何も救えなかった令嬢 ― そして、一滴の救い ―
歩き出す
朝霧の立ち込める森の奥で、彼はようやくその姿を見つけた。
倒木にもたれかかり、血に濡れたドレスをまとった王国令嬢――リシェル。
かつての気品も、輝きも、もうそこにはなかった。
彼女の瞳は乾ききり、焦点を結ぶことすらできない。
「……遅かったな、師匠」
その声は、風よりも儚く、痛みだけを残す。
王都での謀略、奪われた家、焼かれた屋敷。
全てを失った彼女は、たった一人、逃げてきた。
そして、道半ばで力尽きたのだ。
男は無言で膝をつき、背負っていた薬箱を開く。
震える指で、ひとつの瓶を取り出した。
――光を帯びた淡い緑の液体。
自らが調合した「再生のポーション」。
リシェルの唇に一滴を垂らすと、淡い輝きが傷口を覆い、微かに温もりが戻っていく。
「……どうして……」
彼女の瞳が、涙に濡れながら問いかけた。
「なぜ助けるの? わたし、何も守れなかったのに」
男は短く息を吐き、夜明けの空を見上げる。
「救えなかったのは、君だけじゃない。俺も同じだ」
その言葉は慰めではなく、真実だった。
弟子として、令嬢として、そして一人の人間として、彼女の痛みを分かち合うこと――
それが唯一、師にできる“救い”だった。
やがて、ポーションの光が消え、森に静寂が戻る。
彼女はまだ弱々しくも、確かに息をしていた。
「……ありがとう、師匠。もう一度……やり直せるかな」
「ポーションに限界はない。人間も、同じだ」
その言葉に、リシェルの唇がかすかに微笑んだ。
朝日が差し込み、森の露がきらめく。
それはまるで――
ひとしずくの救いが、再び彼女を生かしたようだった。
すべてを失い、何も救えなかったと思った少女。
だが、師の手に渡る一滴のポーションが、彼女の心に“再生”をもたらした。
次話では、リシェルが新たな道を歩き出す中、彼女を狙う王国の影が動き出します――。




