第2話 幹部の狂信
祈祷師は首飾りを高々と頭上に掲げた。
「我らは救済の環!竜は苦しんでいる!だから我らが祈りで導くのだ!」
絶叫は空気を震わせ、石畳に反響した。
声は人間のものとは思えないほどに濁り、ひび割れている。
低い呻きと甲高い笑い声が混ざり合い、耳を刺した。
祈りの言葉に並ぶのは「救済」「導き」「安らぎ」といった響き――けれどその裏で、街を覆うのは安らぎではなく瘴気の渦だった。
仮面の奥からこぼれる笑いは、祈りと同じだけ長く尾を引く。
風もないのに黒衣が膨らみ、影が地を這うように伸びていく。
掲げられた首飾りが脈動するたびに、空は黒ずみ、広場に冷気が満ちていった。
「……なんだ、これは」
アレンの喉が乾いた。祈りというより呪詛だった。
瘴気の波は街の隅々まで広がっていく。鼻に錆びた鉄の匂いが刺さった。
やがて群衆の中から、ひとり、ふたりと膝をつく者が現れた。
「竜よ……どうか、どうか……」
涙を流しながら額を石畳に押し付ける。
恐怖に怯えていた顔が、次の瞬間には恍惚に染まっていた。
「違う……逃げろ!」
誰かが叫ぶが、その声はすぐに祈りの合唱にかき消される。
恐怖で後ずさっていた者も、瘴気の圧に押されるように耳を塞ぎながら膝をついてしまう。
幼子を抱えた母が震える声で「救ってください……」と呟いた時、その子の口からも無邪気な祈りが漏れた。
「ありがたや……ありがたや……」
「竜よ……導き給え……」
救済を叫ぶ声と、同時に響く魔獣の咆哮。
異質な二つの音が混ざり、広場は地獄と化していた。
「救済の環……やはり碌でもない連中だ」
ダリオスが唇を結び、低く呟いた。
アレンの胸を焦燥が締めつける。
剣を抜けば、群衆を傷つけてしまう。
だがこのままでは人々は祈りに呑まれ、瘴気に沈むしかない。
救うどころか、破滅しかない。
自分の手では守れない――その思いが喉を灼き、動けない苛立ちとなって膝に重くのしかかる。
視界の端で、フィオナが震える手で自分の胸元をぎゅっと掴んだ。
怯え、涙が滲んでいる。けれどその瞳には「助けたい」という願いも確かにあった。
「……導く?どう見てもぶっ壊してるだろ!」
ジークが吐き捨てるように叫んだ。
その声は鋭く、祈祷師の声をも切り裂くかのようだった。
ダリオスは冷静に状況を見極める。
「これは祈祷などではない。瘴気を集め、街全体を侵食している……」
声に怒りはない。だが、断言の響きは重かった。
その言葉を裏付けるように、祈祷師の周囲で瘴気が濃く渦巻き、獣の影が増えていった。
牙を剥く犬の群れ、羽ばたく黒い翼、のたうつ触手――形を持った恐怖が次々と生み落とされる。
群衆はなおも祈りをやめない。
祈りが強まるほどに瘴気は濃くなり、魔獣の影は増殖していった。
「救い……救いを……」
「竜よ、導き給え……」
誰も彼もが正気を手放し、崩れ落ちる。
祈りの合唱は、破滅を呼ぶ呪詛そのものだった。
アレンは息を呑み、剣の柄を握りしめた。
人々を守りながら戦わなければならない。
……けれど、このままでは。
広場はもう臨界に達していた。
瘴気の奔流がうねり、瘴気魔獣が次々に生まれ落ちる。
救済の環がもたらしたのは、救いではなく破滅――それはもはや誰の目にも明らかだった。




