第5話 命の代償
「これが……世界を救うための要だと?」
ダリオスの低い声が響く。
アレンははっとして振り返った。
ダリオスがゆっくりとアレンたちの方へ歩いてくる。
その後ろには、ダリオスと戦っていた敵が倒れている。
マグナ・オルビスが唸りを上げた。
黒い瘴気が奔流となり、天を貫くように吹き荒れる。
放っておけば、ほんの数息で全てを呑み込みそうだった。
吹き飛ばされ、地面に尻を打ちつけながらも、ヴァルセリオが荒んだ顔で叫び返す。
「私が間違っていると?貴方たちも、私が間違っているというのか!」
「――理想を人に説くには説得力がいる。説得力のない理想は、ただの妄言だ」
ダリオスの声は怒号ではなかった。
だが、揺るぎない刃のように鋭い。
ほんの一瞬、ヴァルセリオの瞳が恐怖に揺らぐ。
しかしすぐに、己の頑なさでそれを塗り潰した。
「私の命すら、救済のための一片に過ぎません!砕け散ろうとも構わない!」
勝ち誇ったように、ヴァルセリオが言った。
「私が消えた後のことなど……知りません。救いさえあれば……誰かが、生き残れるなら……それで……」
ダリオスは静かに息を吐いた。
ヴァルセリオの瞳を一瞥し、通り越すダリオス。
その眼差しは、既にヴァルセリオではなく、仲間たちへと向いている。
「――時間は残されていない。誰かがここで終わらせねばならない」
アレンが息を呑む。
「師匠……?」
「お前たちは未来を背負え。俺は、過去を終わらせる」
その言葉に、全員の時が止まった。
かつてナッシュが断った禍々しい欠片の爆発が脳裏をよぎる――そしてこの瘴気の奔流は、それ以上の禍を孕んでいる
フィオナの肩が震える。
ダリオスは優しく微笑んだ。
「お前は優しい子だ。だからこそ、その祈りを絶やすな。きっと誰かの力になる」
ナッシュに目を向ける。
「仲間を見捨てるな。支え合って歩けば、お前らは俺なんかよりずっと強くなれる」
そして、遅れて敵を倒し、駆け寄るイゼリアに短く告げた。
「お前には、まだ語るべき物語が残っている。生きろ」
続いてアレンを見据える。
その瞳には、父としての温かさと、師としての厳しさが同居していた。
「俺の願いはな……お前が生き延びて、大切なものを守れる男になることだった。……もう、それは叶った。だからこれからは――お前の望む道を歩んでいけ」
息が詰まる。
手の震えを必死に押さえ、剣を握りしめ、ゆっくりと頭を振った。
「……そんなの、俺はまだ……まだ全然……!」
アレンは嗄れ声で、喉を絞るように叫んだ。
ダリオスの微笑が、視界の中で歪む。
「師匠がいなきゃ、俺はここまで来られなかった!夢を選べだなんて、勝手に言って……っ!」
アレンの隣に誰かが立った。
アレンの腕に添えられた手は、強くその袖を握りしめる。
フィオナだった。
最後に、ダリオスはジークに目を向ける。
「お前は昔から口ばっかりで……だが、誰より仲間を思ってることも知ってる。これからもアレンを支えてやれ。あいつは真っ直ぐすぎるからな。……ま、口うるさい兄貴分くらいには、もうなれてるんじゃないか?」
「……はっ、最後まで人をからかいやがって」
ジークが声を震わせながら、堪えるように返す。
「兄貴分?冗談じゃねえ……俺は、ずっと子供のままだったのによ……!」
ジークは俯きながら拳を握る。
涙を必死に隠すが、肩が震えてる。
イゼリアがそっと横に立ち、無言でその背に手を添えて支える。
ダリオスはその叫びを受け止めるように、優しい顔で頷いた。
そして踵を返すと、マグナ・オルビスへとゆっくりと歩みだす。
放たれる瘴気が、風が、稲妻が。
ダリオスの歩みを阻むように、拒絶するように吹き荒れる。
だが、ダリオスは大剣を構えて前進する。
体が瘴気に毒されようとも、皮膚が割かれようとも、歩みは止まらない。
「駄目だ…師匠!やめてくれ!」
我慢できず、アレンが悲痛の思いで叫ぶ。
剣が突き立つ刹那、時間の流れがねじれたように、音も風も遠ざかっていく。
仲間たちの鼓動だけが耳に響き、半歩遅れた世界がゆっくりとダリオスを見送った。
淡い光が一瞬アレンの顔を撫で、静寂の後、ダリオスの背を包み込み、爆ぜた。
まるで一枚一枚の絵が連なっているかのように、静かな祈りを連想させる輝きがダリオスの身体を包み、姿は淡く溶けていく。
振り返ってほしい――アレンは叫びたかった。
だが、声は出ない。
刹那が永遠のように伸び、世界が息を止めたかのようだった。
仲間たちはその背を、瞬きもせず見つめるしかなかった。
「……未来は、お前たちに任せる」
最後の声が、風に溶けた。
次の瞬間、マグナ・オルビスがつんざく悲鳴のような轟音を上げて砕け散る。
瘴気が逆流し、世界を軋ませるように轟く。
大地が割れ、空が震え、すべてが飲み込まれるかのような黒い奔流に、全員が吹き飛ばされた。
その中心に、ダリオスの姿はもうなかった。
残されたのは、地面に深く突き刺さった剣の残光と、仲間たちの胸に刻まれた言葉だけだった。




