第4話 災厄の翼
何かがひび割れるような、不穏な音がした。
視線を向けると、窪地の中央に何かがある。
石のように見えたが、違う。アレンは吸い寄せられるようにそれに近づいた。
窪地の中央にそびえるそれは、規則性のない多面体を成していた。
四角形、三角形、五角形――さまざまな面が不均一に組み合わさり、見る角度ごとに形を変える不思議な造形をしている。
表面は冷たく硬いが、完全に滑らかではなく、微細な亀裂や凹凸が陰影を落としていた。
灰色に沈んだ色合いは光を放たず、しかしただの石ではないことを告げている。
内部にはわずかに白銀の縞が走り、遠目に竜の輪郭を彷彿とさせた。
まるでその中に、眠る存在の息づかいが封じられているかのようだ。
その微かな揺らぎとわずかな低音が、竜が息をしているかのように感じられ、見つめる者の心拍を乱す。
大地に静かに佇む石からは、安らぎと緊張が入り混じった重い空気が漂う。
リュミナの想いが込められた封印石──竜を傷つけることなく眠らせ、世界を護るための最後の盾。
その神秘的な佇まいは、見つめる者の心に、恐怖と希望の両方を押しつけた。
「本当に、ここに竜が…?」
アレンが無意識に手を伸ばそうとした、その時だった。
鎮座する封印の石が、突然、軋むような音を立てて亀裂を走らせた。
黒ずんだ瘴気の中で、結晶はまるで生き物のように微かに揺れる。
「……何だ、あれ……?」
ジークの声がかすれ、青白い顔に戦慄が走る。
アレンはジークの視線の先を追った。
封印石の亀裂から瘴気が噴き出し、窪地の空気をねっとりと覆い尽くした。
瞬間、轟音とともに黒い影が地を裂くように立ち上がった。
大地の裂け目から這い出てきたのは、伝承に描かれた“災厄の竜”そのものだった。
翼は漆黒で、爛れた皮膚から瘴気を滴らせ、見るだけで嫌悪感を抱かせる。
巨体は捻じ曲がるように動き、地面を踏み砕きながらゆっくりと立ち上がる。
その瞳には理性の光がなく、どこまでも窪んで暗く、ただ荒ぶる瘴気の奔流を吐き散らしていた。
周囲の動きが異様に遅く感じられ、体は重く、呼吸さえも忘れそうになる。
視界の端に映る仲間の緊張すら、引き延ばされた時間の中で鮮明に見える。
「……あれが、この世界を滅ぼす元凶だ」
イゼリアが蒼白になり、声を漏らす。
周囲に漂う瘴気は、もはや黒を通り越して光さえのみこむ漆黒だった。
アレンは息を飲む。
リュミナの言葉と目の前の光景が、脳内で矛盾し合う。
竜は守る存在のはずなのに、この姿は破壊そのものだ――信じたくても信じられない。
仲間たちは硬直したように立ちすくむ。
瘴気の重みに体が思うように動かない。
イゼリアもナッシュも、ジークも、フィオナも。
視線は竜に釘付けになり、手に握る武器を動かすことすらできない。
瘴気の重さと、目の前に現れた異形の姿に、心臓だけが耳に届くほど激しく打つ。
瞬間、瘴気の嵐が窪地を一気に吹き抜け、彼らの髪や衣服を巻き込んだ。
仲間たちは直感した――今、迷っている暇などない。
竜を倒さなければ、世界は滅ぶ。
アレンは手を握りしめ、心の中でリュミナの声を反芻する。
正しいかどうかなどもう、考えている時間はない。
目の前の現実は、抗うことを許さず、ただ一つの決断を突きつけてきた。
竜を止める――それだけが、残された唯一の道だ。




