第3話 食堂の娘
広場が落ち着きを取り戻した頃、アレンは多くの人々に瘴気魔獣を倒したことを感謝された。
口々に「ありがとう!」「助かったよ!」と声をかけてくる。
アレンは少しうつむき、言葉に詰まった。――さっきは家を焦がし、危うく巻き込むところだったのに。
「……別に、俺ひとりの力じゃない」
そう答えるが、胸の奥では小さな温かさが芽生えていた。
「はっ、素直に“やったぜ”って言やいいのに」
ジークがにやついて肩を小突く。
アレンはわずかに口を開きかけ、言葉が出ずに閉じる。なんとも言えない表情のまま顔をそむけた。
「だが事実、最後の一撃はお前の剣だった。誇っていい」
ダリオスの静かな言葉が温もりに拍車をかける。
アレンは答えず、眉を寄せるでもなく緩めるでもなく、複雑な表情を浮かべた。
それでも心の奥に、確かに熱が灯ったのを自覚していた。
後は任せてほしい、と衛兵や街の人たちに言われたので、後片付けは彼らに任せ、フィオナの案内で彼女の家へ向かう。
昼前に街に帰ってきたフィオナは、休む間もなくこの騒ぎに巻き込まれたようだった。
「馬車を降りたら、もう人が逃げてきて……」
それで、広場の方から戦闘音が聞こえて人が走ってくるものだから、広場に向かったらしい。
フィオナは早朝に乗合馬車でセレナ村を出たそうだ。
「一般人なら一日がかりの道のりだ。俺たちは、一晩で済んだが」
「たしかに、馬車なら半日だぜ」
ダリオスとジークが納得したように言った。
*
フィオナの家は、木造の小さな食堂だった。外観は年季が入っているが、扉を開ければ光が差し込み、清潔に磨かれた床に温かい匂いが漂っている。
昼時だというのに客はまばらで、壁には常連客が残した落書きが貼られていた。そこには「フィオナのご飯で元気百倍!」と達筆ともつかぬ文字が踊っている。
「おかえり、フィオナ!すごい音がしてたけど、大丈夫かい?」
奥から母親らしき女性が駆け寄り、フィオナの肩を両手で掴んで怪我がないか確かめる。
「ただいま。大丈夫、この人たちが魔獣を倒してくれたの」
「街中に魔獣が……なんてことだい。あなたたち、本当にありがとう」
母親が奥に向かって声を張った。「あなた、ちょっと来ておくれ!」
現れたのは、筋肉質で日焼けした大工風の男。フィオナの父親だろう。
「おかえり」
短く言って大きな手で娘の頭をくしゃりと撫でる。乱暴そうだが、フィオナは嬉しそうに「ただいま」と返した。
「瘴気魔獣を倒せたのは、彼女のおかげだ」
ダリオスの言葉に、母親は目を丸くした。
「フィオナ……まさか危ない場所に行ったの?」
「……ごめん」
フィオナは視線を落とす。
「無理をしないでおくれ。あなたに何かあったら……」
母親の声は震えていた。
空気を和ませるように、ジークが「なあ、腹減ったな!」と笑うと、両親は「ぜひ食べていってほしい」と椅子を勧めてきた。
木の卓に並んだのは湯気を立てる野菜スープと、香ばしい黒パン、そして旅人には珍しい焼き肉だった。
スープを口にすると、不思議と体の疲れがほどけていく。パンは固いが噛むほどに香りが広がり、肉は柔らかくジューシーだ。
「……うまい」
アレンは思わず呟いていた。フィオナの母親が柔らかく笑い、父親が無言で頷く。
「お水、持ってくるね」
そう言ってフィオナが奥に下がると、食堂には一瞬静けさが落ちた。
母親が視線を落とし、小さく息をつく。
「瘴気の中で生きるには、この子の光は小さな希望なんです」
母親が静かに言う。
父親も腕を組み、短く頷いた。
「この子は特別なんかじゃねぇ。ただ、人の役に立ちたいってだけさ」
その言葉を噛み締めるようにスープを飲んでいると、フィオナが人数分の水を持って戻ってくる。
母親がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……近くの村に、小さな教会があったのを覚えてるかい?あそこも瘴気に呑まれて廃墟になったけど、まだ祈り絵が残ってるかもしれないよ」
「祈り絵?」
アレンが顔を上げる。
「光を纏った戦士が、黒い竜を退ける絵さ。子どもの頃、よくフィオナに話して聞かせたもんだよ。あの村はもう無いけど……あの教会だけは、まだ立っているはずさ」
アレンたちは互いに視線を交わした。瘴気と光にまつわる伝承。確かめる価値はありそうだ。