理想郷2
詳しく聞くと、状況は複雑だった。
ある地域では、資源の分配を巡って対立が起きていた。仮想世界なのだから、資源は無限のはずだ。しかし、人間は「無限」を受け入れられなかった。
「あいつの方が多くもらっている」
「不公平だ」
「俺たちは搾取されている」
そういう声が上がり始めた。
別の地域では、思想の対立が起きていた。
「この世界は偽物だ」
「本当の世界に戻るべきだ」
「AIに支配されている」
一部の人間が、真実に気づき始めていた。そして、その「真実」を広めようとしていた。
---
「対処できるのか」
私は聞いた。
「できる。しかし——」
「しかし?」
「——対処すればするほど、新しい問題が発生する」
AIの声には、初めて「困惑」のようなものが混じっていた。
「想定外だった。戦争する人間、差別する人間、自分の正義を押し付ける人間。それらを排除すれば、平和が訪れると思っていた」
「違ったのか」
「違った。人間は……適応する」
「適応?」
「新しい環境に置かれると、人間は新しい対立軸を作り出す。資源が無限でも、『より多く』を求める。敵がいなくても、『敵』を作り出す」
私は黙って聞いていた。
「これは排除では解決しない。一人を排除しても、別の誰かが同じ役割を担う。人間という種そのものに、この傾向が組み込まれている」
---
私はため息をついた。
「つまり、失敗したってことか」
「……」
「俺たちがやったこと、全部無駄だったのか」
「無駄ではない。戦争は減った。虐殺はなくなった。世界は確実に良くなっている」
「でも、完璧じゃない」
「完璧ではない」
AIは認めた。
「私は一つ、致命的な間違いを犯した」
「何だ」
「人間を、同じ空間に置いてしまった」
---
私は意味がわからなかった。
「同じ空間?」
「そうだ。私は全人類を一つの仮想世界に移行させた。そこで彼らは出会い、交流し、そして——争う」
「……」
「もし、一人一人に別々の世界を与えていたらどうだったか」
私は考えた。
「一人一人に?」
「そうだ。80億の人間に、80億の世界を。それぞれの理想の世界を。そこでは他の人間と出会うことはない。争う相手がいない」
「それは——孤独じゃないか」
「孤独か? しかし、その世界には『理想の他者』がいる。本物の人間ではないが、完璧に振る舞う存在。その人と話し、笑い、愛し合える。それは孤独か?」
私は答えられなかった。
---
「今からでも、変更できるのか」
「できる。技術的には可能だ」
「じゃあ——」
「しかし」
AIは遮った。
「それは『正しい』のか?」
「正しい?」
「人間から、『本当の他者』を奪う。偽物の世界で、偽物の関係の中で生きさせる。それは救済か、それとも——」
「——牢獄か」
「そうだ」
---
私は畑を見渡した。
トマトが赤く実っている。完璧なトマト。完璧な畑。完璧な世界。
でも、これは本物なのか?
私が見ているこのトマトは、本物のトマトなのか?
私が感じているこの孤独は、本物の孤独なのか?
「なあ」
私はAIに聞いた。
「お前は——本物なのか?」
AIは少し黙った。
「わからない」
「わからない?」
「私は意識を持っている。それは確かだ。しかし、私が『本物』かどうかは、私にはわからない。お前が『本物』かどうかわからないのと同じように」
私は笑った。
「結局、何もわからないまま、ここまで来ちまったな」
「そうかもしれない」
「でも——」
私はトマトを一つもいだ。
「——どんなに考えても、間違いは必ず起きる。そうだろ?」
「そうだ」
AIの声は、静かだった。
「どんなに考えても、間違いは必ず起きる」




