戦場のポーションと、約束の光
グレイン渓谷での戦いのさなか、ルイはひとりの人物の姿を見た。
それは、かつて彼にポーション作りを教えてくれた――師匠、マリアンヌ。
だが、彼女は今、敵軍の“錬金術部隊”を率いていた。
その瞳にはかつての優しさはなく、ただ冷たい決意の光だけが宿っていた。
「ルイ……お前はまだ、“救える”なんて言葉を信じているの?」
再会の喜びは、戦場の現実にかき消される。
癒しと破壊、師と弟子。
二つの“錬金術”が、運命の炎の中で交差する――。
夜明けの空が赤く染まり始めた。
グレイン渓谷の谷底には、燃えるような煙が立ちこめている。
ルイは崩れた岩の陰で、仲間たちの傷を癒していた。
血と汗、薬草の香り、そして鉄の匂い――戦場の匂いは、彼にとって今も慣れないものだった。
「ルイ! 後方から敵の増援だ!」
レオンの声に振り向いた瞬間、轟音と共に地面が爆ぜた。
煙の中から姿を現したのは、白銀のローブを纏う一人の女性。
その手には、見覚えのある蒼い瓶が握られていた。
「……まさか」
ルイの胸が、凍りつく。
彼女はゆっくりと顔を上げた。
淡い金髪が風に揺れ、灰色の瞳がルイを見つめる。
「久しいわね、ルイ。あなた、まだそんな“理想”を追ってるの?」
その声に、ルイの時間が止まった。
――マリアンヌ。
かつて彼に薬作りの全てを教えた師。
彼女の手ほどきがなければ、今の自分は存在しない。
「師匠……どうして、あなたがここに?」
「どうして? 簡単なことよ。あの王国が見捨てた命を、私は救いたいと思ったの」
マリアンヌは静かに微笑んだ。
だがその笑みは、優しさではなく、諦めの果てにある冷たいものだった。
「救うために戦うのですか?」
「ええ。救うために、壊すのよ。
――お前が癒す命の陰で、誰かが見捨てられる。それを、まだ見えないの?」
言葉が、刃のようにルイの胸に突き刺さった。
確かに、彼は知っている。
自分のポーションで救えなかった人々がいたことを。
選べなかった命、届かなかった声――それらを、夜ごと夢に見てきた。
「……それでも僕は、諦めません」
ルイは震える手で瓶を握りしめた。
「救えない命があるとしても、それでも“誰か”を癒せるなら、僕は作り続けます」
マリアンヌの目がわずかに揺れた。
「……あの頃と、変わらないわね。甘い子」
彼女の周囲に、紫色の魔法陣が浮かび上がる。
錬金術によって作り出された“腐蝕の霧”が辺りを包み、地面の草木が枯れていく。
レオンたちが叫び声を上げる。
「ルイ、退け! これはただの毒じゃない!」
しかしルイは動かなかった。
彼は一歩、師の方へ進み出る。
「師匠……あなたも、本当は救いたいはずだ」
「黙りなさい!」
マリアンヌの声が震えた。
霧が爆ぜ、光が散る。その中で、彼女の瞳から一粒の涙が零れた。
「私は……救えなかったの。
あの時、王都でポーションを訴えても、誰も助けてくれなかった。
だから私は、この力を壊すために使うと決めたのよ」
ルイは静かに目を閉じた。
「じゃあ、あなたの代わりに僕が救います。
あなたが諦めた希望を、僕が拾います」
言葉と共に、彼は自らの瓶を割った。
瓶から溢れた蒼い光が、霧を押し返し、マリアンヌの体を包む。
その光は穏やかで、どこか懐かしい香りがした。
マリアンヌは膝をつき、震える声で呟いた。
「……馬鹿な子。あなた、本当に私の弟子ね」
「ええ。あなたの教えた“癒し”を、僕は忘れません」
ルイの声が、夜明けの風に溶けていく。
霧が晴れ、朝日が二人を照らした。
戦場の喧騒が遠のき、残されたのは静かな息づかいだけ。
マリアンヌは最後に小さく微笑んだ。
「ルイ……いつか、この世界が癒える日が来るなら、その時こそ、私の罪も溶けるでしょうね」
「ええ、必ず」
ルイが頷くと、光が彼女を包み、ゆっくりと消えていった。
残されたルイの手の中には、ひとしずくの透明な液体――
それは、師の涙が結晶になった“約束のポーション”だった。
ルイはそれを胸に抱き、仲間たちのもとへ戻った。
そして静かに、朝日に向かって呟いた。
「僕は、あなたの教えを生きる。
癒しは、誰かの絶望の上に咲く花じゃない。
――希望そのものなんだ」
風が吹き抜け、戦場の空が澄み渡っていった。
今回の章では、ルイの過去が深く描かれます。
彼の“ポーション作りの原点”であり、“迷いの象徴”でもあるマリアンヌ師匠との再会。
彼女は、かつて命を救えなかった経験から「救済」という概念そのものを否定した人物。
対するルイは、「それでも救いたい」と信じ続けてきた青年。
二人の思想の衝突は、戦い以上に激しく、痛ましい。
――だが、憎しみの底には、確かに弟子への愛が残っていた。
静かな涙と赦しへ向かう、運命の一章です。




