第1話 瘴気渦巻く禁域
エルヴァント峰を、黙々と登っていた。
かつては礼拝者が足を運んだと伝わる巡礼の道も、今は荒れ果て、ただの獣道のようになっている。
崩れた石畳の隙間からは黒ずんだ草が顔を出し、触れれば粉のように崩れ落ちた。
頭上には漆黒の雲がのしかかるように広がり、陽光をすべて飲み込んでいる。
昼であるはずなのに、世界は黄昏の闇に沈み、瘴気が霧のように押し寄せてきた。
風は止み、ただ淀んだ空気だけが重く沈む。
吸い込む息ごと胸を締め上げ、肺に刺さるような痛みを残す。
全身を押し潰す重圧、まさに死の地そのものだった。
アレンは一歩ごとに足が深い泥に沈んでいくような感覚を覚えた。
周囲を見れば、草木は色を失い、灰に覆われたように黒ずんでいた。
石までもが死んだように冷たく、まるで山全体が死を纏い、侵入者を拒んでいるかのようだった。
「……っ」
ジークが口元を押さえる。
吐き気を堪えるように、深く息を吐き出した。
ナッシュはふらりと膝をつき、しばし動けなくなる。
肩が大きく上下していた。
「……頭が……」
イゼリアは額を押さえ、苦悶を隠さなかった。
眉間に深い皺を寄せ、よろめく。
フィオナが咄嗟に浄化しようとする。だが、イゼリアがそれを止める。
彼らの姿を見ながら、アレンは違和感を覚えていた。
自分も瘴気を浴びているはずなのに、胸の奥にわずかな重みを感じる程度で、仲間のような苦痛はない。
足も動くし、呼吸もできる。
胸に暖かい感覚が広がり、歩を進める力を生むように思えた。
「ここは……人の踏み入る場所ではない」
イゼリアの低い声が響く。
誰も言葉を返さなかった。
その静寂は、ただの同意だけではなく、消えぬ哀しみの影をも孕んでいた。
ダリオスがここにいたら――胸の奥が軋むように痛んだ。
「……アレン」
沈黙を破ったのは、ジークだった。
苦しげな顔でこちらを見やり、わずかに目を細める。
「お前……少し、光って見える」
「え……?」
アレンは思わず自分の手を見下ろした。
だが、何も感じられない。
「フィオナもだ」
イゼリアが付け加える。
フィオナは驚いたように瞬きをし、胸に手を当てる。
二人は互いに顔を見合わせたが、実感はなかった。
ただ、仲間の目には、瘴気の闇を押し返すような淡い光が映っているようだった。
「フィオナなら……わかる。浄化の力が、瘴気に抗っているんだろう」
ナッシュが静かに言葉を探しながら続ける。
「だがアレン……お前は、フィオナの力と特別に結びついているのかもしれない」
アレンは返せなかった。
自分でも理由はわからない。
ただ胸の奥で確かに灯っている温もりがある。
それはダリオスに剣を託されたときに芽生えたものかもしれなかった。
ジークはしばらく目を閉じ、深く息を吐いた。
「これより瘴気が、酷くなったら……先に進めるのは、お前とフィオナだけだ」
その声は硬く、だが揺るぎなかった。
哀しみを滲ませていたが、同時に託す覚悟でもあった。
誰も反論はしなかった。
最終的に先に進めるのは二人しかいない――皆がそう理解していたからだ。
アレンは目を伏せ、強く拳を握った。




