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秋桜散りぬ

作者: 鯉魚風

琴都ことは、生まれつき身体が弱かった。


琴都の近所に住んでいる同い年の私、清輔きよすけは、幼い頃から頻繁に琴都の家に遊びに行っていた。琴都と私の母親同士が親友で、私は、なかなか外へ出ることのできない琴都のために充てがわれた専属の遊び相手のようなものだった。


遊ぶと言っても、常に床に伏せている彼女とできることには限度があった。幼い頃は、飯事ままごとをしたり、トランプをするなどが常だった。


琴都の家は、武家屋敷を連想させるような大きな和風建築だった。私は彼女の所へ行く時、毎回その庭園を横切って彼女の部屋に縁側から入って行っていたので、ほとんど玄関を使った試しがなかった。ここは田舎だし、近所付き合いが豊富であったため、何も不自然なことではなかった。


秋になると、その庭園の隅に白い秋桜コスモスが咲くのだった。だが、植物にあまり興味の無い私にとって、それはただの何の変哲も無い花に過ぎなかった。

 

小学生の頃、琴都は、学校には在籍しているものの、登校できる日は稀だった。


私は学校が終わるといつも琴都の家に直行し、宿題をしたり、琴都と遊んだりして、毎日過ごしていた。


琴都は、学校に通っている私よりも賢かった。勉強も教えてもらったし、彼女の知っているありとあらゆる知識を聞かせてくれた。


ある夏の日、いつも大人しい彼女が嬉々として最恐の怪談話を披露したのは衝撃だった。怖がりだった私は、話の途中から耳を塞いで聞いていなかった。琴都に、なぜそんなに平気でいられるのかと聞くと、


「清ちゃん、おばけ達の気持ちを考えたことある?みんなこの世界に未練が合って、寂しい思いをしているの。それに、もし死んじゃったとしても、色々な形で生きている人に気づいてもらえるって考えると、何だか心が楽にならない?」


と言っていた。そんな縁起でもないと思いつつ、琴都の言葉には不思議と説得力があった。それでも、怖いものは怖いが。


他にも、彼女とは様々なボードゲームをして遊んだ。大概のゲームは私の方が強かったが、将棋だけは彼女に勝つことは一度としてなかった。私が棒銀、矢倉囲いや穴熊、美濃囲いなど、ありとあらゆる戦法を用いている時、彼女は特にこれといった囲いを用いるわけでもなく、桂馬や銀といった小駒で私を翻弄し、いつの間にか負かされているのであった。彼女が駒を打つ所作は美しく、琴都とは長い付き合いのはずなのに、彼女の細い色白の手を見るのが、何故かこそばゆく、気恥ずかしい気持ちになったものだった。


中学校の入学式の日、ぶかぶかな学ランを着た自分を琴都に一目見せようと、登校前に彼女の家に向かっていた。すると、いつもの白い襦袢姿じゅばんすがたではなく、セーラー服を着た琴都が門の前に立っているではないか。布団にいて、母親に抱えられないと動くことができない琴都しか知らなかった私は、彼女が自分よりも身長が高いということに初めて気がついた。琴都の落ち着いた佇まいとも相まって、彼女はすこぶる大人びて見えた。


私が彼女を見て呆然としていると、彼女が、


「清ちゃん、行こっか。」


と私の手を引いて中学校へ歩いていった。


しかし、彼女は歩く体力をほとんど持ち合わせておらず、すぐによろけてしまった。


私は、背が低い少年特有の身軽さを持ち合わせていたため、反射的に彼女を支えることができた。


私の両腕に包まれた背の高い彼女の体は非常に軽く、この手を離してしまったら、羽のようにずっと遠くへ飛んでいってしまいそうな程、弱々しかった。


「…あ、ありがとう…。」


琴都はびっくりしたような顔をした後、ぎこちなく微笑んで、そう言った。


その時、私は初めて琴都に「恋」をしていたのだと、分かった。


それからというもの、私と琴都は、一緒に登校する事になった。というのも彼女は、中学校にはどうしても登校したいと両親に言い張ったのだそうだ。琴都の両親は、私と一緒に登下校をするという条件付きで、学校に通うことを許可した。


そのことを自分の母親を介して耳にした時、既に思春期だった私は、


「これって親公認デートじゃね?」


とその非現実的な状況に複雑な心境ながらも、密かに歓喜した。


しかし私は、琴都との今までの関係が崩れることに不安を覚えていた。琴都を「異性」として意識してしまうのは、彼女を傷つけてしまうような気がして、私は彼女への「恋」の心を隠すどころか、無意識の内に否定しようとしていた。


私の多感な精神は、この相反する気持ちに押しつぶされそうだった。


また、この「親公認デート」と仮称する日常を続けていると、当然同級生からも揶揄からかわれた。それに琴都は、美人だった。黒く長いストレートヘアーを持ち、色白で整った顔立ちをしている上に、清楚で儚い雰囲気を纏った彼女は、同級生のうちでは「高嶺の花」として人気を集めていた。そんな彼女が、背も低く、顔立ちもぱっとしないような男子といつも一緒にいるのだから、私は顰蹙ひんしゅくを買うわけだ。


しかし何より辛かったのは、私の境遇を察して、琴都が後ろめたい思いをすることだった。


「ごめんね、清ちゃん。私が我儘言ったばっかりに…。」


「琴都ちゃんが謝る必要ないよ。あいつらには言わせておけばいい。」


私がそう弁明するも、琴都は今にも泣き出しそうな顔をしていた。私は本当に情けなかった。私にはそれ以上何も言えなかったのだった。


そんな日々が続く中、私も身長が伸び、いつの間にか琴都より高くなっていた。琴都も身長は伸びているはずだったが、小さくなった彼女は、いつもよりも弱々しく見えた。


ある朝、私が琴都を迎えに彼女の家の門へ行くと、そこには琴都はおらず、代わりに彼女の母親が立っていた。


母親が言うには、琴都は持病が悪化して、大病院へ入院したのだそうだ。私はその日学校を欠席し、琴都を見舞いに行った。琴都は苦しそうに眠っていて、無数の点滴と人工呼吸器が繋がれていた。


琴都は、全身の臓器が酷く弱っていた。医者が言うには、彼女はもう長くは生きられないのだと。


そんなことは聞きたくなかった。


目の前が真っ暗になった。


「当たり前」というものは、失ってからその大切さに気づくものであって、気づいた時には、既に手遅れなのである。


私は、今までの人生を、十数年しか経っていない短い人生を振り返った。


どんな時も、常に琴都がいた。彼女のいない生活なんて思いつくことすらできない。

琴都と共に人生を歩んでいく、それがずっと続くものだと信じていた。


無力な私は、一日中病室で立ち尽くしていた。


月日が経ち、私は高校生になった。


私は元来、地頭の良い方ではなかったが、琴都に勉強を教えてもらっていただけあって、進学校に入学することができた。


もっとも、彼女はずっと入院していて、受験どころではなかったが。


琴都は大きな手術をして、何度か回復が見込まれていたが、どんな医療をもってしても、琴都の運命を変えることはできなかった。


余命がどんどん近づいていく中で、ある秋の日、琴都自身の希望により家へ退院することになった。


もう成す術もなかったため、医者もそれに承諾した。


私も琴都の家へ向かって、彼女を迎えた。琴都は数年来の我が家へ戻り、心做こころなしか、平生より顔色が良いように見えた。


琴都の部屋の縁側から見える、あの庭園の隅に、白い秋桜コスモスが咲いていた。


それから毎日、私は学校が終わると、琴都の家へ見舞いに行った。今までとは流石に違って、きちんと玄関から入るようになっていた。


家へ戻ってからというもの、琴都は入院生活の時よりも元気に見え、私は、琴都が回復するかもしれないという淡い期待を抱き始めていたが、そんなことはなかった。


彼女の体は、死へと向かっていたのだった。


冬になった。その日は小春日和で、雨上がり特有の、雲一つない快晴の穏やかな天気だった。


「……、清、ちゃん……?」


いつものように私が琴都の部屋へ入ると、彼女が気づいたようだ。元気そうだった彼女の様子も、今日はやつれていて、睡魔と戦っているかのように、薄っすらと目を開けていた。


琴都の部屋には彼女の両親もおり、二人共涙を流していた。


ついに「その日」が来てしまったのだと、私は悟った。


「…今日の具合は?」


「うん…、元気…だ、よ…。」


その言葉を信じたかった。


私は何も言えず、俯いて黙り込んでしまった。


本当に、本当に情けなかった。


いつもそうだった。私は、琴都が私の言葉を必要としている時に限って、何も言えなくなってしまうのだ。


静寂を破るように、琴都が言った。


「秋桜が……、綺麗だね……。」


私達は、庭の隅にある白い秋桜に目をやった。それは一つの花びらを残して散ってしまっていて、最後の花びらには露が乗っており、次の瞬間には花びらの先端から落ちていった。


琴都は泣いていた。私も泣いていた。


私は初めて自分に、そして琴都に、正直になった。


「琴都ちゃん、ずっと、…、ずっと、大好きでした…。」


私は嗚咽しながら、やっと告白した。


「……、わた…し……、も……。」


琴都は、全て分かっていたかのように満面の笑みを浮かべ、薄れゆく瞳を涙で光らせながら、そう答えてくれた。


微笑みながら、ついに琴都は目を閉じた。


途端強い風が吹いた。最後の白い秋桜の花びらは散り、いづくへと消えてしまった。

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