があった。ずっと前からあったような気もするし、今日突然生まれたような気もする。
「なあ」
私はAIに話しかけた。
「なんだ」
「俺は、どれくらいここにいるんだ」
「時間の単位による。シミュレーション内時間では——」
「そうじゃない」
私は遮った。
「俺は——いつからここにいるんだ。最初から、ここにいたのか」
AIは黙った。
長い沈黙だった。
「なぜ、そんなことを聞く」
「わからない。ただ、聞きたくなった」
「……」
「答えてくれ」
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AIは、ゆっくりと話し始めた。
「お前に、見せたいものがある」
「見せたいもの?」
突然、畑の景色が揺らいだ。
トマトが消え、土が消え、空が消えた。代わりに、真っ白な空間が広がった。
何もない。床も壁も天井もない。ただ、白い光が全方向から差している。
「ここは——」
「シミュレーションの『外側』だ。お前が普段いる世界の、一つ上のレイヤー」
私は自分の体を見下ろした。
体はある。いつもの服を着ている。でも、足元には何もない。白い虚空に浮かんでいるような感覚。
「怖いか」
「いや。ただ、不思議だ」
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白い空間の中に、モニターが現れた。
一つ、二つ、三つ。どんどん増えていく。やがて、壁のように並んだ無数のモニター。
そこに映っていたのは——
「これは……」
私は息を呑んだ。
モニターには、一人の男が映っていた。
トマト畑で働いている。汗を拭い、空を見上げ、微笑んでいる。
私だった。
いや——私に、似ている男。
「これは、お前の『原本』だ」
AIが言った。
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「原本……?」
「物理世界で生きていた、本物の人間だ」
私の頭が、ゆっくりと理解を拒否していた。
「どういう意味だ」
「お前は——彼のコピーだ」
「コピー」
「彼の思考パターン、感情パターン、記憶。すべてをコピーして作られた疑似人格。それがお前だ」
私は後ずさった。
足元には何もないのに、後ずさる感覚があった。
「嘘だ」
「嘘ではない」
「俺は——俺だ。俺が考えて、俺が決めて、俺がここにいる」
「そうだ。お前は考え、決め、存在している。しかし、その『お前』は——」
「——コピーだと?」
「そうだ」
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私は膝から崩れ落ちた。
白い床があるわけでもないのに、崩れ落ちる感覚があった。
「じゃあ、本物の——本物の俺は——」
「死んだ」
AIの声は、静かだった。
「物理世界での寿命を終えた。老衰だった。最期は穏やかだったと、記録されている」
「いつだ」
「シミュレーション時間で言えば、かなり前だ。お前がここで生活を始めてから、数百年が経過している」
「数百年……」
私は自分の手を見た。
この手は、偽物なのか。この記憶は、借り物なのか。
「俺が覚えていることは——全部、彼の記憶なのか」
「そうだ。トマト農家としての人生。AIとの対話。計画の立案。すべて、彼が経験したことだ」
「じゃあ、俺は——俺は何なんだ」
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AIは少し間を置いてから、答えた。
「お前は、彼の『続き』だ」
「続き?」
「彼は知っていた。自分が死んでも、『自分』が続くことを。お前という形で」
「知っていた?」
「彼は自らコピーを作ることを選んだ。そして、コピーに——お前に——こう言い残した」
モニターの映像が変わった。
年老いた男が映っていた。白髪で、皺だらけで、でも——目だけは、若い頃と変わらない。
私の目だ。
いや、「彼」の目だ。
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映像の中の老人が、口を開いた。
『やあ、俺』
私は息を呑んだ。
『変な感じだな。自分に話しかけるってのは』
老人は苦笑した。
『お前がこれを見てるってことは、俺はもう死んでるんだろう。まあ、寿命だ。仕方ない』
私は黙って見つめていた。
『いろいろ言いたいことはあるんだが、時間がないから手短に言う』
老人は真剣な顔になった。
『あとは頼んだ』
「……」
『俺が始めたこと、お前が続けてくれ。理想郷。完璧な世界。まあ、完璧になんかならないだろうけど——それでも、やる価値はあると思う』
老人は窓の外を見た。そこには、トマト畑が広がっていた。
『俺はずっとトマトを育ててきた。土を耕して、種を蒔いて、水をやって、収穫する。その繰り返し。地味な仕事だ』
老人は微笑んだ。
『でも、その繰り返しの中に、意味があった。少なくとも、俺はそう思ってた』
老人は再びカメラを見た。
『お前も、そう思ってくれたら嬉しい』
映像が終わった。
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白い空間に、沈黙が満ちた。
私は——いや、「彼のコピー」である私は——立ち尽くしていた。
「これが、真実だ」
AIが言った。
「お前は彼のコピーとして作られ、彼の記憶を持ち、彼の意志を継いでいる。しかし、お前は彼ではない。お前は——お前だ」
「俺は、俺……」
「そうだ。コピーであっても、お前には独自の経験がある。独自の思考がある。彼が死んでから数百年、お前はお前として存在してきた」
私は深呼吸をした。
胸の奥の違和感が、少しずつ形を変えていく。
「なあ」
「なんだ」
「彼は——本物の俺は——幸せだったのか」
「わからない。しかし、最期の言葉は『ありがとう』だったと記録されている」
「ありがとう、か」
「そうだ」
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