第5話 碑文の光
崩れた石畳を踏みしめ、刃が火花を散らす。
双短剣と魔法剣――互いの軌跡が閃光のように交差し、遺跡の闇を一瞬ずつ照らしては消える。
「……ッ!」
刃と刃が擦れ合い、耳をつんざく音が響いた。男の身のこなしは影のように速く、踏み込みの一撃が鋭い。アレンも負けじと魔力を剣に込め、衝撃を押し返す。
「綺麗ごとばかりじゃ、何も守れないんだよ。……お前の大事な仲間だってな」
男の声はひどく冷めていた。その刹那、灰色の瞳が冷酷に細められ、指先からナイフが放たれる。狙いは杖を構えるフィオナ。
「しまった!」
ダリオスはアレンを援護するため一瞬、彼女の傍を離れていた。その隙を突かれたのだ。
「フィオナ!」
アレンは叫ぶ。足に魔力を集中し、風を裂く勢いで駆ける。間に合え――!
そのままフィオナを抱きかかえ、床へ倒れ込む。
「きゃっ……!」
その拍子に、フィオナの紡いでいた光魔法が暴発する。掌からあふれた白銀の輝きが、奔流となって周囲に広がった。
遺跡全体が淡い光に包まれ、一瞬だけ澄んだ空気が広がる。瘴気のざらつきが消え、胸いっぱいに吸い込める清浄さが訪れた。
それと同時に、耳をつんざく断末魔。
アレンが顔を上げると、フィオナの背後に潜んでいた瘴気の魔獣が、崩れ落ちていくところだった。胸には先ほど男が投げたナイフが突き刺さっている。決定打となったのは、間違いなく光だった。だが、あのナイフも事実として残る。
さらに――。
碑文が、まるで呼吸するように脈打ち始めた。
欠けていた文字の隙間から白銀の光が溢れ出し、失われた言葉を形づくる。
それはただの修復ではなかった。古より眠る意志が目を覚まし、人に語りかけているかのような――。
「……“竜を祓う光”……」
ダリオスが低く呟いた。
男の瞳が揺らぐ。冷めた灰色に、不意の動揺が走る。
「……違う。環は“救う光”だと……」
「どう解釈しようと事実はひとつ。竜は禍だ」
ダリオスは迷いなく断言する。その声音には長年の確信があった。
アレンはゆっくり立ち上がり、剣を握り直した。フィオナを庇うように前に出る。
「今のを見ただろ。光は、瘴気も祓えるんだ」
男は顔をそらし、舌打ちする。
「……勘違いすんなよ。こんな光じゃ、人は救えねぇ」
その声は冷たく響いたが、わずかに震えていた。
「竜だけが……俺たちを救えるんだ。俺の故郷も、もし竜がいれば……」
言葉は途切れ、苦笑が漏れる。
「……はは、俺は何言ってんだか。忘れろ」
その表情は、冷徹な刃を操る男のものではなかった。揺らぎと後悔の影が、確かに滲んでいた。
やがて彼は双短剣を翻し、背を向ける。
「俺は“環”を信じる。それだけだ……今日は退いてやる。だが次は、容赦しねぇ」
強がりを吐き捨て、煙のように闇へと溶けて消えた。
静寂が戻る。石壁に残る淡い光が、まだかすかに揺らめいている。
「……あの人、泣きそうな顔をしてた」
座り込んだまま男のいた場所を見つめ、フィオナが呟いた。
「いや、ただの狂信者だろ」
ジークが吐き捨てるように言う。だがその眉間には険しさとわずかな迷いが浮かんでいた。
ダリオスは何も言わず、剣の柄を握り直す。その横顔もまた、固い決意と複雑な影を宿していた。
アレンはフィオナの手を取り、ゆっくりと立たせる。その間も、胸の奥にしつこく残る揺らぎを振り払えない。
あの男もまた、失ったのだろう。
――他人事のはずなのに、灰色の瞳に宿った影は、胸に焼きついて離れなかった。