第2話 石に刻まれた言葉
遺跡の内部は、思ったよりも素朴な作りをしていた。
無骨に積まれた石壁は、彫り跡や欠けがそのまま残っており、人の手で急ぎ作られたことを物語っている。飾り気はなく、ただ“形にした”だけの造りだった。
外よりさらに瘴気が濃い。石造りの通路は天井が低く、所々が崩れかけていて、黒いもやが溜まるように漂っている。
息を吸うだけで肺が重くなり、胸が詰まるように感じられた。
ジークが咳き込みながら舌打ちする。
「ちっ……これ以上奥に行ったら、肺が腐っちまうんじゃねえか」
アレンも喉が焼けるようだったが、それでも歩みを止めることはなかった。
不意に、石の陰から呻き声のようなものが響く。
瘴気をまとった獣――瘴気魔獣だ。しかも、その爪で別の小型の魔獣を押さえ込み、骨ごと噛み砕いていた。
瘴気が濃すぎて、魔獣すら魔獣を喰らう。常軌を逸した光景に、フィオナが思わず身を強張らせた。
「……こんな……」
ダリオスが短く「下がれ」と告げる。すぐにアレンとジークが前に出て剣を構えた。
咆哮と共に飛びかかる瘴気魔獣。アレンが踏み込み、ジークがその動きを誘導する。ジークが斬り払い、隙を作ったところにアレンの剣が閃く。
炎が軌跡を描き、瘴気を焼き散らす。短いが、息の詰まる一戦だった。
ジークは鼻で笑いながら「おう、またそれかよ。便利で助かるぜ!」と余裕を見せる。
だが、フィオナだけは息をのんだ。
「……詠唱も、なしで……?」
驚きの声は隠そうとしても隠せず、思わず声が漏れ、場の静けさを破った。
アレンは一瞬だけ怪訝そうに振り返るが、「そんなに変か?」と首を傾げる。
「普通なら……詠唱に時間がかかるはずなのに……」
フィオナは小さく付け足し、目を逸らした。
*
そんな戦いが、しばし続いた。肩で息をするジークが吐き捨てる。
「……ったく、次から次へと……」
しかし隣のフィオナは、ほとんど息を乱していなかった。少し咳き込んでいるものの、他の三人のように膝をつくほど苦しそうではない。
アレンはそれに気づき、眉をひそめたが、口には出さなかった。
奥へ進むと、崩れた壁の一角に、飾り気のない小さな石台があった。その上に何やら石が置かれている。
碑文らしき石板には文字が刻まれているが、大半は削れ、意味を成さない。ダリオスが近づき、真剣な眼差しで石をなぞる。
周囲は妙に静まり返っていた。瘴気が漂っているのに、そこだけ風が凪いでいるかのようで、ひっそりと石台と石板だけが取り残されている。
人が丹念に作ったというよりは、ただ残されてしまった遺物のように見えた。
「……古代文字、いや……断片だけだ。“竜”……これは“禍”を示す字だな。そして……“光”……“祓う”……いや、これは“救う”とも読める」
指で何度も文字をなぞり、唇の裏で小さく呟いている。そして苦々しげに歯を噛むダリオス。彼の読みは不確かで、それでも必死に答えを探そうとしていた。
ジークが即座に口を挟む。
「は?救うだぁ?そんなもん祓うに決まってんだろ。誰が竜なんざ助けてえんだよ」
「だが……文字はどちらにも取れる」
「回りくどいな。結局は竜=禍ってことだろ。それ以上の意味なんざねえよ」
ジークが苛立つ一方で、アレンは碑文を凝視していた。そこに刻まれた紋章。何かが胸をざわつかせるような、不思議な感覚があった。
アレンが一歩近づくと、同時にフィオナも覗き込む。二人の影が碑文に重なった瞬間――淡い光が走った。
刻まれた涙と花の紋章。中心のしずくの形が揺らめき、その周囲を囲む四枚の花弁が静かに浮かび上がる。まるで瘴気を押し返すように、微かな輝きが広がった。
「……光って……!」
フィオナが小さく息を呑み、アレンは咄嗟に一歩下がった。光はすぐに収まる。だが、その残像だけは瞼の裏に焼きついていた。
碑文は答えを示したのか、それともただの偶然か。誰も、その意味を言葉にできなかった。