癒えぬ傷 ― 師と亡き妻の記憶 ―
助けられなかった…
焚き火の灯がゆらめく夜。
リシェルが眠りについたあと、師――アランは一人、炎の前に座っていた。
風に混じる草の匂いと、焦げた木の匂いが胸を締めつける。
あの夜の匂いと、同じだった。
「……君も、救えなかったんだ」
彼は呟いた。
誰に言うでもなく、ただ火に向かって。
十年前、アランには妻がいた。
名はセリア。ポーション学の研究者であり、彼にとって唯一無二の伴侶。
二人で貧しい村を巡り、傷病者を癒し、子どもたちに薬草の知識を教えた。
だが――戦が始まった。
王国の命令で、彼らの研究成果は軍用へと転用された。
「人を癒すための薬を、人を殺すために使う」
それに抵抗したセリアは、王の命で捕らえられ、毒を試され、命を落とした。
アランはその時、何もできなかった。
師としても、夫としても。
――“何も救えなかった”という言葉の重みを、彼はずっと背負っていた。
炎の中に、幻のようにセリアの笑顔が浮かぶ。
「アラン、あなたはそれでも癒しの人でいて」
最後に彼女が残した言葉。
だがその言葉が、今も彼を縛り続けている。
誰かを癒すたび、誰かを救うたび、彼は思い出してしまう。
「どうして、君を救えなかったのか」と。
その夜、焚き火の横で眠るリシェルが、うなされるように言葉を漏らした。
「……師匠……行かないで……」
アランはそっと立ち上がり、毛布をかけ直した。
その手は、少しだけ震えていた。
「行かないよ。今度こそ、誰も置いていかない」
火の粉が宙に舞い、夜空へと消えていく。
過去の痛みも、彼の心も、まだ癒えてはいない。
それでも――その傷を抱えたまま、彼は進む。
“癒せぬ傷を抱える者にしか、癒しはできない”
アランの胸に刻まれたその言葉が、再び彼を立ち上がらせるのだった。
アランの“癒し”の力の根源には、深い喪失があった。
救えなかった妻セリアの記憶が、彼を苦しめながらも突き動かしている。
次話では、リシェルがその過去を知り、彼女自身が「誰かを救いたい」と願う瞬間が描かれます――。




