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竜が見た夢  作者: 無名の記録者
第8章 決戦前夜
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第3話 黒き環の覚醒

 それから二週間。

 ノエルの演説は大陸中に響き渡り――カルドニア草原。


 果てしなく広がる大地が、今や人類の存亡を懸けた戦場となろうとしていた。

 大陸の北寄りに位置するこの草原には、まるで避けられぬ宿命に導かれるように、両勢力が対峙していた。


 空気はすでに張り詰めていた。

 地面を震わせるような低い共鳴音とともに、ひときわ異様な存在感を放つものが救済の環の背後に浮かぶ。


 ――黒き環。


 両手で抱えられるほどの大きさの環が、空中で静かに回転を続けている。

 外環と内環が別々の速度で逆回転し、その表面は石でも金属でもない、言葉にできぬ材質でできていた。

 ひび割れから漆黒の瘴気がにじみ、時折、稲妻のような閃光が走る。

 環が回転するたび、大地が低く唸りを上げ、草原の草が風に逆らうように渦を巻いた。


 遠目にその環を見上げ、光盟の戦士たちは背筋を凍らせた。

 決して近くにはないはずなのに、圧迫感だけが目の前に迫り出してくる。

 あれを守るためなら、敵は命さえ惜しまぬだろう――誰もがそう直感していた。


 アレンはその環を見て、フィオナが浄化し、ナッシュが破壊した禍々しい欠片を思い出す。

 胸の奥がざわめき、かすかな寒気が背筋を走った。


 救済の環の者たちが、その禍々しく忌まわしき環を守るように陣を敷く。

 中央に立つ1人が両手を掲げ、叫んだ。


「竜の御名(みな)に――栄光あれ!」


 その声に合わせて、無数の信徒たちが声を重ねる。


「栄光あれ!栄光あれ!」


 地鳴りのような合唱が草原を覆い尽くし、まるで神を迎える儀式のように戦場を震わせた。


 対峙する光盟の戦士たちもまた、己の決意を示す。

 ノエルが杖を高く掲げ、澄んだ声で叫んだ。


「光の導きよ――未来を切り拓け!」


 それは祈りであり、誓いであり、宣戦布告だった。

 次の瞬間、両軍が同時に雄叫びを上げ、大地を踏みしめた。


 のちにカルドニアの戦いと呼ばれる、人類の命運を懸けた戦いが、今、幕を開けた。


 *


 最初に戦場を制したのは救済の環だった。


 黒き環が唸りを上げ、瘴気を吸い上げては空へと吐き出す。

 濃い霧が瞬く間に広がり、黒雨となって光盟の戦士たちに降り注いだ。


 そして霧の中から現れたのは、瘴気を纏う瘴気魔獣たち。

 血走った眼に人の影を映し、まるで鞭で操られる獣のように信徒と歩調を合わせ突撃してくる。


「瘴気を操るなんて……聞いたことがない……」

「ひ、ひぃ……瘴気魔獣まで……!」


 黒雨に打たれた信徒たちは、恍惚の表情で武器を掲げた。

 その目に狂気はない。むしろ澄み切った確信の光が宿っている。


「竜の御名(みな)に栄光あれ!」

「栄光あれ!」


 声は揃い、足並みも揃う。

 だがそこに人間らしいためらいは一片もなかった。

 彼らは命を散らすことを恐れず、むしろ誇りとさえ思っている。

 本来ならば隣人を守るために武器を取ったはずの者たちが――今は己の死を、竜への捧げものと信じている。


 光盟の戦士たちが怯える間にも、信徒たちは迷いなく駆けた。

 誰一人として足を止めず、誰一人として恐怖の叫びを上げない。

 剣戟(けんげき)に火花を散らし、血飛沫を浴びても、その顔には微笑みすら浮かんでいた。


「な、なんだあいつら……!」

「死ぬのを……怖がってないのか!?」


 光盟の戦士たちの声が震えた。

 それは狂乱の笑みではない。絶望に抗う苦痛の呻きでもない。

 ただひたすら、竜への賛歌を口にしながら、命を投げ出しているのだ。


「……こ、これが……人間なのか?」


 若い竜騎士が膝を折りそうになり、仲間に肩を掴まれた。

 理解を超えた光景が心を圧した。


 押される。

 光盟の戦列はじわじわと後退し、黒雨に濡れた大地に血が混じっていく。


 そのとき、重い声が響いた。


「躊躇うな!」


 ダリオスが大剣を振り抜き、瘴気に染まった信徒と魔獣をまとめて斬り払った。


「人も魔獣も同じだ!今この場で立ち塞がる者は、すべて敵と心得よ!」


 力強い声が戦士たちを貫く。

 続いてノエルが杖を地に突き立て、まばゆい光を放った。


「浄化は私たちに任せてください!皆さんはただ、刃を振るうのです!」


 聖導士が一丸となり、魔法を発動する。

 白光が霧を払い、一瞬だけ視界が開ける。

 仲間の背中が光に浮かび上がり、互いに顔を見合わせるだけで心が繋がるのを感じた。


 恐怖は消えない。

 だが、共に戦う者がいる――それが何よりの盾だった。


 戦士たちは互いに顔を見合わせ、再び剣を構えた。


「やるしかない!」

「俺たちは、未来を託されたんだ!」


 鼓舞の声が広がり、後退しかけていた戦列が踏みとどまる。

 再び剣が交わされ、血が飛び散る。

 光と闇がせめぎ合う戦場で、誰もが全身全霊を賭けて立っていた。


 ――だがそのとき、まだ誰も知らなかった。

 戦場の彼方から、さらなる脅威が近づいていることを。

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