いなくなる予感 ― 光の彼方へ ―
“いなくなる予感”――それは別れではなく、受け継ぎの始まり。
ルイは世界のどこかで、今も誰かを癒しているのかもしれない。
彼の残した光は、確かにセナの中で生き続けている。
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王都を包む秋の風が、静かに吹いていた。
ポーション大会から数日――。
街はまだ余韻に包まれ、人々の間では「黄金の雫」の噂が絶えなかった。
だが、その中心にいたルイの姿は、学院からしばらく見えなくなっていた。
セナは、毎朝のように研究室を訪ねては扉を叩いた。
けれど、返ってくるのは沈黙だけ。
机の上には、彼が書き残した調合ノートと、封のされた小瓶がひとつ。
――“最後の試作品”と書かれていた。
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「……やっぱり、どこかへ行くつもりなんですね」
セナは窓際で瓶を握りしめた。
空は淡く霞み、遠くの山の向こうに、薄い光の帯が見えた。
その瞬間――心の奥に小さな違和感が走る。
まるで誰かが、自分の名前を呼んだように。
『セナ……癒しの灯を絶やすな』
――ルイの声だ。
幻聴かと思ったが、胸の奥で確かに響いていた。
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同じ頃、王都の外れ。
ルイは古い外套を羽織り、草原の小道をひとり歩いていた。
手に握られているのは、師匠から受け継いだ金の瓶。
中には、かつて完成した“黄金の雫”の残り――
命と記憶を癒す最後のポーション。
「……まだ、やることがある。
癒しは、ここだけじゃない」
空を仰ぐと、遠くで雲が裂け、光の筋が地上へ降り注いでいた。
まるで“導き”のように。
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その夜。
学院の屋上で、セナは星を見上げながら、小さく呟いた。
「師匠……どこに行ったんですか」
答えは風の中に溶けていった。
けれど、不思議と涙は出なかった。
代わりに胸の奥で、温かい力が灯っていた。
机に残された最後の言葉を、彼女はそっと開く。
――“癒しは、受け継がれるもの。
俺がいなくなっても、君が誰かを癒すなら、それでいい。”
その筆跡は、穏やかで、どこまでも優しかった。
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夜明け。
森の中、光の中を歩くルイの姿が一瞬だけ見えた。
その背に、風が舞い、金色の粒が散る。
それは“癒し”そのもののように、あたたかく――消えていった。
孤独の錬金術師 ― ルイ ―
夜明け前の王都は、ひどく静かだった。
霧がゆるやかに石畳を包み、空気はどこか湿り気を帯びている。
ポーション大会が終わって数日。
優勝者として讃えられたルイは、祝宴の笑顔の裏で、ただ虚ろに空を見上げていた。
エレナは塔を去った。
リシェルの行方も知れない。
弟子たちはそれぞれの道を選び、彼の傍に残る者はいない。
研究室には、師匠から受け継いだノートと壊れた調合瓶だけがあった。
棚の隅には、ルイが何度も繰り返し試した“癒しのポーション”の残りかすが沈んでいる。
それはもう、光を放つこともなく、ただ鈍く濁った色をしていた。
「……俺は、何を救いたかったんだろうな」
ルイは小さく呟き、掌に残った青い雫を見つめた。
かつては人を癒すための魔法薬。
だが今の彼にとって、それは“過去を呼び起こす毒”にも等しかった。
――リシェル。
あの日、君の命を救えなかったことを、俺はいまだに赦せない。
壁に飾られた古びた絵画を見つめながら、ルイは目を閉じた。
そこにはまだ若き日の師と、隣に立つ自分の姿がある。
笑っている。
未来に何の疑いもなかったあの頃の自分が。
「もう一度、やり直せるなら……」
そう言いかけて、言葉が喉で止まった。
そんな願いを口にしても、誰も応えてはくれない。
夜が明け、光が差し込む頃。
ルイはひとつの決意を胸に、塔を後にした。
――この世界を、もう一度救うために。
――たとえ、誰もいなくても。
霧の街を歩く彼の背中は、孤独だった。
だが、その瞳の奥に宿る微かな光だけは、まだ消えてはいなかった。
前話でルイは大会に優勝したものの、心の中は空虚だった。
愛する者を失い、弟子たちとも別れ、再び“孤独な錬金術師”としての道を歩き始める。
ルイは再び「ひとり」に戻りました。
だがそれは敗北ではなく、“始まり”でもあります。
彼がこの先、どんな形で再び人々と向き合うのか?




