第1話 不穏の街
救済の環の動きが活発化し、各地で瘴気の被害が広がっている――そんな報せを受け、アレンたちは馬車を借りて次の目的地へと急いでいた。
車輪が石畳を叩くたび、車体はきしみ、座席がわずかに跳ねる。
ジークは剣を膝に置いたまま腕を組み、じっと外を睨んでいる。
フィオナは窓辺に寄り、黒いもやが遠くに漂うのを見つけて、思わず息を呑んだ。
アレンは胸の奥が重く沈み、知らず拳に力を込めていた。
ダリオスは手綱を握りしめ、馬をなだめながら低く呟く。
「嫌がっている。……瘴気の匂いを感じているのか」
ダリオスの言葉どおり、馬は荒く鼻を鳴らし、落ち着きなく足を踏み鳴らしていた。
目指す先は、富と信仰で名高い商業都市ベルハイム。
交易の中心として栄え、街全体が白を基調とした美しい建築で彩られている。
中央には天を突くように白亜の鐘楼がそびえ、訪れる者に信仰と繁栄を誇示する――はずだった。
だが今、彼らの目に映ったのは栄光とは正反対の光景だった。
街全体を覆うのは、濁った黒のもや。昼間だというのに陽光は閉ざされ、灰色の雲が低く垂れ込めている。
屋根の上を這う闇の粒子は、生き物のように蠢きながら石畳へと落ちていき、鉄錆を思わせる臭気を街全体に満たしていた。
喉に引っかかるようなざらついた空気に、馬さえも鼻を鳴らして進むのを嫌がる。
どこからか鐘の音が響いていた。澄んだはずの音色は瘴気にかき消され、耳に届く頃には濁って虚しく空へ散っていく。
かつて巡礼者でにぎわったであろうこの街を、今は死の静寂が支配していた。
それでも人の営みは消えていない。
扉がわずかに開くと、中から咳き込みながら親子が駆け出す。通りを急ぎ、祈りをつぶやきながら鐘の方角へ足を向ける。
「もうすぐ助けが来るはず……!」
誰かの声が震え混じりに響く。
その必死さに、アレンは拳を握りしめた。
アレンたちは鐘楼へと進む。足元には巨大な大聖堂が構えられ、広場が広がっていた。
そこにはすでに多くの人々が避難しており、大聖堂の内部は人で埋め尽くされている。
耐え切れず外にあふれた者たちが広場に膝をつき、瘴気の中で咳き込みながら祈りの言葉を繰り返していた。
アレンは息を呑む。
普段なら祭礼や市で賑わうはずの場所が、今は絶望に沈んでいる。
ジークが低く吐き捨てた。
「……くそ、これじゃ戦場と変わらねえな」
フィオナも顔を強張らせ、胸に手を当てる。
「……人が……こんなに……」
そのとき、空を切り裂く咆哮が街に響いた。
鋭く、しかし苦しげで、聞くだけで胸を締め付けられるような声。
「竜騎士様が来てくださったぞ!」
歓喜の声が人々の間に広がる。
視線が一斉に空へと向かう。
厚い瘴気の雲を裂き、複数の影がゆっくりと舞い降りてきた。
翼がはためくたびに黒煙が渦を巻き、長い影を落とす。
やがてその姿が現れる。鋼のような鱗を持ち、翼を広げた飛竜。その背には竜騎士たちがまたがり、槍を手に街を見下ろしていた。
中でも、ひときわ目を引く存在がいた。
真紅の髪を高く結い、戦場の炎のように揺らめかせる女騎士。金色の瞳は強気な光を宿し、しかしその奥には孤独を閉じ込めている。
白銀と紅を基調とした竜騎士の甲冑は華やかで、威厳を放ちながら、同時に実戦の匂いを纏っていた。
手に握る竜槍は、彼女の全身と同じく凛々しく、気高い。
人々が息を呑む気配がした。




