幕間 ジーク
変貌した祈祷師を見た瞬間、ジークの脳裏に、十二年前の惨劇がよみがえった。
*
ジークは、アレンのことが嫌いだった。
親の顔は覚えていない。気づけば大きな街で、親のいない子供たちと群れていた。
年長の子が注意を引き、その隙に小さい子が“手の届く高さのものを持って逃げる”。
ジークの役目は、いつもそれだった。
四つになった頃、とある男に腕を掴まれる。
「――随分、身のこなしがいいな」
快活に笑ったのは、淡い金髪に、澄んだ蒼の瞳を持つ男。
名をレオンといった。腕っぷしが立つ上に、顔立ちまで整っていて、ジークにはそれが癪でならなかった。
その瞳は、記憶の奥底に焼き付いた――青空を思わせる色だった。
親がいないと確認されるや否や、ジークはそのまま男の家に連れていかれる。
出迎えた女性はリディアといった。柔らかな栗色の髪に、若草を思わせる緑の瞳。穏やかで温かな微笑みを浮かべる人だった。
二人にはジークと同じ年頃の息子がいて――アレンと名乗った。父に似た蒼い瞳を輝かせ、初めて会うジークに屈託なく笑いかけてきた。
反吐が出そうだった。
幸せをかき集めて形にしたようなやつ。
ジークが持たぬものをすべて、当たり前のように持っている。
ジークは荒れた。もともと行儀よく生まれたわけでもない。暴れて、喚いて、何度も手を焼かせた。
それでも男も、女も、息子も。ジークに笑いかけ、優しく名前を呼んだ。
「――ジーク」
胸元を強く握りしめる。そうしなければ、心が揺さぶられてしまいそうだった。
*
数か月が過ぎた頃、一人の男が家を訪ねてきた。
灰髪の大柄な男。レオンと並ぶと、一方が精緻な人形、もう一方が石のゴーレム――不思議な対比だった。
男の名は、ダリオス。
レオンはジークが突っかかっても笑って受け止める。だが、ダリオスは違った。黙って見つめ、ある日突然“弟子”に認定した。
納得はできなかった。世話になる前から、誰も彼もが勝手で、腹立たしい。
それでも。
ダリオスとの稽古は、不思議と楽しかった。剣を握れば心が軽くなる。
だからこそ、家に戻ると感情が失われる。
庭でレオンに指導されているアレンが、どうしようもなく眩しかったからだ。
ジークよりも素質がある――それが、見ていれば嫌でも分かってしまう。
それなのにアレンは、汗だくで帰ってきたジークに笑顔で手を振る。
「ジーク、おかえり! おれもジークみたいになりたくって!」
嫌いだった。
幸せそうなやつが、大嫌いだった。
――不幸になってしまえ、と心の奥で呪った。
*
雨の夜。ジークは六歳になっていた。
村を瘴気魔獣が襲った。
腕の立つレオンがいる。大丈夫だと信じていた。だが――。
目の前で、レオンが瘴気魔獣の爪を受けて崩れ落ちた。
それは二本足で立つ、まるで人のような魔獣だった。
リディアが二人を抱きしめ、物置に押し込める。涙を浮かべながら、最期まで笑顔で。
扉を閉める瞬間、魔獣がその背に飛びかかった。
赤い。赤い。赤い。
温かく、幸せだった家が、一瞬で血の色に染まった。
アレンは震え、瞳を見開いたまま動かない。ジークは咄嗟にその身体を抱きしめた。
――そのとき。
魔獣が音を立てて倒れた。
その背後に立っていたのは――全身を叩きつける雨に打たれ、肩で荒い息をつくダリオス。
大剣を握る腕からも水が滴り落ちる。濡れた巨体は泥を踏みしめ、なおも戦いの場へ駆け込んできた勢いを留めていた。
「レオン……リディア!」
名を叫んだ声は、豪雨をも圧する慟哭だった。大剣を地に突き立て、肩を震わせる。
少しの間ののち、ダリオスが物置に潜む二人を見つけ、駆け寄って抱き締めた。荒い息を整えることも忘れ、ただ強く、離すまいとするかのように。
緊張の糸が切れ、ジークは泣いた。ダリオスの手が背を撫でる。
アレンは泣かなかった。そのことに気づく余裕も、当時はなかった。
*
村は壊滅した。
生き残ったのはジークとアレンだけ。知る顔は皆、屍になった。
ダリオスと共に墓を作り、祈りを捧げる。振り返れば、アレンはぼんやりと座り込んでいた。
蒼の瞳は焦点を失い、笑うことも泣くこともなくなっていた。
「……ダリオス」
どうしていいかわからず声をかけると、ダリオスは重苦しい表情でアレンに歩み寄る。
「アレン。ジークと共に、俺と来ないか」
アレンは反応しない。
「……アレン」
呼びかけるジークの方を、ようやく見た。小さな手が、ジークの服の裾を掴む。
生まれたての雛のように、ただ後ろをついてくる。何も言わず、ただ、寄り添うように。
*
夜、ジークは耐えきれず口を開いた。アレンは隣で眠っている。
「ダリオス、俺のせいなんだ」
苦しげに唇を噛みしめる。
「俺が……不幸になってしまえって、そう思ったから……」
絞り出すような声に、ダリオスは静かに答えた。
「違う。悪いのは魔獣だ。お前じゃない」
ジークは泣いた。
――ずっと言ってほしかった言葉だった。
*
ある日、ジークが軽口を叩き、ダリオスが応じた。偶然のやり取りに、アレンの表情がふっと明るくなった。
ジークは嬉しかった。元のアレンに戻ってくれるかもしれない。
だから今日も、皮肉を言い、軽口を叩く。
アレンのことが――大切だから。




